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愛すべき助っ人たち

野村克也監督に始まったヤクルト黄金時代…ハウエル、オマリー、ペタジーニのMVPイヤー【愛すべき助っ人たち】

 

ペタジーニは21世紀のセ・リーグ第1号


野村ヤクルトが初優勝を飾った1992年、MVPに輝いたハウエル


 平成のセ・リーグMVP第1号は1989年、巨人ウォーレン・クロマティだった。巨人戦のテレビ中継が黄金時代を迎えたのが、その80年代。ただ、時代は変わりつつあった。翌90年にはヤクルトで野村克也監督が就任。78年に初のリーグ優勝、日本一に輝きながらも、80年代は暗黒時代といえるほど低迷していたヤクルトが、じわじわとセ・リーグの勢力図を変えていくことになる。野村監督3年目の92年には、14年ぶり2度目のリーグ優勝。その92年のMVPこそが、来日1年目のジャック・ハウエルだった。

 序盤は両足の肉離れなどもあって本調子ではなかったハウエルだが、後半戦に入ると爆発。7月にサイクル安打を達成すると、8月には13本塁打、最終的には後半戦だけで30本塁打という猛打でチームを引っ張り、38本塁打、打率.331で本塁打王、首位打者の打撃2冠に輝いた。その翌93年は無冠に終わり、MVPに選ばれたのもチームメートの古田敦也だったが、ハウエルは5本ものサヨナラ本塁打を放つなどリーグ連覇に貢献。2年連続で西武との対決となった日本シリーズでは第1戦(西武)の1回表に先制3ランを放ち、日本一への号砲としている。

 ヤクルトは94年こそ王座を巨人に奪われ、その巨人へハウエルも移籍したが、95年にはV奪還。このときのMVPがトーマス・オマリーだった。阪神で首位打者も経験しながら本塁打が少ないことで自由契約となり、この95年にヤクルトへ。打率は下げたが、それでも3割はクリア、自己最多の31本塁打を放つ活躍。オリックスとの日本シリーズでは第4戦(神宮)の小林宏との14球の対決は語り草だ。オマリーは翌96年に自己最多の97打点も、オフに退団している。

 さらに時は流れ、21世紀のセ・リーグMVP第1号はヤクルト3年目のロベルト・ペタジーニだった。キャリアハイは来日1年目の1999年だったが、2001年は四番打者として39本塁打、127打点で本塁打王と打点王の打撃2冠。ヤクルトも4年ぶりに日本一を奪還した。ペタジーニは04年から巨人で2年間、10年にはソフトバンクで1年だけプレーしている。

写真=BBM
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