きっかけとなった師の言葉

つば九郎
2026年度からの
ヤクルトのマ
スコット「つば九郎」の復活が発表された。
今回は2025年9月末に発売された「月刊プロ野球ヒーロー大図鑑19号」に掲載された「つば九郎徹底研究!」を一部抜粋する。
2023年、人生の師と敬愛する
宮本慎也氏(元ヤクルト)から「目指せくるりんぱ成功」と書かれた色紙を贈られ、公式の「つば九郎ひと言日記」にこう書いている。
「また、たからものがふえました。あんまりないけど、つらいときはこれをみよう。みんなには、こころのささえはありますか。つばくろうは、ちーむすわろーずのせいえんと、えがおが、こころのささえです!」
かわいくて、太っていて、優しくて、でも腹黒くて……。
毒舌や下ネタ好きから「畜生ペンギン」と言われたが、不思議なことに誰からも愛された。
1994年に登場。名前はツバメの古称つばくろからついたものだが、渡り鳥なのに冬になっても南に飛ぼうとはせず、ずっとヤクルトと一緒にいた(そもそも飛べない!)。
最初からファンに支持されていたわけではなかった。
阪神のトラッキーのようなアクロバティックな動きができるわけではなく、どうしても地味。
きっかけは宮本氏の「もっと前に出てみたら」という言葉と、2001年に加入した
ラミレスだった。「アイ〜ン」「ゲッツ」など、ラミレスのさまざまなパフォーマンスに絡みながら、つば九郎人気も上がっていった。
06年から公式ブログを開始。すべてひらがなでやや読みづらいが、独特の言語センスと意外な繊細さで、さらに人気を深めていく。
天才の完全覚醒
当時、マスコット界は変革期にあった。
中日のドアラ人気の爆発である。もともとアスリート系マスコットだったが、07年くらいから自己主張を始め、書籍を発売するなど、球界の枠を超えた存在となった。
これに注目したのが、目ざとく、あざとい、つば九郎だ。盛んに対決を仕掛け、09年にはドアラが書籍『ドアラのへや――かくていしんこくむずかしい』を出版すると、合わせて初の著書『つば九郎のおなか――しょくよくにまけました』を出版。帯には「ぱくり、じゃないよ、おーまーじゅ、だよ」と書かれていた。
09年からはマスコット初の契約更改(ドアラも代理人で登場)。2度のFA時には球界以外からも多数のオファーがあった。
10年から「つばさんぽ」を開始。東京都内を中心にさまざまなイベントに参加している。
唯一無二の存在としたのが、しゃべれないつば九郎のフリップ芸(筆談)だ。即座に書く頭脳の反射神経とスピード、外れのないコメントはまさに神業だった。
12年には歌えないのにCDデビュー。グラウンド外では西麻布界隈での「ぱとろ〜る」を欠かさず、食欲も旺盛。心配した仲間から飲み過ぎを注意されることもあったという。
新型コロナの時期に2度の離脱もあったが、22年には主催ゲーム2000試合出場達成。名球会からも特別表彰された。
25年2月6日、球団が担当者の体調不良による休養を発表。19日には死去が明らかになった。
このとき1年前のブログが話題となった。グラウンドに、つば九郎の足跡がついた写真を添付し、こうあった。
「いつか、いつのひか、このあしあとのさきに、つばくろうがいなくなったら、そらをとんだとおもってくいださい」(原文まま)
25年、最後のブログの結びはいつもと同じ「みんなえみふる」だった。