プロ野球選手のあるべき姿

プロ2年目、キャンプで打撃練習に汗を流す栗山
「ミスター・ライオンズ」
栗山巧が、8月30日の
楽天戦(ベルーナ)で引退試合を迎える。
同期入団で、ともに25年目を戦った
中村剛也と「骨牙」としてチームに残してきた功績は計り知れない。ファンを沸かせた数々の印象的な一打やプレーだけではない。ライオンズの財産とも言える「野球に向き合う姿勢」という“無形のレガシー”について語られることが多いのも、栗山という選手の大きな特徴だ。
栗山と2002年に同期入団した大迫幸一ハイパフォーマンス・コーディネーターは言う。
「やっぱり、プロ野球選手はどうあるべきかということを、取り組む姿勢で示してきた選手だよね。若いころから一生懸命練習していた。練習した結果、ああいう2000本安打というところまで到達できた。それ以外にも、勝負強さとか、ゲームに対する入り方というのを、今の若い連中に言葉ではなく姿勢で教えてきたと思う。まず見て覚えろ、やって覚えろということですよ」
そんな栗山が、まだ入団したての寮生だったころのことだ。
二軍のデーゲームを終え、個人練習を済ませ、夕食、入浴を終えて寮の自室でくつろいでいた夜。隣接する室内練習場から、マシン打撃の打球音が聞こえてきた。気になって覗きに行くと、そこには一軍のナイターを終えたばかりの
小関竜也(現ファーム監督)がいた。ユニフォーム姿のまま、ただ黙々とバットを振っていたという。
当時の小関は、バリバリの外野のレギュラーだった。まだ駆け出しだった栗山は、同じ外野手として、その光景から目を離すことができなかった。
「レギュラーがあそこまで練習をしているのに、こんなにのんびりしていたら、いつまでたっても追いつけない」
危機感を抱いた栗山は、その日から夜間の素振りを日課にしたという。
大迫氏は、このエピソードについてこう語る。
「結局、誰もレギュラーになる方法は教えてくれないということ。小関も別に『こうやれよ』というつもりで打っていたわけではないと思う。ただ、自分はこうやって生き残るんだということをやっていただけだから。それを見てどう感じるかは、本人の感性の問題。『ここまでやっても、まだ足りない』と思って練習に向き合ってきたのが栗山じゃない。だから、同じ外野手の先輩の姿に刺激を受けたんだと思いますよ」
背中を追うように励んだ練習
まだ10代後半だった栗山は、ナイターを終え、汚れたユニフォーム姿のままマシン打撃に没頭する小関の姿を見て危機感を抱いた。それは、すでに本気で、この生き馬の目を抜くプロ野球界で生き残る術を探していたからだろう。小関の姿から何を感じ取り、それをどう自分の力に変えていくのか。その鋭い感性に、ひたむきに練習へ打ち込む先輩の姿が強く響いた。
12球団で唯一、本拠地球場とファーム施設が隣接する
西武ならではの逸話でもある。そして、その光景から生まれた思いは、やがて栗山から後輩たちへと受け継がれていく。後年、栗山がナイター後に行う特打ちを見て、
秋山翔吾(現
広島)が刺激を受けた。また、
山川穂高(現
ソフトバンク)、
森友哉(現
オリックス)らも、その背中を追うように練習に励んだ。
大迫氏は言う。
「だって、プロ野球選手はみんな同じ練習をするでしょ。ただ、同じ練習をして、それ以上やらなかったら伸びないし、勝てない。それ以上をやるか、やらないかだけ。それをやってきたのがクリだから。たまに本人とそういう話はしましたけどね。やっぱり『(練習は)人一倍やりましたよ』と言っていましたよ」
小関から栗山へ。そして、栗山からその背中を見た後輩たちへ。栗山は、誰かに「こうしろ」と教えたわけではない。ただ、自らがプロ野球選手としてどうあるべきかを追求し、その姿を日々、グラウンドで示し続けてきた。
栗山巧がライオンズに残してきた最大の財産。それは、次の世代がその背中を見て、また何かを感じ取り、自らの力へと変えていくことなのかもしれない。
25年間、ひたむきに野球と向き合い続けたその姿は、ユニフォームを脱いだ後も消えることはない。栗山の背中から何かを感じ取った若い選手たちによって、その“無形のレガシー”はこれからもライオンズに受け継がれていく。
文=伊藤順一 写真=BBM