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【高校野球】横浜高元監督・渡辺元智さんが遺した高校野球の「教育」とは何か

 

村田監督の指導力に太鼓判


渡辺さん[左]は昨年12月26日、年内最後の練習日に長浜グラウンドで村田監督[右]らを激励した[写真=BBM]


 7月26日、横浜スタジアム。横浜高は桐光学園高との神奈川大会決勝で勝利し、2年連続22回目の甲子園出場を決めた。歓喜に沸いているグラウンド上の様子を「取材」するよりも、球場正面入り口で「待機」することを優先した。いつ帰るか、分からないからである。

 どうしても話を聞きたかったのは名門・横浜高を約50年率いた渡辺元智さんである。2015年夏を最後に監督勇退以降も、母校を気にかけてきた。2020年4月からチームを率いる村田浩明監督には、特別な思い入れがあった。

 話は横浜高に激震が走った19年秋にさかのぼる。元部長と前監督による不祥事が発覚。学校側はすぐさま事実確認をした上で、双方を解任。17年からコーチだった高山大輝コーチ(現部長)が監督代行、後任部長に葛蔵造校長が10月1日に着任した。男女共学化される翌春の新年度に合わせ、後任監督の選任に動いていた。4月1日、新監督に3月31日まで白山高に勤務していた村田氏が就任。部長は1年間、葛校長が引き続き務め、副部長には館山和央教頭、高山監督代行はヘッドコーチとなった。「新生・横浜」が発足したのである。

 神奈川の県立高校を指揮していた村田監督を「母校再建」のため、強く推薦したのが恩師である渡辺さんだった。就任以降、教え子の村田監督の「後ろ盾」として、気にかけてきた。

 24年11月4日。横浜高は地元・神奈川開催の関東大会を17年ぶりに制した。延長10回タイブレークで、サヨナラ勝ち(4対3)した健大高崎高(群馬)との決勝を、保土ヶ谷球場の本部席で見届けた渡辺さんは閉会式を待たずして、関係者席から出てきた。

 冒頭で「生きていて、良かった」と語った。傘寿。80歳の誕生日翌日、母校から最高のプレゼントが届いたのである。そしてこう、言葉をつないだ。「一番成長したのは村田ですよ。スタッフに恵まれ、選手がそこに付いて行った。『負けない野球』が、身についてきたなと」。甲子園通算51勝(春3度、夏2度の全国優勝)の名将は、村田監督の指導力に太鼓判を押した。同年11月の明治神宮大会を制すと、翌春のセンバツも19年ぶりの優勝を遂げた。

「目標がその日その日を支配する」


2015年夏限りで勇退。東海大相模高との神奈川大会決勝[準優勝]が最後の指揮だった[写真=井田新輔]


 渡辺さんは自ら表に出るタイプではない。試合観戦後は村田監督と顔を合わせることなく、球場からひっそりと引き揚げるのがいつもの流れだった。帰宅のタイミングは、日によって変わる。それを見逃さないためにも、早くからスタンバイする必要があった。球場正面に設置されているモニタは、音声がミュート。村田監督の優勝インタビューが終わると、渡辺さんは球場内の関係者席から出てきた。

 渡辺さんに会うのは年内最後の練習日だった昨年12月26日以来。横浜高の活動拠点である長浜グラウンドで約3分、選手たちに激励の言葉を送っていた。横浜高は同年秋の関東大会8強。今年3月のセンバツ選出は当落線上の立場にいた。

「(センバツという)望みがある以上、目標に向かってやらなきゃいけない。仮に望みがなくても、皆には『甲子園優勝』という最終目標がある。毎年、言っているが、各自が帰省するシーズンオフは、自分一人の時間になるわけだが、そこをどうやって取り組んでいくのか。正月は体を休めるのか、それとも体を動かすのか。それはもう、皆に託された個人の課題。体調管理には十分に注意して、新年、元気な顔でまた皆で集まれるようにしましょう」

 渡辺さんは座右の銘である「目標がその日その日を支配する」を丁寧に伝えていた。気になったのは、椅子に座って話していたこと。しかし、「人が人を動かす。愛情がないと人は動かない。言葉の野球を教えないといけない」と、指導者生活を貫いてきたポリシー、その熱量は81歳になっても不変だった。横浜高は今春のセンバツに出場も初戦敗退を喫し、史上4校目の春連覇を逃した。失意の中から這い上がり、夏の甲子園出場を決めたのだった。

 桐光学園高との神奈川大会決勝後。この日の渡辺さんは杖をつきながら、ゆっくりと出てきた。痩せている印象だった。神奈川県高野連にあいさつ後、笑顔で取材に応じてくれた。

