週刊ベースボールONLINE

高校野球リポート

【高校野球】上尾高が21世紀枠の関東・東京地区の推薦校に選出された理由

 

簿記検定でも実績


上尾高OBの高野監督[右]と片野部長[左]。埼玉県高野連専務理事で野球部顧問の神谷先生とともに、同校卒業生3人が中心となって熱血指導を展開している


 埼玉県立上尾高等学校が第98回選抜高校野球大会における21世紀枠の関東・東京地区の推薦校となった。2026年1月30日の選抜選考委員会で、全国9地区から2校が選出される。

 上尾高が関東・東京地区の推薦校となるのは16年以来10年ぶり。県推薦は22年に続き、今回で3度目ということになる。全国47都道府県のうち、25年までに21世紀枠に選出されていないのは11府県(群馬、埼玉、長野、三重、京都、大阪、奈良、岡山、広島、鳥取、福岡)ある。埼玉県勢が地区推薦に残ったのは過去に2回、つまり、上尾高だけである。

 なぜ、上尾高が推薦されたのか。

 上尾高は1958年(昭和33年)、普通科と商業科を併設して開校した。野球部は学校創立と同時に創部され、昭和の時代に春3回、夏4回の甲子園出場実績がある。春は82年、夏は84年を最後に42年、全国舞台から遠ざかっている状況だ。日本高野連からの推薦理由にはこう書かれている。

「私立全盛を迎えた平成の時代以降も公立の雄として埼玉の高校野球をけん引し、150校を越える県内各大会において常に上位進出を果たしている。県内113校の公立高校にとって、上尾高校の存在は希望の光となっている」

 2016年からの10年で16年春4強、16年夏8強、17年秋4強、18年夏準優勝(北埼玉大会)、18年秋8強、21年春4強、21年秋4強、22年春4強、23年春8強、23年秋8強、そして、25年秋4強。今秋は北部地区代表決定戦で東農大三高を下して県大会進出を遂げ、県大会では3試合を勝ち上がり、浦和学院高との準決勝で3対4と惜敗している。

 野球だけではない。校訓の「文武不岐」「自主自律」の下で勉学と部活動の2本柱を意欲的に取り組む。顧問の神谷進先生(埼玉県高野連専務理事)の指導の下、1年生までに簿記検定2級、2年生までに1級を取得。10年から母校を率いる高野和樹監督は明かす。

「全国の合格率が50何パーセントのところを、野球部は100パーセントに近い。ほとんど、神谷先生が生徒たちの面倒を見ており『絶対、落とさない』と気合が入っています。その情熱には頭が下がります」

漂う昭和のムード


一塁ベンチには、チームとしての約束事が書かれている


 推薦理由には、こうも書かれている。

「チームを率いる高野和樹監督は、高校野球の原点でもある『全力疾走』や『一球の大切さ』にこだわって日々指導にあたっており、今の時代に失われつつあるこれぞ高校野球という緻密で泥臭い野球を実践している。傑出した選手がいるわけではないが、個々の選手の特徴を見極め、指導し、チームとして仕上げていく手腕は県内外の指導者から注目されている。その姿を求め、遠方からも練習試合や見学に訪れている」

 学校はJR北上尾駅の目の前にある。正門を入り、校舎を抜けると、球児たちのハツラツとした声が耳に届いてくる。グラウンドに足を踏み入れるのに思わず、躊躇してしまう。一般的な県立高校の校庭とはかけ離れた、神聖なる場所だからである。黒土がきれいに整備。すべて手作業であり、心がこもっている。

 上尾高OBで、赴任10年目の片野飛鳥部長によれば「学校の先生には、理解をいただいており、本当にありがたいことです。だからこそ、大事に使わせていただいています」と、保健体育の授業で野球部が使用するスペースを使うことはない。つまり「聖域」となっている。

