練習参加の経緯と意義

左から3人目がシンガポール代表・菊名監督。その右横がHonda・甲元GM[写真=BBM]
シンガポール代表チームの5選手が1月25日から5日間、社会人野球の名門・Honda硬式野球部の練習に参加した。同野球部の活動拠点である笠幡球場(埼玉県川越市)で思う存分、汗を流し、多大な成果を残した。
シンガポールは世界野球・ソフトボール連盟のWBSCランキング46位(2025年12月31日現在)。同HPに掲載されている85カ国・地域における順位付けであり、WBCのほか、世界規模の大会実績はない。選手強化の一環として、今回の国際交流が実現した。
シンガポール代表を指揮する菊名裕貴監督は、5日間にわたる練習参加の経緯を語る。
「2年前にHondaの甲元訓GMとお会いする機会があり『シンガポールチームとホンダで、世界の野球交流をしましょう』というお話をいただき、さまざまな調整を経て、ついに、この日を迎えたわけです。私も日本の野球で育ち現在、シンガポールチームには指導者として携わらせていただいていますが、日本を離れてみて、改めて日本の野球の素晴らしさ、伝統を感じ、日本のチームと交流させていただきたいと思いました。こういった機会を与えていただき、ありがたく思っています」
日本のアマチュア野球最高峰のレベルに接し、夢のような時間を過ごしたという
「選手とも練習後、毎日コミュニケーションを取っているんですけど『どうだ?』と聞くと『ものすごく楽しい』と。シンガポールは正直、野球のレベルもそうですし、環境的にも充実しているとは言えない状況で、これだけ素晴らしい施設とスタッフ、選手と同じ空間で汗を流せるのは幸せなことです。自分自身の成長につながっているのをすごく感じているようで、チームに持ち帰って還元し、次に生かしていきたいと思っています」
アセットを最大限活用
内野手だった菊名監督は仙台育英高出身だ。
上林誠知(
中日)、
熊谷敬宥(
阪神)、
馬場皐輔(
DeNA)と同級生で、3年時は二塁手として春夏連続甲子園出場。東北福祉大では主将を務め、卒業後は社会人・バイタルネットで2年、独立リーグ・福島レッドホープスで3年プレー。引退後は茨城アストロプラネッツでコーチを務め、そこで在籍していたシンガポール代表選手との出会いが、菊名監督の心を突き動かした。「日本の野球を学びたい」との熱意、要望に応えるべく、2024年10月に監督に就任した。
「今回、練習参加しているメンバーは25歳前後なんですが、前任の内田秀之監督が中学生ぐらいの時から熱心に指導されてきた選手たちで、心の底から野球が大好きなんです。シンガポールは、ソフトボールが盛んです。グラウンドは2面あるんですが、ソフトボール仕様で、野球よりも優先される。マウンドはなく、練習の際は傾斜のある機材を持ち込んでいます。国内に単独の野球チームは存在せず、毎年、トライアウトを実施し、ナショナルチームを編成して練習し、大会に参加しています。兵役があります。全員がアマチュア選手で、仕事をしていたり、学生もいます。昨年からは U-18代表チームを正式に始動させたんですが、国内ではナショナルチームとして活動するしか選択肢がないので、そういったところが競技普及の上で課題です」
菊名監督は野球の指導者という顔だけではなく、シンガポールでは旅行関係、日本国内では保険、不動産、クリーニング事業を展開。世界的な野球の発展に貢献しながら、実業家としても、活動の幅を広げている。
菊名監督の情熱、真摯な姿勢、そして熱意に惹かれたのが、Honda硬式野球部の運営の中心を担う甲元訓GMだ。チームが推し進める「企業スポーツの新たな価値を創造する」というビジョンと、見事に合致したのだった。
一昨年はアメリカから指導者や選手を呼び、昨年5月には台湾の社会人チームと親善試合を開催、そして10月にはタイへ道具支援をするなど、Hondaは国際交流を積極的に進めている。
「菊名監督は単身でシンガポールに渡り、野球への強い思いを持って挑戦している。夢を追いかけ、意志を持って行動している。そうした姿勢は、Hondaの企業姿勢そのものだと感じました。もちろん、私たちは都市対抗で優勝することが最大の目標で、従業員の活性化、士気高揚が活動の目的の一つとしてあります。一方で、野球競技の底辺をしっかり拡大していくというところに目を向けて活動することにも、意義があると考えています。日本だけで普及・振興活動を展開するのではなく、世界に目を向け野球競技をメジャースポーツに発展させる。まだまだ野球はマイナースポーツであり、我々がまず着手できるアジア圏での普及が、世界での発展につながると信じています。社会人野球の存在価値を高め、企業スポーツの新たな可能性を広げていくためにも、Hondaは『国際的価値』という視点でリードしていきたいと思っています。現場を任せている多幡(雄一)監督は現役時代より国際経験も多く積んでおり、取り組みへの理解も深い。Hondaの持つアセット(財産)を最大限活用し、新たな価値を創造するために、活動していきたいと思います」