「村田がやってくれましたね。いい顔をしていましたよ。昨日、今日の試合前にも言ったんです。『楽しめ』と。好きな野球をやっているのに、苦しんでいるように見受けられたからです。プレッシャーがそうさせたのでしょうが、ここまで十分な準備をしてきたわけですから、あとはこの舞台で、その成果を発揮するだけ。今日はこの大観衆の横浜スタジアムという独特な緊張感の中でも、選手たちが個々で最高のパフォーマンスを披露し、良い意味で、楽しんでいる姿が見られて良かったです」

 県内公式戦39連勝。2024年秋から6季連続優勝、県勢初の4季連続甲子園出場を受けて、渡辺さんは「すごいですね。村田の考えを、選手たちが理解している。良い形だと思います」と、教え子の成長を心から喜んでいた。そして、エールを送っていた。

「今までやってきた野球がそのまま甲子園でできれば、ある程度は戦えるでしょうから、コンディショニングを整え、皆でチームワークを高め、全員野球でやってもらいたいですね。大いに期待しています」

エンブレムに込められた意味


横浜高のユニフォーム左袖のエンブレム。渡辺さんの思いが込められていた[写真=矢野寿明]


 花巻東高(岩手)との甲子園準々決勝を翌日に控えた8月17日、渡辺さんは亡くなった。渡辺さんの遺志は、ユニフォームに、メッセージとして残っている。左袖のエンブレムは、渡辺さんの考えが凝縮されている。色は赤、白、青のトリコロール。かつての日産自動車のコーポレートカラーで、Jリーグの横浜F・マリノスも使用し、地元・横浜を強く意識したという。学校の校章に加えて「港町・横浜」をイメージした帆船をかたどっており、このデザインは89年夏から採用された。この「帆船」に意味がある。

 横浜高校野球部という「チーム」を「横浜丸」に置き換えたのである。渡辺監督が船長で、選手は船員。誰か一人でも仕事を怠れば、そこから船は沈没してしまう、と。つまり、選手個々が役割に徹しなければ、チームは衰退する。ベンチ入りメンバーと控え選手が、同じ目標に向かって進んでいくことを強調。さらに、渡辺さんは野球以前の所作、礼節を重要視していた。「チームワーク」「全員野球」をエンブレムに表現したのだ。

 村田監督も渡辺さんの教育方針をつないでいる。今夏の神奈川大会閉会式では、神奈川県高野連・朝木秀樹会長が「個々の能力の高さが目立っていますが、それだけではありません。攻守交代の全力疾走、カバーリングも決して怠らないのです。隙のないスタイルが、チームとして徹底されている。それが、本物の強さだと思います」と話した。また、主将・小野舜友(3年)の気遣いのできる人間性にも触れ「高校生でなかなかできる行動ではありません。これこそが、人をつくる高校野球の良さだとあらためて思いました」と称賛していた。渡辺さんのイズムが継承されている、最高の褒め言葉だった。

野球とは社会の構図


横浜高は霞ケ浦高との3回戦を突破。1998年夏以来、3度目の頂点を目指している[写真=毛受亮介]


 8月16日。霞ケ浦高(茨城)との3回戦勝利後、村田監督は「(157キロ右腕エースで副将の)織田翔希や(主将の)小野が引っ張っていく、本当に横浜高校の完成形に近づいているなと思います」と手応えを口にしていた。村田監督は昨春のセンバツで優勝へと導いているが、横浜高の夏の全国制覇は「平成の怪物」と言われた松坂大輔を擁して、春夏連覇を遂げた1998年を最後に遠ざかる。頂点まであと3つ。目の前の戦いに集中するのみ。かつて、渡辺さんは「野球とは社会の構図、そのもの」と話していた。村田監督、現役部員にも浸透している考えである。

「高校3年間、日々の練習で培ってきた精神力は、生命力に転換できる。耐えてきた経験、我慢した末の底力は、勇気と感動を与える。人生を野球に置き換えれば、最後の最後、ゲームセットまでチャンスはある。過去の先輩方が甲子園、高校野球において数々の名勝負、ドラマを展開してきたことからも明らか。しかしながら『奇跡』という言葉は好きではありません。決して、偶然ではない。努力によって、奇跡は必然に変えられるんです。野球で得たあきらめない姿勢を追求することは、社会においても、生かせる場面はたくさんある」

 81歳。人生の最後まで、現場で白球に情熱を燃やし続け、高校野球のあるべき姿を後世に遺した。教育者・渡辺さんと話をするのは「取材」と書いて「学び」と読む場だった。合掌。

取材・文=岡本朋祐
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