昭和の野球を継承

主将・森田[右]とエース・辻岡[左]が今秋、上尾高をけん引してきた[写真=BBM]
埼玉県立上尾高等学校が第98回選抜高校野球大会における21世紀枠の関東・東京地区の推薦校となった。同校が同地区の推薦校となるのは2016年以来、10年ぶり。県推薦は22年に続き、今回で3回目だった。
なぜ、上尾高が推薦されたのか。選手たちの声を聞くと、その理由が分かる。
昭和の時代に6回、甲子園に導いた
野本喜一郎元監督の野球を平成、令和と継承している。
上尾高の野球とは。1年秋から四番の菊池龍希(1年)は明かす。入学から約10カ月で、伝統のスタイルがすっかり浸透している。
「高野先生(高野和樹監督)の野球です。小学校時代からあこがれの学校でした。試合会場に行くとまず、ウォーミングアップがすごい。一糸乱れぬランニングに圧倒されました。他校とは明らかに違うんです。一体感のある応援、丁ねいなグラウンド整備から、社会に出て役立つ人間性が学べると思いました。自分は未熟。先輩たちの背中を見て、2年秋には立派な上級生になりたいと思います」
好きな選手はドジャーズ・
大谷翔平。生まれは岩手という縁があり「世界のスター。人としても魅力的。有言実行の姿勢も素晴らしいです」。憧れの選手は同じ左打者のスラッガー・
村上宗隆(26年からホワイトソックス)だ。「一つひとつのプレーを大事にしている。23年のWBC、メキシコ戦でのサヨナラ打は強烈な記憶に残っています」。180センチ95キロと恵まれた体格で「ここぞという場面で一本を出す、信頼される打者になりたい」と語る。
サイド転向が分岐点

遊撃手・関根は旧チームからの唯一のレギュラーである[写真=BBM]
25年秋、新チームの上尾高はメンバーがほぼ総入れ替え。同夏からのレギュラーは遊撃手・関根賢成(2年)のみで、ベンチ入りしていたのも右腕・市川歩夢(2年)、左腕・武田歩(1年)だった。高野監督は言う。
「正直、例年のチームに比べて、客観的に見ても、1学年上のほうが強いですし、そのさらに1学年上はもっと強かったわけです。 この秋はベスト4という結果もあり、21世紀枠の県推薦、関東・東京地区の推薦に評価していただいたと思いますが、決して彼らの実績だけではないということです。それ以前の先輩たちがベスト8、ベスト4に進出したその積み重ねがあったからこそという背景を忘れてはいけません」
具体的な戦力について、こう分析する。
「辻岡(辻岡瑛人、2年)が腕の位置を横にして一生懸命粘り強く投げたのと、キャッチャーの並木(並木慎之介、2年)も決してうまい子じゃないんですけど、本当に地味に人の嫌がることもやれる子。中学時代は控えで、試合に出てないですから。中学時代、自分の息子(長男・浩樹)が在籍していたチーム(埼玉杉戸ボーイズ)で、主将の森田佑樹(2年)もですが、面倒見が良い。並木はいつも腐らず地道にやっていた子で、上尾を志望してくれたわけです」
主戦格の辻岡は2学年上の兄が上尾高野球部に在籍していた縁もあり、同校に進学した。もともとはオーバースローだったが、高野監督の勧めにより今春、腕を下げた。「上位校のチームに勝つには、腕の回し方とか見ても、横のほうがいいだろうと判断しました。ものすごく可動域が広いのでストレート、変化球ともボールにキレが出ました。1979年夏の甲子園で浪商と熱戦を展開したサイドスローだった『
仁村徹二世になれ!』と言い続けています」。最速130キロは球速表示以上に打者の手元で伸びカーブ、スライダー、フォークとも精度が高い。
辻岡の今秋の背番号は10だった。高野監督はもともとエースとして考えていたが「立ち居振る舞いの部分で、『1』はまだ早い。背番号は関係ないと言いながらも、辻岡にはまだ渡せないという部分を残しておきたかったんです」。叱咤激励を込めた指揮官の配慮で、辻岡はこの秋で独り立ちした。25年はメッツでプレーしたエドウィン・
ディアスを参考に、動画でも研究を重ねている。「一つひとつの勝利につなげるピッチングをしていきたいです」。
ダブルキャプテンの背景

