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「故障なければエース格」 巨人新加入の右腕に他球団から警戒の声が

 

悔しさが残るシーズン


昨年は楽天で5勝をマークしたハワード


 万全のコンディションであれば、日本球界でエース格になれる――。他球団のスコアラーが高く評価する右腕が、巨人への入団が決まった前楽天のスペンサー・ハワードだ。

 来日1年目の昨年は初登板から5連勝。巨人は6月6日の交流戦で対戦したが、7回まで4安打無得点に封じ込まれ、三塁すら踏めなかった。直球は140キロ台後半と決して速くないが、スライダー、チェンジアップ、ナックルカーブと変化球の質が高く、制球力も良い。懸念される点は稼働力だ。腰の張りを訴えて開幕二軍スタートとなり、5月中旬に一軍昇格したが、指先のコンディション不良や上半身の張りを訴えて9試合登板にとどまった。5勝1敗、防御率2.22と登板した試合では安定した投球を見せていたが、48回2/3は合格点をつけられない。ハワードも悔しさが残るシーズンになっただろう。

巨人へ移籍で活躍した助っ人


 巨人は先発の層を厚くするために、前レイズのフォレスト・ウィットリー、前レッドソックスマイナーのブライアン・マタを獲得したが、日本球界で通用するかは現時点で計算できない。ハワードは日本の野球に適応力の高さを証明していることが、心強い材料だ。巨人がNPBの他球団から獲得した外国人投手が、活躍したケースは過去にある。

巨人移籍で2年連続2ケタ勝利を挙げたメイ


 阪神と巨人の両球団でプレーした外国人選手第1号のダレル・メイはその一人だ。低迷期の阪神で2年間在籍して計10勝にとどまったが、巨人に移籍すると2000年に12勝をマークしてリーグ優勝、日本一に貢献。翌01年も10勝と2年連続2ケタ勝利を飾り、メジャー復帰を求めて同年限りで退団した。

 ヤクルト、巨人、ロッテでプレーしたディッキー・ゴンザレスも移籍が活躍の転機になった。ヤクルトで08年に1勝しか挙げられず自由契約になり、巨人に入団。外国人枠の関係で開幕は二軍スタートになったが、この間に当時二軍投手コーチだった小谷正勝氏の指導でチェンジアップを習得したことで、投球の幅が広がった。5月に一軍昇格すると白星を積み重ね、23試合登板で15勝2敗、防御率2.11とキャリアハイの成績をマーク。最高勝率(.882)のタイトルを獲得した。

人知れず苦労を乗り越えたレジェンド


 異国の地で活躍することは、非常に難しい。球史に名を刻む選手たちも人知れず苦労を乗り越えてきた。阪神時代に2度の三冠王を獲得するなど、「史上最強の助っ人」の呼び声高いランディ・バースは週刊ベースボールのインタビューで以下のように語っている。

「最初のシーズンとなった83年はオープン戦の最後の試合、巨人戦で左手首に死球を受けて骨折してしまったんです。6週間戦列から離れて、そのうちの4週間は地元のオクラホマに戻って治療です。リハビリにも思った以上に時間がかかって大変でした。シーズンに入ると日本の投手の配球に戸惑いましたね。3ボール1ストライクやフルカウントの際に、メジャー・リーグでは必ずストレートが来るものなんですが、日本ではフォークボールやブレーキングボールを多用してくるわけです。これに対応するのに、非常に苦労したのを覚えていますね。自分は頭が固いので、順応するのに2年かかりました」

 同じく阪神で最多安打3度、首位打者1度獲得するなど安打製造機として活躍したマット・マートンも「阪神に入団することが決まったあと、日本に5年の居住経験のあるアメリカの友人から話を聞いたことがありましたね。さらに、日本でプレー経験のある選手と話をしたり、本を読んでみたり情報収集はしました。映画の『ミスターベースボール』(トム・セレックが助っ人大リーガー役、高倉健が中日の監督役で共演)も見ましたしね。さまざまなことをしました。ただ、それはあくまでほんの少しの準備であり、実際に日本に来て関わってみないと、日本の野球も文化も完全に理解するのは難しいということに気付きましたよ」と振り返っている。

 米国と日本の野球の違いだけでなく、生活スタイルにも適応する必要がある。ハワードは楽天で過ごした1年間を成長の糧に、巨人で大輪の花を咲かせられるか。

写真=BBM
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