史上4校目の春連覇ならず

横浜高は初戦敗退。史上4校目の春連覇はならなかった[写真=早浪章弘]
[1回戦]神村学園(鹿児島)2-0横浜(神奈川)
甲子園の試合後、取材。勝者は球場スタンド下の役員通路の奥、敗戦校は手前にあるインタビュールームで取材を受ける。
横浜高は史上4校目の春連覇を逃した。神村学園高との1回戦で敗退。プロ注目の154キロ右腕・
織田翔希(3年)は8回途中2失点と力投したが、打線の援護に恵まれなかった。相手の右腕エース・龍頭汰樹(3年)のボールをとらえ切れず、8回までに4安打に抑え込まれた。0対2で迎えた9回裏に二死満塁と見せ場をつくったものの、ホームが遠かった。最後まで決め手に欠けた。
横浜高・高山大輝部長はインタビュールームで、一つひとつ言葉を選びながら話した。
「何もできませんでした。龍頭投手は1球1球を丁寧に考えながら内、外、変化球を突いていた。もう一つ、工夫ができなかった。対外試合解禁以降も良い形で調整し、ケガ人も出ず、この初戦にすべてをかけてきましたが、神村さんのほうが上でした。相手打線は上位打線の4人が機能していましたが、ウチは……。その差が出てしまった」
高山部長は2020年4月に就任した村田浩明監督とのコンビで、チームを強化してきた。横浜高は昨春のセンバツで19年ぶり4度目の優勝、夏の選手権は8強に進出した。3季連続甲子園の経験者がいた一方で、初めて聖地の土を踏んだ選手もいる。ここが、難しい。
「甲子園とは『変わってしまう場所』なんです。大舞台でも変わらない、勝負強さを兼ね備えた選手を育てていかないといけない。昨秋も専大松戸(千葉)さんとの関東大会準々決勝を落としており『勝負試合』で負けている。このままだと、夏も『勝負試合』で力を出し切れないかもしれない。敗因をもう一度、冷静に考えて、時間は限られていますが、夏までにできることを取り組んでいきたいです」
名門校再建の切り札
どうしても勝ちたい理由があった。名塚徹特別顧問(神奈川県高野連元専務理事)が3月末で定年退職する。教員生活42年。勝利で送り出すことができなかった。
「申し訳ない気持ちでいっぱいです。(赴任から)5年間、苦しいときに、いつも助けてもらっていましたので『恩返しの春』にしたかったのですが……。本当に残念です」
2019年9月末、横浜高に激震が走った。当時の指導者が不適切指導により解任され、17年からコーチだった高山部長が監督代行を務めた。20年4月、神奈川県立白山高校の監督だった村田監督が横浜高の監督に就任するまで、不透明な状況が続いた。「果たしてこの先、どうなるのか……。不安の中でずっとやっていました」。高山監督代行が約半年、チームを預かってきたからこそ、現在の活動がある。
名塚氏は21年4月、母校の教員に赴任し、野球部長に就任した。名門野球部を立て直す上で、もう一人の切り札だった。横浜高、国学院大を経て、県立高校4校で指導し、神奈川県高野連の専務理事を10年務めた。21年3月で県立高校を60歳で定年退職。村田監督とは霧が丘高時代の同僚で、名塚氏が村田氏を神奈川県高野連の理事に勧めたという深い縁がある。村田監督にとっては特別な上司であり、生徒の心のケアを一任してきた。「横浜高校野球部を再建する上で、名塚先生は絶対に必要でした」(村田監督)。22年には部長職を高山氏に継ぎ、自身は特別顧問に就任した。この5年間、母校のために尽力。村田監督、高山部長を側面からサポートしてきた。
「昨夏の甲子園が最後かな、と思っていましたが、こうして最後、この大舞台に連れてきてもらい、生徒たちには感謝しています」
甲子園を引き上げるまでケア
名塚特別顧問はインタビュールームでは、チームの荷物を片づける補助員の部員たちを細部まで指導。分刻みで大会が進行する甲子園大会では、迅速な行動が求められる。かつては大会を運営する立場であり、出場校としての動きを十分に心得ている。球場を引き上げるまで、現場を縁の下から支えていた。
7年前のどん底の状況から3人が手を取り合って、名門校の伝統を守ってきた。村田監督と高山部長は、野球部の後輩にあたる。
「村田と高山、この2人でやっていれば良いチームになる。野球をよく知っているし、情熱もある。横浜高校の卒業生は皆、横浜高校が大好き。これからもOBという立場からずっと応援していきます」(名塚特別顧問)
勝利という「恩返し」はできなかったが、高校野球は学校教育の一環。結果を残せればなお良いが、人材育成という側面もある。熱血指導で、立派な高校生、人という財産を残したのは功績。教員生活の一区切りを甲子園で迎え、最高の「はなむけ」となったはずだ。
取材・文=岡本朋祐