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【高校野球】鎌倉学園高を32年指揮した武田隆元監督が残した「功績」「財産」とは

 

涙、笑顔の約3時間


武田氏は監督生活32年、計48年の教員生活に区切り。この日は由美子夫人[右]に感謝を伝える場でもあった[写真=BBM]


 約2年4カ月の高校野球で築かれた指導者と部員の絆は、永遠である。鎌倉学園高の第2グラウンドでともに汗を流し、血のにじむような努力を積み重ねてきた。昭和から平成初期。やや厳しい指導があったかもしれないが、お互いの深い信頼関係があるからこそ、良き思い出として振り返ることができる。世代を超えて、恩師の監督生活32年、教員生活計48年の功績に感謝し、労いの言葉が絶え間なく続いた。涙、笑顔の約3時間だった。

「武田隆監督 感謝の集い」が5月17日、横浜市内で行われ、約150人が出席した。何が驚きかと言えば、教え子以外の野球部OB、学校関係者も多数参加したことにある。まさしく「オール鎌倉学園」。武田氏の人望の厚さを、改めて証明するものだった。

 能代高(秋田)、早大を卒業後、1978年に鎌倉学園高の体育科教諭として赴任。硬式野球部の監督を率い、2009年秋まで指揮した。80年夏に神奈川大会4強へ導き、87年夏は若田部健一(駒大-元ダイエー)を擁して4強。昭和最後の夏となった翌88年夏は準優勝。長田秀一郎(慶大-元西武ほか)、加納大祐(専大-シダックス-パナソニック)がいた97年夏は4強、翌98年夏は西神奈川大会8強、04年夏、06年夏、08年夏(南神奈川大会)も8強と激戦区・神奈川で存在感を示してきた。

 武田氏は長きにわたる指導キャリアが認められ、11年には育成功労賞を受賞。24年4月から校長を務め、70歳を区切りとして今年3月末に退任し、鎌倉学園高を退職した。

 会冒頭から、感無量の武田氏の涙は止まらない。ハンカチが何枚あっても足りないほど。この日は由美子夫人が出席。高校野球の監督は極端な話、365日体制で、生徒たちと向き合う激務である。長女・麻衣子さん、次女・瑠衣子さんを含めた家族の理解がなければ、続けることはできなかった。武田氏にとっても由美子夫人に、感謝の意を示す場であったのだ。

 開会あいさつでは主催者を代表して、大森健司OB会長が語った。

「32年間という長い時間、私たちと付き合っていただいたのは、何よりも誰よりも監督ご自身が勝ちたい、そして甲子園に行きたいという思いが強かったんだと思っております。その思いを叶えさせてあげられなかったことに関しましては、一OBとして今でも大変心残りではありますが、その武田監督の思いを、我々OBの一人でもあり、武田監督の教え子でもある現監督の竹内(竹内智一)監督、そして多々納(多々納俊万)部長がしっかりと引き継いで、現役の選手たちとの奮闘の日々を、あの第2グラウンドで重ねております。そして、いつの日か武田監督とOBの皆さん、そして現監督と部長率いる選手たちの皆さんと一緒にあの甲子園で校歌を歌う、その時のためにも、OB会としましては精一杯、これからも支援を続けてまいりますので、今後とも皆様のご協力何卒よろしくお願いいたします」

ベストゲームは1988年夏の神奈川大会準決勝


武田氏は約150人の出席者の前で感謝を述べた[写真=BBM]


 特別企画が盛りだくさんだった。

 武田監督が選ぶ「32年間のベストナイン」に加え、登録20選手を選ぶ「ベンチ入りメンバー11人」が事前に撮影したVTRで流れた。一人ひとりに、選考理由。細かい分析で、説得力がある。いかに、真摯に生徒と向き合ってきたかが分かる、正しい「選手評価」であった。

 2本目の思い出VTRは第2グラウンドで撮影が行われ、監督生活32年を振り返り、ベストゲームには88年夏、横浜商高との神奈川大会準決勝を挙げている。県内で「Y校」と親しまれている強豪校の3年連続甲子園出場を阻止。5対4で勝利した。法政二高との決勝で敗退し、甲子園出場を惜しくも逃すのだが、武田さんは「私の執念にかけて、鍛えてきた成果」と語る一戦だった。この日はエース左腕・家城良則さんが出席。人差し指の皮がむけながらも、気力で最後まで投げ切った。家城さんは壇上で言った。

「尊敬する若田部さんら一つ上の先輩方は、前年夏、Y校に敗れていました。1年後、奇遇ながら準決勝でまたY校と当たり、優勝候補筆頭に対して、どうにか食い下がってやろうというところで、一番士気が高まった一戦でした。我々の代を含めて、あれがやはり、最高の試合。その後、決勝戦があり、負ける試合はフィーチャーされますけども、皆さんも含めて、何しろあの試合にすべてをかけたかったですし、私自身唯一、目標にしていた若田部さんを超えられた瞬間でもありましたし、残しておきたい試合の一つではあると思います」

 甲子園へ導くことはできなかったが、甲子園がすべてではない。一つの目標に向かって必死になって白球を追ったことに意義がある。武田氏は高校野球を通じて、多くの「人」を残した。武田氏は「最高傑作の教え子の一人」と明かす竹内監督にバトンを渡すことができたのが、鎌倉学園高の伝統をつないでいく上で、何よりも大きな仕事だったという。

