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プロ1年目物語

【プロ1年目物語/黒田博樹編】屈辱の1イニング10失点から始まった日米通算200勝右腕のプロ野球人生

 

どんな名選手や大御所監督にもプロの世界での「始まりの1年」がある。鮮烈デビューを飾った者、プロの壁にぶつかり苦戦をした者、低評価をはね返した苦労人まで――。まだ何者でもなかった男たちの駆け出しの物語を『プロ野球1年目の分岐点 25歳の落合、18歳の大谷』(PHP新書)が好評発売中の中溝康隆氏がつづっていく。

吹き飛ばされた小さなプライド


広島1年目の黒田


 そのルーキーは、二軍戦で1イニング10失点を喫した。

 広島カープの黒田博樹である。入団間もない二軍のオープン戦で、滅多打ちを喰らい由宇球場のマウンドに呆然と立ち尽くした。二軍の安仁屋宗八監督は、じっとその様子を見つめ黒田を代えようとしなかった。

 上宮高時代、3番手の控え投手にすぎなかった黒田は、専修大学に進学すると観客のほとんどいない2部リーグの神宮第二球場で下積み生活を送るが、東都大学リーグ1部に昇格した四年時には、150キロをマークする“神宮最速右腕”と注目を集める存在となっていた。1996年のドラフト会議では、無名時代から熱心に自分の投球を追い続けてくれた広島を逆指名する。1位の澤崎俊和(青学大)と2位の黒田は、それぞれ背番号14と15を与えられ、東都の即戦力右腕コンビと話題になるが、大学時代の実績は全日本アマチュア選手権の優勝投手となった澤崎の方が遥かに上だった。黒田自身も、自分の実力に自信があるわけではなく、大学四年時の夏までは卒業後、社会人チームに進もうか迷ったという。

1996年12月に行われた入団会見。後列左から3人目が黒田


 それでも、1996年12月24日のカープ入団発表の席で、黒田は「入団してからは(ドラフト)1位も2位もありません。澤崎に負けるつもりもありません」ときっぱり宣戦布告。ひな壇から降りたあと澤崎は、「どうして一緒に頑張ろうと言ってくれないのかなあ」と困惑気味につぶやいた。控え投手の高校時代から、黒田は常に先に行くライバルの背中を追う側だった。1997年3月8日、東京ドームで開催された12球団から総勢56名の新人選手が参加する「日清製粉 新人戦」で、好投した黒田はホープ賞を獲得。パスタ1年分と賞金50万円が送られた。しかし、直後に二軍のオープン戦で、10失点の大炎上だ。この日、黒田の「逆指名入団のドラフト2位」という小さなプライドは吹き飛ばされた。

「ダグアウトに戻っても、呆然とするばかりだった。試合が終わって、安仁屋監督はみんなが見ている前で僕に向かって話をした。『お前、今日でプロの厳しさを分かっただろう』。もしかしたら油断していた僕の気持ちを見透かしていたのかもしれない。もう、ただただ悔しいと言えばいいのか、情けないと言えばいいのか……」(決めて断つ ぶれないために大切なこと/黒田博樹/ワニ文庫)

一軍テストに一発回答で合格点


一軍昇格後は本領を発揮し、好投を続けた


 本当に自分はプロでやっていけるのだろうか。ドラ1の澤崎が開幕から一軍で登板していたこともあり、寮のテレビで試合を見ていると居ても立っても居られなくなり、黒田は思わずテレビを消してウエート・トレーニングをやり出したこともあったという。4月にウエスタン・リーグのオリックス戦に先発すると初回に味方の拙守もあり、いきなり5失点。3回までに7失点を喫するも、4回からは立ち直り、8回まで投げ切った。打たれても育てるために投げさせる。黒田自身は気づいていなかったが、澤崎だけでなくドラフト2位の黒田もカープの強化指定選手だったのだ。

 そして一軍昇格するとすぐ、4月25日に東京ドームの巨人戦でプロ初登板初先発。この大抜擢に黒田は1失点完投勝利という最高の結果を残してみせた。被安打6、9奪三振、1四球の危なげない投球で、プロ初完投初勝利。試合後のヒーローインタビューで背番号15は、「逃げたら打たれる。受け身はダメだと自分に言い聞かせて投げました」と喜びを口にした。黒田の父・一博さんは、元南海ホークスの外野手だったが、1951年から3年連続で出場した日本シリーズではいずれも巨人に敗れていた。息子の博樹が、親子2代の悲願でもあった「打倒巨人」を達成したのである。

週刊ベースボール1997年6月30日号では澤崎[右]とともに表紙を飾った


 一軍テストに一発回答で合格点の投球を見せた黒田は以降、先発ローテに定着する。6月3日の阪神戦、9回まで毎回ランナーを出しながら粘りの投球で、セ・リーグ新人一番乗りの完封勝利。10日の中日戦では8回1失点で規定投球回に到達すると、自チームの大先輩・大野豊を抜いて、防御率1.80で一時的にトップに躍り出た。澤崎も6月14日の巨人戦で負けじと5勝目を挙げるなど、チーム内のライバルが、新人王のライバルへと騒がれ出す。新人が監督のスパイクを磨くカープ伝統の仕事もこなすルーキー右腕コンビは、「週刊ベースボール」1997年6月30日号において、なんと二人で表紙と巻頭カラーグラビアに抜擢されている。

セ・リーグ全球団から勝ち星


1997年6月24日の中日戦では本拠地初勝利をマーク


 ビジターのマウンドで勝負強さを見せる黒田だったが、広島市民球場でも、6月24日の中日戦に先発すると、1失点完投で4勝目。防御率1.94でトップに返り咲き、本拠地初勝利を挙げた。7月に入り3試合連続KOと疲れが見えたが、7月20日の横浜戦で1失点完投勝利。5勝目にして、早くもセ・リーグ全球団から勝ち星をマークした。

 後半戦は完全に息切れして1勝しか挙げられず、最終成績は23試合(135回)で6勝9敗、防御率4.40と前半戦から大きく数字を落とすも、規定投球回数に達し、4完投はチーム最多だった。しかし、ライバルの澤崎は12勝を記録して新人王を受賞と差をつけられる。エリート街道と無縁の黒田は、決して順風満帆のキャリアではなかった。2年目の1998年シーズンはわずか1勝に終わり、3年目も防御率6.78と伸び悩む。

 それでも、高校時代の控え投手から一歩ずつ這い上がったように、黒田は粘り強さと強靭な体を武器にカープのエースへと成り上がっていくのだ。その後、メジャーリーグで5年連続二桁勝利を挙げ、2015年の“男気”と話題になった広島復帰後、翌16年には日米通算200勝を達成。チームを25年ぶりのリーグ優勝に導き、現役引退後に背番号15は永久欠番となり、2024年には野球殿堂入りも果たしている。

 まさに球団史に残る大投手にまで登り詰めた黒田博樹のプロ野球人生は、1年目の春、あの屈辱の10失点から始まったのである。

文=中溝康隆 写真=BBM
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