父は帝京高野球部OB

帝京高の正捕手・鈴木は1年生とは思えない堂々としたプレーが印象的だった[写真=矢野寿明]
【秋季東京大会決勝】11月9日(神宮)
帝京8-4関東第一
秋季東京都大会で帝京高が16年ぶり10度目の優勝を遂げた。関東第一高との決勝を8対4で勝利。同大会は来春のセンバツ甲子園の重要な資料となっており、2010年以来となる16年ぶりの復活出場を「当確」の立場とした。
決勝で先発に名を連ねた1年生は5人。背番号2を着ける正捕手・
鈴木優吾は「このチームを勝たせる。自分がやらないといけない」と、下級生ながら名門校を背負う覚悟があった。1年夏の東東京大会から背番号12でベンチ入り。チームは準々決勝で敗退した。
「3年生の代は前年夏の(東東京大会)準優勝を超えようと『超越』がスローガンでした。この秋の新チーム結成以降、2年生の代は『日本一』に決まったので、その目標に向かって先輩についていくだけでした」
父・賢一さんは帝京高野球部OBである。1992年春。エース右腕・
三澤興一(元
巨人ほか)を擁してセンバツを制したが、賢一さんは歓喜をアルプススタンドで迎えた。「秋は内野のレギュラーで、東京大会で優勝したんですが、センバツの開幕前に右肘を痛めまして、投げられなくなったんです。すでに背番号4で登録されていましたが、直前のメンバー変更となりました」。夏の甲子園は背番号5でベンチ入りも、先発出場はかなわなかった。
「どこかで、心残りがありました。あの悔しさがあったから36歳まで野球を続けられた」
創価大を経て入社した王子製紙春日井(のち王子製紙、現・王子)では14年プレー。王子は今夏、21年ぶり2度目の都市対抗制覇を決めたが、前回優勝時の正捕手が賢一さんだった。同年の社会人ベストナインを受賞。現在は野球部副部長として、今夏の黒獅子旗奪取にも尽力した。
平日は会社の社業、野球部副部長、そして、週末は愛知守山ボーイズの監督としての顔もある。息子・優吾を英才教育してきた。
「塾帰りの21時以降、王子の室内練習場で汗を流すこともありました。よく練習はしたほうだと思います。私自身の経験も踏まえ、中学1、2年時は遊撃手をやらせていたんです。小学校も捕手でしたが、ずっとマスクをかぶっているとフットワークが悪くなる。3年生なり、チーム事情あり、捕手に戻しました」
1学年上の187センチ左腕・仁禮パスカルジュニア(2年)が同ボーイズから、縁あって帝京高に初めて進学した背景があった。
「金田優哉監督がパスカルの練習を見学した際、グラウンドの捕手にも目が向いたようで『あれは、ウチの息子だよ』という話になり……(苦笑)。本人にも確認した上で、帝京高校にお世話になることになったんです。厳しい競争となるわけですから『気持ちだけは負けるな』と東京へと送り出しました」
にじみ出た勝利への執念

バットを短く持ち、しぶとい打撃[写真は3回裏の適時打]を見せた[写真=矢野寿明]
関東第一高との決勝は、いつも以上に気持ちが入っていた。無理もない。勝てば、来春のセンバツが確実となる一戦だ。第1打席は死球。冷静さを欠いた鈴木は、その場で叫び、投手方面へと一歩踏み出すような素振りを見せた。相手を威嚇するような意図はなく、チームを鼓舞するための行動であった。出塁と気合が空回りした。誤解を招く可能性もあり、球審からは注意を受けている。「感情が高ぶり、申し訳ないことをしました」。
試合後の場内インタビューで金田監督は第一声で「ウチの(死球を受けた)選手がピッチャーに対して感情を出してしまったところがありましたので、本当にすみませんでした」と謝罪。関東第一高の三塁ベンチに向けて、深々と頭を下げた。対戦相手へのリスペクトに重きを置く金田監督は「感情出るのは分かるんですけれど、あれは、絶対ダメです」と猛省し、父・賢一さんも「あとでしっかり、注意します」と厳しい表情を見せていた。
勝利への執念が、にじみ出た。鈴木は一挙8得点のビッグイニングとなった3回裏には中前適時打を放った。バットを握り拳一つ分短く持ち、コンパクトなスイングは、左投手に対して、お手本のようなしぶとい打撃だった。守りでは先発した背番号3の右腕・安藤丈二(2年)を巧みにリードし、4失点完投へと導いている。鈴木は決勝後「仲間を信じて練習してきてよかったです」と笑顔を見せた。
東京大会優勝により、2010年春以来のセンバツに大きく近づいた。「自分が甲子園で優勝してやるという意気込みで取り組んでいきます」。どこまでも強気な1年生司令塔が、帝京高のディフェンスを固めていく。
文=岡本朋祐