 竹内監督は在学中、同校野球部で初代マネジャーに任命された。武田氏は回顧する。

「監督在任中、広島商で部長、監督、広島県高野連の会長も務められた畠山圭司先生の勉強会に参加したことがあるんです。そこで学んだのは『広商の野球は、立派なマネジャーをつくる。立派な主将をつくる。ここが育てば、チームは育つ』と。早速、実践しようと、適任者として竹内が在籍していたんです。チームをマネジメントし、主将よりも上の立場。第1号として、チームをより良くするために頑張ってくれました」

 竹内監督は早大でも野球を続けた。4年時は学生コーチとして、早大史上初の東京六大学リーグ戦4連覇に貢献。当時、早大を率いた野村徹監督の右腕として、全幅の信頼を受けてきた。卒業後、一度は一般企業に就職したが、恩師・武田監督から影響を受けた指導者への夢が捨て切れず、退職。新たに教員資格を取得し、母校に奉職し、2013年秋から母校を率いている。コンビを組む多々納部長は在学中、竹内監督の1学年下のマネジャーだった。

「竹内監督は熱い男。筋の通った男というか、これほどの熱い人と出会ったことはありません。試合前ノックで選手の姿勢、準備力に物足りないと感じたときは途中、ノックバットを置いてベンチ前でヘッドスライディングをするほどですから(苦笑)。一人だけ、ユニフォームが真っ黒。武田、竹内とつながれた魂は素晴らしいと思いますし、それが鎌倉学園の根底にあるのかなと思います。私自身も人として成長させてもらっており、何とか竹内が監督として甲子園に行き、武田に恩返しする。そこをサポート役として支えるのが、私の使命だと思っています。悲願の甲子園というのは必ず達成しないといけないと思いますし、武田が元気なうちにと言ったら失礼ですけど、観戦していただけるように、その思いを成就するのが竹内監督と私の恩返しだと思うので、今日、あらためて実感した次第です」

全員が「ベストナイン」


2013年秋から母校を指揮する竹内監督は決意を新たにした[写真=BBM]


 さて、ベストナイン、ベンチ入りメンバー11人を選出した「特別企画」に話を戻す。武田氏は、この会の最後のあいさつで、本音をこう語っている。

「第2グラウンドで汗を流して、同じ夢に向かって、その夢の実現のために頑張ってきました。私は指導者という立場でしたけれども、本当に今思えば皆様に成長させていただいたという思いでいっぱいです。甲子園に1回でも行ければ一番良かったですけども、それ以上価値のある監督生活だったと思っています。事務局から連絡があって、企画としてベストナイン、32年のベストナインを選んでくれということがあったので、まあ投げたり打ったり走ったりすることが少し上手な人たちを9人と20人を選ばせていただきましたが、私の中では鎌倉学園の第2グラウンドで3年間の野球部の活動をまっとうしたこの仲間たち全員がベストナインだ、と。本当に心から感謝いたします。僕は本当に野球に没頭して、野球だけに専念できた。支えていただいた皆さんが、こういう環境を整えていただいた。それから何よりも、家族が野球に専念できる環境をつくってくれたということが大きいと思い、本当に感謝しています。どうもありがとうございました」

 恩師の言葉を受けて、竹内監督は決意を新たにした。

「今なお、練習試合のお電話をしても、武田の教え子であるということで、困ることなく全国の学校さんとゲームを組ませていただきます。すべては武田先生につくっていただいた土台、武田先生からずっとつないでいただいてきたバトンが今土台となって、私どもはやらせていただいているというふうに思っております。これからも武田先生に道を作っていただいて、残していただいた一人として、この伝統をしっかりとつないでいきたいと思います。武田先生が卒業されて、残された者たちがしっかりとこの学校を前に進めていると皆さんに思っていただけるかどうか、本当に今が勝負だと思っております。武田先生のまた一つのご功績になるように、そして我々にとっては最大の恩返しができるように、これからも毎日しっかりと取り組んでまいります」

 鎌倉学園高硬式野球部は旧制・鎌倉中学校が創立された1921年(大正10年)と同時に創部。激戦区・神奈川において1962年春、69年春の甲子園出場を遂げた伝統校である。校訓は「礼義廉恥」。学業と部活動を本気で取り組み毎年、国公立大学のほか、早慶など難関私学にも多くの合格者を出している私立男子校だ。夏の甲子園出場をかけた神奈川大会では過去に6度の決勝進出も、いずれも高い壁に阻まれている。

 今春の県大会はセンバツ出場した横浜高との4回戦で3対4と、王者をあと一歩まで追い詰めた。悲願の夏の甲子園初出場を目指す今夏の神奈川大会は、第3シードで迎える。この日は応援団OBも駆けつけ、公式戦でしかできないとされる『鎌倉節』が特別に披露された。そして、応援団OBによるハツラツコールの後は、伝統の校歌を声高らかに歌った。武田さんの「感謝の会」をきっかけにして「オール鎌倉学園」の結束力を再確認する場となった。

取材・文=岡本朋祐
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