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桐光学園高・野呂雅之監督慰労会 なぜ、42年にわたり現場指導できたのか

 

支えられた「2人の奥様」


今夏まで桐光学園高を指揮した野呂雅之監督の慰労会が12月15日に開催。壇上で42年にわたる感謝を口にした[写真=BBM]


 桐光学園高(神奈川)を42年にわたり指導してきた野呂雅之監督は、今夏の神奈川大会限りで勇退した。現役選手としては早実、早大でプレーし、大学卒業と同時に同校に保健体育科の教諭として同校に赴任。23歳から64歳まで熱血指導を続けた。春1回、夏4回の甲子園出場。2012年夏の甲子園では2年生エース左腕・松井裕樹(パドレス)を擁し、同校最高成績の8強進出。激戦区・神奈川で常に上位進出へと導いてきた。後任は同校で春夏を通じて初の甲子園出場となった2001年春に主将・捕手だった天野喜英監督(東海大-セガサミー)がバトンを継いだ。

 12月15日、神奈川県横浜市内で球界関係者の有志による野呂監督の慰労会が開催され、約80人が出席した。冒頭で発起人である横浜隼人高・水谷哲也監督は長年、野呂監督を支え、家庭を守ってきた夫人を紹介。そして、水谷監督が「もう一人の奥様」と明かす桐光学園高・塩脇政治部長を紹介した。二人三脚で同校野球部を成長させてきた功労者である。

 来賓挨拶では野呂監督の1学年後輩であるDeNA竹田光訓氏が日大一高時代に、野呂監督がいた早実と対戦した思い出話を披露。また、明大在籍時、早大でプレーしていた野呂監督とのエピソードを明かした。乾杯は日大藤沢高・山本秀明監督。今夏、野呂監督にとって最後の試合となった、神奈川大会5回戦の相手校の指揮官である。「まだまだ野球界の発展に尽力していただきたいと思いますので、プレーボールで、高らかにお願いいたします」と、プレーボール! で乾杯の音頭を取った。

フェアプレーとスポーツマンシップの精神


神奈川県高野連・朝木副会長は大学時代のエピソードを下に、野呂監督との関係性を披露した[写真=BBM]


 神奈川県高野連・朝木秀樹副会長は東大野球部OBで、当時の赤門エース・大越健介氏(ジャーナリスト)とバッテリーを組んだ。野呂監督は1学年先輩にあたり、神宮で対戦した。

「冒頭のご挨拶で、私の同期の明治の竹田さんが早稲田が東大に負け、その早稲田に明治が負けたと言われていましたが、実際に東京大学は早稲田によく勝っていたんですよ。私の同期の大越というピッチャーが通算8勝しているんですけども、4勝は早稲田からなんです」

 さらに、秘話は続く。

「社会人になって、野呂さんが神奈川県もさることながら、甲子園でも活躍されて、日本の高校野球が誇る名将の一人だと思っていました。いくら学生時代に勝ったとはいえ、気軽に声をかけることもできず、遠巻きに見ていたんですけども、こういう立場(24年4月に副会長就任)になりましたので、これは近づけるなと思い……。球場でお会いした時にご挨拶させていただいて、これから野呂さんからいろいろ学ぼうと思っていたところでお辞めになるということで……。この2年で桐光学園のゲームは2、3試合を見させていただきましたが、本当に綿密なしっかりした野球をやるなと思っていました。それ以上にフェアプレー、スポーツマンシップに則った、そういう精神を選手たちに教えている。生徒たちのひたむきな姿勢が印象に残っています」

 そして、こうまとめた。

「いずれにしましても、ここまで桐光学園もそうですけども、神奈川県の高校野球であり、ある意味、日本の高校野球も引っ張ってこられた方なので、私もこういう立場として野呂さんが築かれたものをしっかり受け継ぎながら、また頑張っていきたいと思います」

