とてつもないこと

菅澤監督は市ケ尾高に赴任して10年目。県上位常連校へと育て上げ、同校を監督として指揮するのはこの夏で一区切りとなった[写真=BBM]
▽神奈川大会準々決勝(7月21日)
横浜高11-4市ケ尾高(8回
コールド)
試合後の取材は、勝者から行われる。横浜高は市ケ尾高との準々決勝を8回コールドで下し、県内の公式戦連勝を37に伸ばした。2020年4月から母校を指揮する村田浩明監督は約10分の取材後、横浜スタジアムを引き揚げる前に大会本部にあいさつへ。三塁ベンチ裏の通路で取材を受けている、市ケ尾高の横を通りがかった。
市ケ尾高・菅澤悠監督は1歳上の村田監督の姿を見つけると、真っ先にあいさつに向かい、ガッチリと握手を交わした。菅澤監督が「ありがとうございました。楽しかった」と言うと、村田監督は「マジですごかった」と返した。
横浜高は3回を終えて6対0とリードしていた。横浜高の先発左腕・
小林鉄三郎(2年)は当初の予定通り、3回無失点で後続に託すも、ここで誤算が生じる。救援投手が4回表に2失点、5回表に2失点と、前半を6対4で折り返した。10分間のクー
リングタイム。村田監督はナインにゲキを飛ばした。
「クーリングタイムの過ごし方によっては、良いこともあるけど、悪いこともたくさんあるので、そこの過ごし方はとにかく徹底して、毎回プラスに働かせています。市ケ尾高校の姿を見て『これは、いい野球をやっているな』と。これはウチの選手たちに伝える必要があるな、と。僕も公立高校で指導していた話をしたんです。市ケ尾高校の選手たちはすごく輝いていた一方で『お前ら全然、輝いてない。逆だろ』と。彼らが本当にしっかりと受け止めてくれたので最後、輝いてくれたな、と。市ケ尾高さんはすごくいいチームです。菅澤監督ももちろん素晴らしいですけど、選手たちの表情が良いです。私は地元にいますけど本当、応援したいと心から思えるチームです」
目を覚ました横浜高は6回裏に川上慧(2年)の2ランなどで一挙4点を加点して、場内に流れていた嫌なムードを一気に吹き飛ばした。6点リードの8回裏に1点を加え、終わってみれば8回コールド(11対4)と圧倒した。だが、村田監督の「マジですごかった」と市ケ尾高を称賛したのは、偽りのない本音だった。村田監督は横浜高に赴任するまでは神奈川の県立校・白山高を率いていた。部員4人のスタートから、私学優勢の神奈川で県大会上位に食い込むチームに育て上げた経験があるからこそ、説得力のある言葉である。「応援したいと心から思えるチーム」。まさしく村田監督が追い求めている理想形が、目の前にあった。
「僕も公立高校で指導していたので、(夏の神奈川大会8強とは)とてつもないことなんで……。僕の自宅が市ケ尾高校の近くなので毎朝、自分の息子の素振りを見る時に、市ケ尾高校の選手たちが朝早くから本当にいい顔して練習しているんです。あいさつをしてくれるので『いつか、やれたらいいね』という話をしていたんですが、本当にそういった子たちとやれて、感慨深いものがありました。彼らには『何が何でも倒してやろう』と、投手もそうですけども、打者も打ち負けない姿とか、本当に勉強になりました。やっぱり私もそういう風にやってきた身なので、今日の試合では彼らにあって、横浜高校にはそこが足りなかったなというところを5回終了後に話したんです。それで、彼らも練習は確かに一生懸命やってきているので、火がついたっていうところですかね。この場内の雰囲気。(昨夏の甲子園準々決勝で)県立岐阜商業さんに負けた時に、甲子園球場が本当に8対2ぐらいの雰囲気になって、今日もそうなるというスタンスで入ったんですけど、やはり市ケ尾高校の応援もものすごかった。この大舞台を経験できたのはチームとして財産になる」
甲子園を目指さない本気の野球