 一、三塁のベンチはグラウンドレベルから一段下の古い構造で、バックネットも年季が入っている。左翼94メートル、中堅115メートル、右翼93メートル。移動できるケージで覆われている手作り感にも、昭和のムードが漂う。

 母校を指揮して16年目の高野監督は「(グラウンドは)つぎはぎだらけですよ」と、苦笑いを浮かべながらも「先輩方がつないできたこのグラウンド。変えてはいけないものがある。この空気感を大切にしていきたい」と語る。毎日、グラウンドには卒業生、地元のファンなどが駆けつける。中学生、高校生のチーム単位での見学もひっきりなし。練習試合も相手校はあえて、上尾高校でのマッチメークを希望。勝ち負けだけではない、技術云々という上辺だけではない。忘れかけた高校野球の本質と触れることができる。「すべての基本は走ること」「キビキビ動く」。全部員に徹底されており、対戦校は多くを学んで帰る。

野本喜一郎氏のスタイル継承


シートノックでは一球に対して、全部員が集中。こうしたグラウンドでの姿勢が試合での勝負強さにつながる


 秩父出身の高野監督は幼少期、上尾高の全盛時代に魅了されてきた。75年夏の甲子園4強、79年夏の1回戦では牛島和彦香川伸行を擁する浪商高(大阪)との延長11回の激闘。高野監督は当時「体が小さく、補欠覚悟で」県内のスーパースターが集結する上尾高を志望した。中学3年の夏休みに同校の練習を見学すると、グラウンドの圧倒的な雰囲気にのみ込まれた。創部当時から指揮していた野本喜一郎氏のスタイルである。

 このときの3年生の案内役が、神谷専務理事だった。

「神谷先生は野本監督の側近として、グラウンドマネジャー兼主務として動いていました。優れた人間性、正義感を最大限に活用するのが野本監督の方針。神谷先生はメンバーとしての力もありましたが、チームを円滑に運営していく上で、野球部の根幹となる裏方に目を向ける部分にも、先見性がありました」

 野本監督は計6回の甲子園へ導いた。その後、浦和学院高を率いて3年目の86年8月8日に死去。同夏の埼玉大会を前にして病に倒れ、チームは春夏を通じて甲子園初出場を遂げたが、開会式当日に死去した。野本監督は選手だけでなく、のちに教員として活躍する多くの指導者を輩出したのも功績の一つだ。

 高野監督は上尾高として最後となる84年夏、2年生の控え捕手として、甲子園に出場している。徳島商高との1回戦では試合途中からマスクをかぶり、法政一高との2回戦では代打出場。かつて野本監督が指導した東洋大では、高橋昭雄監督から薫陶を受けて、4年時は副将を務めた。選手としてよりも、ベンチワークが主で、指導者としての礎を勉強したのであった。

 大学卒業後は商業科教諭として鷲宮高に赴任。95年春には上尾高の先輩・齋藤秀夫監督(上尾高元監督、14年に育成功労賞)とともに、野球部長としてセンバツに出場した。のちに監督に就任し、06年夏は増渕竜義(元ヤクルト)を擁し埼玉大会準優勝。鷲宮高での18年の指導を経て、10年4月に上尾高に赴任し、同秋に監督に就任した。12年には神谷先生、16年には片野先生と卒業生が指導陣に加わり、上尾高の伝統をつないできた。つまり、変わらないのは「王道。奇襲はしない。練習は基本の繰り返し。教育的には、相手をリスペクトする」と指揮官が明かす、野本イズムの継承だ。

 全部員が同じ方向へ進んでいる。そこに強制力はまったくなく、主体性を持って動いている。試合では一体感のある全力応援が埼玉名物であり、スタンドの共感を得る。上尾高の集客力はすさまじく、多くの県民からの支持を受けている。なぜ、心を突き動かされるのか。純粋なまでに、一生懸命な姿勢が、明日を生きる活力として与えてくれるからだ。