 かつて、神奈川県内でしのぎを削ってきた武相高・古賀正元監督、鎌倉学園高・武田隆元監督からも、労いの言葉があった。相手としては最もやりづらい、何を考えているか分からない。さらには、綿密なデータ収集を下にした極端な外野シフトを敷いてくる。スキのない野球スタイルを浸透させた知将・野呂監督のさい配、ベンチワークの秀逸さが紹介された。

 野呂監督は出席者を前にして、感謝の言葉を述べた。

「人の出会いでしか、運命は変わらないと聞いたことがあります。本当にそうだな、と。今日、お越しの皆様を含めて、出会った方々がおられたので、今の自分があるんだなと思っております。今までは前を向いて進んできましたので、これからは多少の時間がありますので、少しずつ振り返りながら、また前に進んでいきたいなと思っております」

 家族、野球部への「思い」も口にした。

「家庭では、今日初めて(妻を)連れてまいりましたけども、本当にわがままを言い、聞いてくれまして、休みもなく、グラウンドに出ていく私を見守ってくれていますので、本当に感謝しております。また、学校に行くと、先ほどもありましたように、グラウンドでの家内と言いますか、塩脇部長におんぶに抱っこで、いろいろとご尽力いただきました。本当にありがとうございました。今後は天野に引き継いで、塩脇部長と新たなフェーズに入って、高みを目指して頑張ってくれると思います。今日、天野が着ているジャケットは、私のなんですよね。バトンを渡すと同時に、ジャケットも渡したので、頑張ってもらいたいと思っております。今日は心から楽しい時間でした。今後ともご指導ご鞭撻をいただければと思います」

実績は自分で言うべきでない


慰労会後は記念撮影が行われた[写真提供=主催者]


 最後に今回の慰労会の開催に尽力した神奈川大学野球連盟・佐々木正雄理事長があらためて、野呂監督の42年にわたる功績を語った。

「今日、事務局からもらった資料には、こう書かれていました。新宿で生まれて、早稲田実業、早稲田大学で外野手として活躍。その後1984年、桐光学園の保健体育の教員、監督に就任。40年、同校の野球部の監督を歴任。春1回、夏4回の甲子園出場。あとは何も書いてないんですよね。ここで感じることは何だろう、と。これは王(王貞治)さんが、はっきりと言われていました。この夏、秋田で10日間ご一緒させていただいて、その時に『監督、野呂さんってご存知ですかね』と聞くと『ああ、ウチ(早実)の後輩か』と。『一言、思いを言っていただけますか』と振ると『一言で言うと、そのまんまの男だよ』と。『いや、監督、難しいですよ。そのまんまの男っていうのはどういう男ですかね』と聞けば『人生がにじみ出ている』。つまり、人が集まる価値観を持たれている、と」

 もう一人の証言を明かした

「桐光学園の理事長とお会いする機会があり、『理事長、一言でいうと、野呂先生はどういう方ですかね』と質問すると『魅力のある男だよ』。それっきりなんですが、王さんと相通じるものがあったわけです。必要以上にこうだよ、ああだよという話をしてくれなかった。そこで、私は考えました。野呂先生は自分の野球実績を含めて、一言も、自分からは言わない。私は自分の実績を、自分から言うべきでない、と思います。人が語ってくれて、初めてそれ以上の重さを感じるわけです。教え子には松井君をはじめ、プロに8人を送られている。つまり、評価とは自分がするのものではなく、第三者がされるべきこと。王さん、桐光学園の理事長先生が言われた話を含めて、野呂先生はさりげない先生だな、さりげない監督だなとあらためて思ったわけです」

 最後に、かけがえのない家族の存在について触れた。

「もう一言、言わせていただいたら。奥様ご苦労様でした。40年間、本当にご辛抱されて、これからはもう、何十倍も良い思いをされてください。野呂先生、本当にご苦労様でした。ありがとうございます」

 慰労会後は出席者全員で記念撮影。約2時間、会場内は和やかな空気が充満していた。野呂監督が歩んだ42年、人との縁は永遠である。

取材・文=岡本朋祐
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