不動の一番・小森が打線の火付け役となり、チャンスメークしていく[写真=BBM]
上尾高はこの秋、ダブルキャプテン制で臨んだ。二塁手の控えとして背番号14を着けた森田と、三塁ベースコーチを務める國井蒼太(2年、背番号20)である。森田は言う。
「自分たちの代は力がないということを、頭で理解した上で練習を重ねていきました。試合経験も乏しいため、その穴を埋めたのは、基礎基本のメニューの繰り返しです。夏休み期間は体調不良者を出すことなく、高野監督、片野部長(片野飛鳥)、神谷先生(神谷進、埼玉県高野連専務理事)の練習について行ったことが、結果に結びついたと思います」
もう一人の主将・國井の存在も大きかった。片野部長は言う。
「対外的なことは森田がやりますけど、運用的なところは國井が助けています。上尾の野球をよく知っており、森田とともに信頼が厚いです。『自分たちは弱い』という現実を受け止めていました。 それが逆にいい方に出た秋だったかかもしれません。弱いからどうする? ということを、この子たちなりにものすごく考えた秋。試合を勝ち上がるにつれて、スタンドの大応援の後押しもあり、成長しました」
不動の一番・小森俊太(1年)ら、今秋からのレギュラーは公式戦を重ねるごとに力をつけた。控え選手も充実する。背番号19は高野監督の長男・浩樹外野手(1年)はコンタクト力を武器に、代打で出場。私立の昌平中出身ながら、高校は上尾高を強く志望したという。
「勉強が中心で、野球を始めるのも遅かったんです。小学6年時からスタートした野球は、私はうまいなんて思っていないです。昌平に行きたい、勉強をやると言うから行かせたんです。 そうしたら、昨年の今ごろです。『俺、上尾行きたいんだけど』となったんです。反対をし続けていたんですが、それまでは自己表現をするような子ではなかったので『補欠の可能性は高いぞ』と厳しい現実を突きつけた上で、志望を認めました。昌平中時代に昌平高を応援した際、上尾と対戦すると、向かいのスタンドが見えるわけじゃないですか。その独特な雰囲気に惹かれた可能性もあるのか、と。正直、実力的には劣りますけど、誠実な姿勢でのし上がってきている子です」(高野監督)
上尾の野球とは

正捕手・並木は中学時代に在籍した埼玉杉戸ボーイズでは控え捕手。努力と根性でレギュラーを手にした[写真=BBM]
12月12日。21世紀枠の関東・東京地区の選出は修学旅行中、那覇空港で知った。主将・森田は正直な思いを明かす。
「素直にうれしい気持ちもありましたが、もう一つの感情があったのも事実です。仮に21世紀枠で選出していただいた場合、いまの自分たちの力だと、甲子園で何もできずに終わってしまうと思いました。でも、ここで成長できる時間、チャンスをいただいた。今秋の浦和学院高との県大会準決勝ではスコア(3対4)以上の実力の差を感じました。技術はもちろんのこと、体つきが明らかに違う。この冬場はウエート・トレーニングと体重増に取り組んできました。練習中の補食もその一つで、用意してくれるマネジャーには感謝しています」
上尾高の野球とは何か。傑出した選手はいない。上尾高OBの片野部長は「普通の子どもたちが最大限の力を発揮して、ここまでやれるのは価値があると思います。一生懸命やることの尊さを、彼らが示している」と明かす。主将・森田は力を込めて言う。
「高野先生を中心に、グラウンドの雰囲気をつくり上げてくれていて、その指導に対して、自分たちも前向きに、真剣に取り組む。一塁までの全力疾走、その一球に対しての一生懸命さ。手を抜かず、謙虚に頑張っていく姿勢こそが、上尾高校の野球です」
高校野球のあるべき姿

1年生四番・菊池は高校通算6本塁打。豪快なスイングで仕留めていく[写真=BBM]
上尾高の過去の甲子園出場はすべて昭和の時代の春3回、夏4回。春は1982年、夏は高野監督が控え捕手(背番号12)だった84年を最後に、全国舞台から遠ざかっている。
「本音としては、甲子園には勝って行きたいのが当然なんですけど今回、頑張っていることを認めていただいたのはありがたいことですし、何よりもOBも気にしてくれています。一生懸命やってきた結果ですし、今後もこのスタイルで頑張っていこうと思います。ただ、この秋も負けているので、結局はどこかを改善しなければいけない。前回出場から42年。私の高校2年を最後に出ていないですが、変わらずに応援し続けていただける学校として、心の底からありがたく思っています。上尾高校のユニフォーム、この四文字を、応援してくださる方々に、恩返しの意味でも(甲子園で)届けたい思いはあります。見ている方々に『じゃあ、私も頑張るぞ!』と活力を与えるのも、高校野球のあるべき一つの存在意義だと思います」
上尾高は埼玉の高校野球界における「公立の雄」と言われ、私学優勢の勢力図にあって「希望の光」だ。全国47都道府県のうち、21世紀枠に選出されていないのは11府県(群馬、埼玉、長野、三重、京都、大阪、奈良、岡山、
広島、鳥取、福岡)。埼玉県勢が地区推薦に残ったのは今回で2回目。つまり、俎上に上がったのは上尾高だけなのである。26年1月30日の選抜選考委員会にて、全国9地区から2校が選出される。
取材・文=岡本朋祐