 片野部長は上尾高時代、主将で三塁手だった。3年夏は埼玉大会8強で、甲子園には届かなかった。日体大では4年時から学生コーチ兼二軍監督として、下部組織の底上げに尽力。当時率いていた筒井大助監督とコミュニケーションを重ね、指導者としての基本を学んだ。

「自分はうまくない選手だったんですけど、一生懸命やっていることが認められたのか、大学3年秋に2試合だけリーグ戦のベンチに入れてもらったことがあるんです。監督は覚えていないと思いますが(苦笑)。それが、自分の今の指導の原点にあります。皆、背番号をつかむために日々、頑張っている。ただ、試合に出られるのは一部で、実は脚光を浴びない選手のほうが多い。地道に努力している生徒を引き上げ、評価してあげたいと思っているんです」

 現在の1、2年生は部員45人。高野監督は「45番目のレベルが、上尾高校のレベルだと思っている」と明かす。ベンチ入り20人、記録員は控え部員の気持ちを背負って戦う。一方で、スタンドで応援する部員も当事者意識を持つ。メンバーを全力でサポートする信頼関係なくして、真のチームワークは生まれない。練習は一糸乱れぬウォーキング、ランニングからスタート。ピリッとした足並みを見ると、なぜか安心する。伝統を大事にしていることを確認できるからだ。

人を残す地域貢献


多くの卒業生が必死になって汗を流してきた上尾高のグラウンドは、神聖なる場所。隅々まで整備が行き届いている


 推薦理由の最後には、こう書かれていた。

「地域活動にも積極的で、地元小学生の野球教室を15年以上、毎年オフシーズンに実施し、子どもたちとの交流を図るなど普及・振興活動も積極的に行っている」

 地域活動。ここには、補足説明が必要である。

 年内の活動を終える2日前の12月27日、グラウンドには同校を巣立った大学生27人が集まっていた。年末恒例行事で、現役部員と一緒になって汗を流す。30人以上が大学で野球を続けている。公立校では驚愕の数字だ。高野監督は言う。

「高校ではベンチ外だった選手が、大学でレギュラーとして出場する卒業生もいます。一方、学生コーチやマネジャーとして入部する部員もいる。野球には、いろいろな形があると思います。大学は学生コーチ、主務(マネジャー)など、裏方がしっかりされているチームが強い傾向にある。私自身も東洋大学で、高橋監督はその部分をずっと強調していました。人のために、頑張れる。そういう部員って貴重ですから。将来的に先生、指導者になりたいという生徒は多いんです。プレーヤーとしてだけではなく、何かを求めて野球を頑張っていくのも、野球の魅力の一つかな、と。 地域活動には清掃、野球教室とかもありますが、指導者として、この埼玉に戻ってくることも、私は地域貢献だと思っています」

 この日の練習で、卒業生の先頭に立っていたのは帝京大・浅川学生コーチ(3年)だった。練習後には取材者に自ら名刺を差し出し、コミュニケーション能力の高さに驚いた。名刺には「上尾高校」と印刷。「母校愛があるというか、自分たちの野球に誇りを持つんですよ、彼は。帝京大学に行っても、そういう精神は間違いなく持っている」(高野監督)。浅川学生コーチは来年、埼玉県の教員採用試験に挑戦する。

 埼玉県高野連の連盟運営、大会運営を軸となって動かす神谷専務理事によれば現在、卒業生26人が県内の野球部の指導に携わっているという。上尾高は野球の心を通じて、次世代へ継ぐ人という財産を残してきた。今回の21世紀枠の関東・東京地区推薦は、歴代の先輩が地道に取り組んできた証し。一塁ベンチには、こう書かれている。「教室も自らを成長させてくれるグラウンドである」。年が明けた1月30日の選抜選考委員会も日常と変わりなく、真摯に1日を過ごす。

取材・文=岡本朋祐 写真=BBM
週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部

週刊ベースボール編集部が今注目の選手、出来事をお届け

関連情報

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング