前日の「プレ研修」として実施

慶大の1年生58人が研修に耳を傾けた [写真=BBM]
58人に伝統と歴史がつながれた。慶應義塾体育会野球部は7月4日、1年生を対象とした「研修会」を実施した。三田ベースボール倶楽部として1888年(明治21年)創部から、戦前、戦後、そして、現在に至るまでの138年にわたる足跡を学んだ。
講師は三田倶楽部(慶應義塾体育会野球部OB・OG会)の福田修也氏が務め、約1時間にわたり熱弁を振るった。翌5日には東京六大学の野球部OB・OG会会長が中心となって活動する「六考会」(東京六大学野球を考える会)が主管である「東京六大学野球合同新人研修」が開催される。2012年からスタートし、今年で15回目。毎年、幹事校(今年は立大)のキャンパスに加盟六大学の1年生が一堂に会して行われる連盟行事だ。
第一部は「東京六大学野球の歴史と野球部員としての心構え」、第二部は「野球部員として身につけるべきコンプライアンス」について勉強する。慶大は「本番」を前に「プレ研修」としてこの日を設けた。あらかじめ知識を頭に入れてから臨めば、さらに見識を深めることができるというのが目的だ。学生たちは、姿勢を正し、真剣な表情で約1時間、耳を傾けた。
138年の栄光を記した膨大な資料

三田倶楽部・福田氏が講師を務めた[写真=BBM]
今回は1年生限定だったが、今年2月には一、二軍が合同で行われた鹿児島キャンプでも2年生以上を対象とした「研修会」を開催。慶大の部員は教養を身につける場に恵まれている。三田倶楽部・深澤晶久会長、東京六大学野球連盟の奈須英雄先輩理事ら、母校大学野球部の発展に尽力する卒業生の熱意そのものなのである。
この日の研修会ではA4用紙1枚の年表と17枚に渡る資料が配布された。第1回早慶戦(1903年)、本拠地グラウンド、合宿所の変遷、リーグ戦20連勝(連盟記録)の軌跡、天覧試合と天皇杯下賜の経緯、明治神宮野球場と東京六大学野球連盟との関係性、野球殿堂入り、慶應式スコアの歴史と記入方法、最後の早慶戦(1943年)、全日本大学選手権戦績(優勝4度)&明治神宮大会の戦績(優勝5度)、早慶6連戦(1960年)、オ
リンピック野球競技出場者、優勝記録、リーグ戦個人記録、歴代監督&戦歴、慶應義塾体育会野球部出身の政治家。予定の1時間を約20分オーバーするほど内容が濃く、栄光を記してきた学生野球のルーツ校であることがあらためて示された。
福田氏は言った。「歴史と重みのある組織の一員であることを自覚して行動してください」。そして、最後に新入生に向けてメッセージを送った。
「皆、入部してまだ数カ月。入って最初のシーズンに優勝(2026年春にリーグ制覇)できたのは、すごくラッキーなことです。実は私は4年間で1回も優勝していないんです。堀井監督も1回も優勝してない暗黒の世代。いまは結構、頻繁に優勝するから非常にうらやましいというか、いいなという思いで、見守っています。入ったばかりで優勝したから結構、安易に考えるかもしれないですけど、優勝というのはすごく大変なことなんです。だからいっぱい練習をし、技術を身につけて、野球に一生懸命取り組んで強いチームをつくってください。選手だけではなく、スタッフは野球の知識を高める。いかに自分がチームに貢献できるか考えて行動するということを意識してください」
野球の知識と愛を深める

