59歳でも衰えない情熱

NPB審判員歴28年の木内氏は2026年からCPBLへ舞台を移す[写真=BBM]
59歳、新たな挑戦である。
2025年までNPBで審判員を務めた木内九二生氏が26年シーズンからは台湾プロ野球(CPBL)に舞台を移してジャッジする。
「NPBの審判員を志して28年間、実際にグラウンドで夢のような時間を過ごさせていただきました。今年の11月には60歳を控え、周囲からは『還暦で無謀なチャレンジ』と言われることもありますが、審判員としての情熱は衰えていません。(現役としての)ピークも感じていません。まだ、うまくなりたいという欲も持っています。NPBでは大した実績はなく、上手なアンパイアでもありませんが、多くの場面に立ち会わせていただきました。私はアマチュア野球の審判員からプロ野球の世界に飛び込んだんですが、かつては、西大立目永さん(元・日本野球規則委員会委員長ほか)、最近では小山克仁さん(アジア野球連盟審判長)から世界の野球を見聞きしていく中で、私自身も日本だけではなく、海外の野球を見てみたいと思うようになりました」
恩師との出会いが転機

昨年10月12日、DeNAと巨人によるセ・リーグCSファーストステージ2回戦で二塁塁審を務め、NPBでのキャリアに区切りをつけた[写真=大泉謙也]
日大明誠高(山梨)、拓大を通じて外野手として活躍し、大学卒業後は大昭和製紙北海道で3年プレー。我喜屋優監督(現・興南高監督)の下で1年目(1989年)には都市対抗準優勝を経験した。引退後は社業に専念する傍ら、日本野球連盟(社会人野球)の北海道地区連盟の審判員を務めた。この間、恩師との運命的な出会いがあった。全国講習会で西大立目氏から「審判員とは、人生の縮図である」と直接指導を受けた。ゲームを裁くアンパイアとしての「三原則」を学んだのだ。
◎白球は生涯の友
◎規則は人生の道しるべ
◎審判は心の修養
木内氏の真摯かつ熱心な姿勢が、西大立目氏の目に留まる。キャリア6年目(97年)、都市対抗(東京ドーム)で3試合をジャッジした。西大立目委員長から「委員長枠」として抜てきされたのだという。都市対抗後、社内の人事異動があり、静岡県富士市へ転勤となった。このタイミングでいったん、野球の現場から離れたが、審判員への思いが再燃。木内氏は西大立目氏にプロ審判員を目指すことを相談すると、同氏の紹介により、セ・リーグの採用試験を受け、1998年3月に入局した。
2002年に一軍初出場。10年にセ・パ審判部が統合し、以降はパ・リーグ公式戦も担当し、25年までに1914試合に出場した。日本シリーズ2回、オールスター3回、プレーオフ(CS)には14回、12年にはアジアシリーズで名を連ねた。
「審判員にとって試合とは、発表会ではありません。アピールの場でもありません。対戦チームによる素晴らしい野球が行われるために、我々がいます。私たちは、究極のプレッシャーに挑み、無の境地にならないと(正確な判定を下す上での)直感は働きません。真剣勝負の現場に立ち、緊張感の中でゲームを進行し、ファンの方々に『感動した』『良い試合だった』と満足していただくことで、審判員は達成感と充実感を得られるわけです」
木内氏は中村天風氏を師事しており、自己啓発の書籍などを読みあさり、呼吸法などを勉強し、最高の精神状態で目の前の一戦に備えていた。資本である体のケアも欠かさず、日々のトレーニングも惜しまなかった。超一流のプロ野球選手のプレーに対し、アンパイアも究極のプロ意識で臨んでいたのだ。
現役として成長し続ける

昨年11月、現地・台湾で視察。CPBL審判員と交流を深めた[写真=本人提供]
59歳。なぜ、CPBLへの転身を決意したのか。きっかけは12年のアジアシリーズでの交流だった。以降も17、23年のNPBアンパイアスクールで接点を持った。25年2月の交流イベントでは講師として参加。CPBLと親交を深める中で、関係者から「力を貸してほしい」との話があった。木内氏の心は、次第に傾いていったという。定年まで残り1年を残して、NPBを退職し、新たなステージへの挑戦を決めたのだ。
「1990年にCPBLが発足した際、立ち上げの段階で複数のセ・リーグの元審判員が台湾でお手伝いをさせていただいた経緯があります。私自身としてはOBとして、引退してから行くのは失礼だと考えたんです。体が動くうちに、行きたいと思いました。台湾の審判員は皆、熱心で勤勉です。私は指導員としてではなく、彼らと一緒にグラウンドに立って、成長していきたいと思いました。また、CPBLには多くの日本人が指導者、選手として活躍しています。ただ、言葉の壁もあり、公式戦を円滑に運用していく上で、日本人の審判員がいてもいいのでは、と考えたのです」
木内氏は昨年から中国語・台湾華語を勉強し、日本と台湾の歴史についても、書籍を熟読してきた。コミュニケーションを取っていく上でまず、知識と教養を身につける。台湾の文化を知り、深く理解することで、相手との距離を縮める。そこで、全幅の信頼を得ることができる。
また、一つひとつの所作についても気を配る。昨年、野球殿堂入りした富澤宏哉氏(元セ・リーグ審判員)からの助言で「判定した際は、コンマ何秒でも止める。丁ねいなジャッジを心がける」ことを大切にしてきた。木内氏は毎年、オフシーズンにNPBアンパイアスクールのほか、一般の初心者を対象とした講習会など、後進の指導にも尽力した。
「講師としてまず、私自身が心から愉しまないとダメなんです。でないと、参加者に私たちの思いが100パーセント伝わりません。学童野球の現場における、特にお父さん審判員には興味と関心を持っていただき、不安を取り除く。参加者から講習会後『次にグラウンドに立つのが、楽しみになりました』という感想を聞いたときが、最大の喜びです。私たち審判員の役割は3つ。正しく、愉しく、安全に。私は先人から多くの指導を受ける機会に恵まれました。審判員の技術とは5年で極められるものではありません。だからこそ30年、40年と学び続けるわけです。次の世代に、審判員の魅力を伝えていきたいと思います」
今後、木内氏は2月下旬に渡台予定で、CPBLのシーズン開幕に備えるという。今回の国際交流は双方に意義があり、多くの成果を残すはずだ。
取材・文=岡本朋祐