横浜高・村田監督は神奈川県立高校での指導経験があり、特別な思いで準々決勝を戦っていた[写真=BBM]
菅澤監督の「楽しかった」という言葉の真意。追い上げムードとなった試合中に「『横浜ベンチは、何も楽しくないからね』とずっと言っていたんです『こっちは楽しいぞ』と」。就任10年目で初の8強進出。横浜スタジアムの夏の準々決勝のムードは特別だった。
「来てみないと分からない、この横浜スタジアムのこの熱さから、この観客からの雰囲気から、すべてが来てみなければ分からないことを10年目に経験させてもらったというのが財産かと思います。良い景色は見たかなとは思いますが、ハマスタだから感慨深いとかそういうのは特にないです。でも、このステージまで上がって来られたという、うれしさがすごくあります。ただ、やっぱりここまでやんなきゃいけないんだという、ここまでやってやっとなんだなって……。今まで(県ベスト8を)狙っていると口では言っていましたけど、甘かったなっていうところですね。小林君が続投していたらあの点数はないですし(154キロ右腕の)織田(
織田翔希)君が出てきたらピシャッと止まっている。そんなに甘くないです」
市ケ尾高の野球部創部は1974年。76年から夏の神奈川大会に参加しているが、夏のシード権(春16強以上)を獲得したのは、2022年が初めてだった。市ケ尾高は全日制の普通科で、約1200人が学ぶ県内県立高校の中でも最大規模の学校の一つ。全校生徒の約90パーセントが部活動に入っており、ほとんどの生徒が4年制大学へ進学することを希望。早慶のほか、GMARCHへも多くの生徒が合格する進学校だ。普通科の公立進学校がなぜ、躍進したのか。菅澤監督が実践する最先端のマネジメントに対し、考える力のある生徒が必死の思いでこたえる。市ケ尾高の強さは、双方の信頼関係が根底にある。
菅澤監督は荏田高出身。3年時は捕手も、夏の神奈川大会は初戦敗退を喫した。父がボーイズの審判員だった縁で麻生ジャイアンツのコーチを務め、指導者としての原点がそこにある。中大在学中は硬式の横浜金港クラブで3年間プレーしながら、母校・荏田高のコーチを担い、4年時には学生監督として指揮。中大4年の後期からは筑波大の科目等履修生として1年半通い、保健体育科の単位を取得(中大では社会科の教職単位履修)。卒業後2011年は教員補助として磯子高に勤務し、2度目の神奈川県の採用試験を突破した12年4月、向の岡工高に赴任。17年4月に市ケ尾高へ。同夏まで野球部長を務め同秋、監督に就任した。
菅澤監督には独自の指導理論がある。「甲子園を目指さない」。この言葉が一人歩きしているが、勘違いしてはならない。むしろ、難しさと向き合っているのだ。身の丈に合った目標に向かって最大限の取り組み、適切な努力を重ねるが市ケ尾高の本質である。目標は「県のベスト16に勝ち切ろう」。抽選によっては、早い段階で私学強豪校と対戦するケースもある。そこで市ケ尾高では「ステージ」ではなく「レベル」を設定する。菅澤監督は現実路線として「勝利を目指し、甲子園を目指さない本気の野球」を追求してきた。
指導者としてのポリシーがある。
「指導者である自分が、常に学んでいないといけない。その歩みを止めた時点で、現場から退くことを意味します」。時間があれば野球に限らず講演会、セミナーに参加。自身の目、耳で得た知見を、現場へ落とし込む。自らで築いたネットワークを駆使し、外部指導者も依頼。チームコンサルトに関しても、部外者の目から意見をもらい、自らも聞く耳を持った。
2022、23年夏は第3シード。22年夏は4回戦、23、24年夏は5回戦進出と着実に力をつけてきた。そして今夏、初めて5回戦の壁を突破し、初の8強進出を遂げたのである。
日本中をひっくり返そう!