三田倶楽部・深澤晶久会長は「今日、皆さんが聞いていただくのは、深い意味があるんです」と研修会の意義を語った[写真=BBM]
1年生3人が感想を語った。
▽原遼希内野手(慶應義塾高)
「今回のリーグ戦を通じて、六大学野球というのは本当にすごいものなんだなというのを感じました。どこで感じたかと言えば、全日本大学選手権の準決勝よりも、六大学のリーグ戦のほうが、観客が入ったり、なぜ、六大学が人気だったり、日本で一番レベルの高いリーグと言われているのかを考えたときに、今日お話ししていただいたような長い歴史、つないできてくださった方々の思いがあるので、それをどうやってつなげるかを考えたときに、自分たちもこの六大学の誇り、プライドを理解した上で、全力で本当に応援する側、神宮でプレーする側であっても、とにかく全身全霊でやっていきたいと思いました」
▽山口晴生捕手(彦根東高)
「慶應義塾大学は野球のそもそもの発展に、ここまで関与していたという事実を初めて知って、慶應義塾大学が野球界にとってとても重要なチームであるということと、慶應がその分強くある必要があるチームだということを感じました。このチームが強くあり続けるためには、僕たちが全力で野球に取り組む責任があるんだなと感じました。これから先の活動に対しても、より一層全力で挑んでいきたいなと感じました」
▽小泉楓アナリスト(頌栄女子学院高)
「どれほど慶應も早稲田も日本の野球界に貢献して、プロ野球はもちろん、六大学野球の現在の形に至っているのかという、その歴史の深さを知ることができました。今後はしっかりスタッフとしての責任を持って、お話していらっしゃったように、しっかり野球の知識と愛を深めていきたいなと思いました」
最後は自分に跳ね返ってくる

研修会後は日吉キャンパス内の陸上競技場のバックスタンド上にある平沼亮三氏の胸像を見学した[写真=BBM]
最後に堀井哲也監督が総括した。
「僕は一番印象に残ったのは福田先輩の言葉で、優勝は普通じゃないよということ。ということはイ
コール、慶應のユニフォームを着ることも普通じゃないし、慶應の野球部に入ることも普通じゃないよ、と。 皆はいろいろなハードルをクリアして、ハードルというのは外的なハードル、入試とか、いろいろ野球をここまでやってきた、あるいは野球に関わってきた、支援したいと思ってきたということもそうだし、自分の気持ちもそうだし、ご家族の協力もそうだろうし。将来の目標に対して、自分で4年間、ここでやるんだという決断もそうだろうし、いろいろなことをクリアしてきたんだな。それ自体がもうすごいことであって、あとはここから1年生だから、3年半、4年間、しっかりやり遂げる。 そこでどういう自分で成果を出すか、自分で答えを出すか。大学というのは自分で問いを立てて、自分で見つけてください。そういう場。そのために、やっぱり知識が必要。歴史を知って、自分はどういう立場でこの場にいるのかということを、より自分のモチベーションであったり、意志の強さであったり、あるいは順調ではないときもあるから、そういう時にどうやって乗り越えるんだと、そういうものにつながっていくと思う。だからぜひ、最後は自分に跳ね返ってくると思って、今日の話をもう1回確認して、噛み締めてやってください」
この日の研修会は日吉キャンパス内の教室で行われた。福田氏は同キャンパス内の陸上競技場のバックスタンド上に、平沼亮三氏の胸像があることを紹介した。平沼氏は慶應普通部、慶大を経て衆議院議員となり、32年からは東京六大学野球連盟の会長に就任した。副理事長だった29年の天覧試合の際には説明役となり、秩父宮殿下から球場拡張のご教示があったとされる。福田氏はエピソードを明かす。
「明治神宮野球場は絵画館を仰ぎ見る形状となっていましたが、当時は収容約2万人と、入場し切れない観衆がいたそうです。秩父宮殿下から増築の案が出たところ、平沼さんは『(スタンド拡張により)絵画館が仰ぎ見ることができなくなるのは、明治天皇への不敬である』と考えていましたが、秩父宮殿下に確認したところ『それは、気にしなくていい』と言われたそうです。それが、神宮球場の改装のきっかけとなったと言われております。研修会後、胸像に立ち寄ってみてください」
早速、今井悠太郎捕手(長岡高)と森重太一一塁手(土佐高)が胸像前に足を運び、のちに五輪団長(32年ロサンゼルス大会、36年ベルリン大会)、横浜市長らを歴任し、79年に野球殿堂入りした平沼氏の功績を肌で感じた。次なる世代へ、慶應義塾体育会野球部のマインドはしっかりと継承されたのである。
取材・文=岡本朋祐