夢実現に向けた挑戦

シンガポール代表・菊名監督は2024年10月に就任。実業家として仕事に全力で向き合いながら、異国の地での野球普及にも熱心だ[写真=BBM]
甲元GMは2023年のアジア競技大会(中国)で侍ジャパン社会人代表コーチを歴任。大会期間中、シンガポール代表・内田監督(当時)からの依頼により、投手陣を指導したことがある。内田前監督から菊名監督へと引き継がれた人の縁もあって、今回の練習参加に向けて、話が進められた背景がある。
Hondaは3月からの公式戦を控え、強化練習の真っ只中。人として成長することが、技術向上につながる。シンガポール代表との合同練習は、選手個々の学びの場だった。
「シンガポールの選手たちは純粋で真面目、勤勉なんです。彼らは仕事や学校がある中でも、今回の練習参加のために日程調整して、来日したと聞いています。多様な価値観に触れること、何より学ぼうとするその姿に触れるだけで、時間の尊さや恵まれた環境で野球ができることへの感謝、喜びなどいろいろなことを感じ取れる良い機会になるのではないかと思っています」(甲元GM)
多幡監督は有意義な時間であったと語る。
「野球文化への貢献、社会人野球の価値をいかにして上げるか。私は甲元GMと一致した考えを持っています。シンガポール代表の選手たちは、とにかく向上心がある。あとは、国を背負っているという責任感が、彼らの一つひとつの行動から垣間見えてくる。彼らが将来、シンガポール代表チームを指導する立場になり、国内の野球をどのように発展させていくか。今回の練習参加は、将来的なビジョンを描きながら動いていると感じました。私たちから吸収しようとする姿勢は、頭が下がるばかり。こうした勤勉さは菊名監督によると、幼少時からの教育が確立され、国民性として根づいているのだ、と。多様性の時代ですので、さまざまなバックボーンを持った人たちと国際交流する意義は大きいです」
双方にとってメリットのある5日間だった。Honda硬式野球部との国際交流を経て、菊名監督が描くビジョンは明確である。
「東南アジアの大会でもメダルを取ったことないんですけれども、一昨年はタイ、昨年はインドネシアとの3位決定戦でサヨナラ負け。メダルをかけたゲームを経験できたことは財産でした。東南アジアはフィリピンが頭一つ抜けている戦力構図ですので、我々もまずはそこに勝つことを目標にしています」
目先のターゲットとしては今年9月、愛知で開催されるアジア競技大会への出場だ。
「東アジア大会には毎年、参加しているんですが、アジア競技大会は規模が違います。日本開催でもあり、他の国・地域もトップの選手がエントリーするので、こういった機会に参加して一緒に戦うのもなかなかできない経験なので、ぜひともその場に立ちたいです」
菊名監督はその先も見ている。
「中長期的にはしっかりとした目標設定しておりまして、やはり、WBC、オ
リンピック、こういった世界大会に出場する。レベル的にはまだまだなんですけど、こういった交流をきっかけに、一つずつ階段を上がっていきたいと考えています。彼らは前回、2023年のWBC決勝で
大谷翔平さんと
トラウトさんの対決を見て、あの舞台でプレーしたいという思いがより一層、強くなったという話を聞きました。まずは、東南アジアでも目立つようなチームになっていきたいと思っています」
5日間の日程で中日のオフを利用して、野球用具の買い物に出かけたという。シンガポール国内には十分なアイテムがそろっておらず、インターネット等で買い求めるが、どうしても高額になる。リーズナブルで、より良い商品がそろっている日本のスポーツ店に足を運び、国内にいる仲間から依頼された用具を購入。観光も実施するなど、日本の文化に触れる機会になった。
アジアの野球が発展しなければ、日本の野球界の未来も拓けない。環境や立場の違いを超えて、同じ「野球への情熱」を持つ者同士が夢の実現に向け挑戦を続けることで、野球競技の未来を切り拓いていく。国内にとどまらず、世界へと目を向ける先進的な取り組みをHonda硬式野球部が示してくれた。
取材・文=岡本朋祐