0対6から2点差にまでする善戦も及ばず、最後は8回コールドで力尽きた[写真=BBM]
勝負師に達成感、満足感はない。
「正直、悔しい。9回までいけなかった悔しさが強いです。展開的にもあの点差に詰めた感じを終盤にもう1回とは思っていたので、その展開がつくれなかったのは悔しいです」
7月19日には今春のセンバツ優勝校・大阪桐蔭高が大阪大会4回戦、20日には同準優勝校・智弁学園高が奈良大会3回戦敗退と、各地で強豪校が早々に敗退している。21日、市ケ尾高もこの流れに乗っていくつもりだった。「風が吹いているぞ、というのはずっと言っていました。ウチにとっては最高の展開が全国で来ているから、一番、日本中をひっくり返そう! って言って今日臨んだんですけど……何とかしようとは思っていたので……」。
身の丈に合った野球をする。「勝利を目指し、甲子園を目指さない本気の野球」。そのスタンスは変わらない。
「甲子園を目指すのであればたぶん、ウチには来ないです。ウチで甲子園も目指そうと言うならばまず、全員、塾を辞めろで……(苦笑)。その塾に払っているお金をすべて部活に充ててもらって、いろいろな指導者、外部施設を利用して、補食の取り方からすべてを変えて初めてそのステージなので……。不可能とは言わないですけど、金額、時間、人生もかけるものがものすごいものになってくる。大学進学においては、多くのケースで『一浪するんだよ』というスタートになると思うので、そこまでかけて野球をやる子だったら、おそらく最初から私立に行って、甲子園を目指すのかなって思っているんです」
横浜高との差を、どこに感じたのか。
「技術の高さ、野球のソツのなさをすごく感じました。5回のクーリングタイムを挟んで、6回に(3回から救援して3回1失点と力投していた二番手の)中山(優太朗、3年)が攻略される。彼が4イニング目に行くのはウチにとってはないので、中山の状態もあったかもしれないけど、あそこで完璧に攻略されたあたりも、やっているラインが違うんだな、と」
菅澤監督が市ケ尾高を指揮するのは、今夏で一区切り。「僕も夏休みに入ります。子どもと一緒に旅行でも行こうかなと。8月は練習に行かないって言ってあるので。そんなにさっぱり行けるもの? 僕がいたら邪魔ですよ」。今秋は一歩引いた視点で、チームを見守るという。市ケ尾高の赴任から10年。県立高校の教員とは、人事異動が常である。
「市ケ尾でやっていることも毎年、いろいろなこと、良いと思ったものを取り入れて、うまくいかなかったことはやめて、でした。そういう意味では、自分がやってきたスタンスは変わらないかな、と。うまくいったからそのままやるというよりは、そこはやりながら、そのチームに当てはまるものを探している。行った先が例えば、9人単独で出場しようという目標のチームかもしれないですし、1勝のチームかもしれない。公立校なのに『甲子園』を掲げる子たちかもしれない。それに合わせて、自分自身が成長しなきゃいけないと思っています」
監督の力量以上にはチームはならない

横浜高の勝利の校歌を見届けると拍手。酷暑の中でも相手チームを称える、清々しい空気が流れていた[写真=BBM]
最後に固い握手を交わした村田監督にエールを送った。「良い顔をしている」と連呼していた敵将の言葉を菅澤監督に伝えると、こう言った。
「そんなに楽しく、のびのびやらせている自覚はないんですけど、練習がうるさく言われすぎて、試合だと良い顔をするんじゃないかなと思いますけど(苦笑)。村田監督とは、横浜スタジアムの本塁ベースを挟んであいさつさせてもらうというのがすごくうれしかったですし、大会通して2回、横浜高の後の試合だったので、いろいろ声をかけてもらっていたんです。今日は9回までやって、最後までとも思ったんですけど、ちょっと一歩届かなかったですけど、ぜひ甲子園行っていただいて、優勝してもらえたらなと思います」
試合後取材を終えると、生徒たちが待っているロッカールームへと入っていった。負けた悔しさは、当然ある。ただ、試合までの過程、取り組みは正解であったと胸を張って言える。激戦区・神奈川で公立勢唯一の8強。菅澤監督が率いる市ケ尾高は2026年夏、記録と記憶に残るインパクトを残した。「自分自身が10年、成長させてもらえたのが、そのままチームの成長になったのかな、と。監督の力量以上にはチームはならないので、まだ僕がこれ以上、上に行くには、力が足りなかったなと思います」。夏休みに入る、というのもポーズに過ぎない気がする。次なるステージへの準備期間として、有意義な時間を過ごすはずだ。
取材・文=岡本朋祐