後半戦で打撃低迷

移籍1年目の今季、自己最多タイの12勝をマークした
5位に低迷した
広島。攻守の中心選手として期待された
坂倉将吾は苦しいシーズンとなった。104試合出場で打率.238、5本塁打、37打点。守備でも盗塁阻止率.181はリーグワーストだった。
3月2日に右手中指末節骨の骨折と診断され、開幕は二軍スタートに。4月29日に一軍昇格すると、6月終了時点では打率.287、2本塁打、18打点だった。昨年は7月以降に打率.354、5本塁打、18打点と好調だったことから、打棒爆発が期待されたが、今年は打率.197、3本塁打、19打点と打撃不振に。チームが7月に4勝16敗3分けけと大きく負け越して優勝争いから脱落したことも影響しただろう。捕手としてチームを勝たせられない責任を感じていた。
事件が起きたのは、7月20日の
ヤクルト戦(神宮)だった。2点を追う3回二死で捕邪飛に倒れた際、一塁に走らずにベンチに戻った。風で戻された打球がフェアゾーンに落ちる可能性もあり、許されないプレーだった。この直後に
石原貴規との交代を命じられた。
新井貴浩監督は「走塁に関して注意しているのは1回や2回ではないから。走る姿は取り組む姿勢が一番出るところ」と試合後に語気を強めた。
23年は捕手専念の決断
打撃センスは際立っている。2021年は打率.315、12本塁打、68打点をマーク。首位打者に輝いたチームメートの
鈴木誠也(現カブス)に2厘差で届かなかったが、大きく飛躍するシーズンとなった。翌22年もチームで唯一全試合出場を果たし、打率.288、16本塁打、68打点。主に三塁のほか、一塁と捕手も守った。
新井監督が就任した23年から、捕手に専念する決断を下す。坂倉は週刊ベースボールのインタビューで、以下のように語っていた。
「うーん、最終的に決めるのは首脳陣というか、監督なので。監督と話をして『キャッチャーで行くぞ』ということを言っていただいた。それを受けて、あらためてしっかり、という感じですかね。僕が激押ししてというよりは、監督が言ってくださったんですよ。もちろん僕も拒否する理由もないですし、(捕手を)やりたいとは思っていたので。監督の言葉で、しっかり覚悟が決まりました」
「そうですね……。ユーティリティーをやるんであれば、僕はキャッチャーをやりたくはなかった。さっきも言ったように、勝敗に一番直結するポジションの人が、転々として、たまに戻ってきてミスをしました、というのでは言い訳ができない。捕手2人制にして僕がいれば最悪の場合、キャッチャーもできるというパターンはあるのかもしれないですけど、それだったらやりたくないなというのが本音で。あらためて今になって思うのは、キャッチャーは中途半端でやれるポジションではないということ。ファーストで行くぞ、サードで行くぞと言われたら、僕はもう、キャッチャーは絶対にやりたくないというふうには思っていたんです。それが一番かなと思います」
チームは2年連続Bクラス
大きな覚悟を持って臨んだ23年は、チームが4年連続Bクラスから2位に躍進。昨年は再び一塁での出場が増加したが、捕手で盗塁阻止率.385を記録した。121試合出場で打率.279、12本塁打、44打点をマークし、シーズン終了後のプレミア12で侍ジャパンの正捕手として活躍した。
今年のスタメン出場を見ると捕手が91試合、一塁と指名打者が共に3試合だった。チームは借金20で5位と2年連続Bクラスにとなり、注目されるのは坂倉の来季の起用法だ。捕手として奮起を求めるか、他のポジションで得意の打撃に磨きをかけるか。新井監督は今季最終戦となった10月5日の最終戦後、マツダスタジアムで行ったスピーチの中で以下のように誓っている。
「現在チームは変革期にあります。変わろうとしているとき、また新しい力が生まれるとき、必ず『苦しみ』が生じます。来年以降もこの苦しみは続いていくと思います。そこから逃げることなく忍耐強く立ち向かっていきたいと思います」
来季に向けての戦いは、すでに始まっている。
写真=BBM