最後は鮮やかな中前打

引退セレモニーで“盟友”中村剛也[左]から花束を受け取った栗山
西武・
栗山巧が引退試合となった8月30日の
楽天戦(ベルーナ)で、25年間の現役生活に幕を下ろした。「六番・指名打者」でスタメン出場した栗山は、4対1で迎えた8回二死の第4打席で、楽天四番手・
泰勝利の初球ストレートを鮮やかに中前へはじき返した。通算安打数を2152に伸ばし、生涯打率も.277とした。
試合後に行われた引退セレモニーでは、「25年間、ライオンズの栗山であり続けました。今もこれからもライオンズの栗山であり続けます」と宣言。場内を埋めたファンから大歓声を浴びた。
西武一筋25年――。
午前9時から都内のホテルで行われた引退会見でも、栗山は「ライオンズ一筋」で歩んできた現役生活を振り返った。
「ドラフトで指名していただいて入団して、野球に集中できる環境で集中できたこと、一軍でデビューしてからライオンズが僕のことを必要としてくれた。僕もライオンズが大好きですし、このユニフォームと、ファンの皆さんの前でこれからもプレーしたいという積み重ねが毎年あって、ここまでがあると思います」
後輩たちの移籍は衝撃
2001年ドラフト4位で指名され、2002年にプロ入り。25年間の現役生活で球団史上初となる生え抜きの2000安打を達成し、通算2152安打を積み上げた。そのすべてを、ライオンズのユニフォームを着て成し遂げた。一方、その25年間はチームの主力選手が次々とFAなどで他球団へ移籍していった、ライオンズにとって激動の時代でもあった。栗山の在籍中、FAで他球団へ移籍した主力選手は計16人に上る。
なかでも栗山が寂しさを隠せなかったのが、チームが10年ぶりのリーグ優勝を果たした2018年オフだった。
浅村栄斗がFAで楽天へ、弟分でもあった
炭谷銀仁朗もFAで
巨人へ移籍。さらに
菊池雄星もポスティングシステムを利用し、マリナーズへの移籍が決まった。
その年の12月初旬、ロッカーを整理するため本拠地を訪れた栗山は、浅村、炭谷、そして菊池のロッカーを目にすると、言葉を失った。
「信じられないですよね。アサとかギンのロッカーを見て、キレイなのを見たら信じられないですもん。雄星も何もない。信じられない……」
それまでにも、2010年には同期入団の
細川亨が
ソフトバンクへ、12年には
中島宏之がアスレチックスへ、13年には片岡治大が巨人へ、16年には、この日の引退試合の相手でもあった
岸孝之が楽天へ移籍していた。
それでも、2018年の出来事は栗山にとって特別だった。
「先輩とか(の移籍)は何も思わなかったですけど、後輩のこういうのを見ると……。特に野手の後輩が自ら望んで出て行く形は初めてなんでね」
長くチームを支えてきた栗山にとって、後輩たちが自らの意思でライオンズを離れていく現実は、大きな衝撃だった。
「ボクはこの道しか歩んでいない」
栗山自身にもFA権を行使する機会はあった。2013年に国内FA権、14年には海外FA権を取得したが、権利を行使せずに残留。16年には海外FA権を行使した上で、「生涯西武」を表明した。
なぜ、栗山の中に他球団へ移るという選択肢はなかったのか。
「他球団の評価を聞きたい? 僕はその辺が分からないんですよね。そういうのがなかった。僕がそれなりの選手だったら、そういう気持ちも芽生えたかもしれないですけど、全然思っていなかった。本当にこれはタイミングかもしれない。僕は振り返っても出るタイミングがなかった。年度別にずっと振り返ってみても『ここやったな』と思うところがなかった」
自らはライオンズに残りながら、移籍を考える選手たちの相談にも真摯に向き合った。ただ、その決断そのものに口を挟むことはなかった。
「そこは自分の意見を言うところではない」
本人が悩み、考え抜いて出した答えを尊重し、その思いに寄り添った。
ドラフト4位という「縁」で結ばれたライオンズで、栗山は黙々と25年間、野球に打ち込んだ。チームを去っていく仲間を何度も見送りながら、自らがライオンズを離れることはなかった。
そして引退を惜しむ大歓声の中で現役生活を締めくくった栗山は、あらためて自らの歩んできた道を振り返った。
「ボクが言えることとしては、ボクはこの道しか歩いていないから、これが普通だと思っているし、これしかなかった。これが一番自分が力を発揮できる道だった。迷いは、なかったです。自分が一番力を発揮できる道だと信じて、この道を選択しているんで。球団もファンもみんながサポートしてくれた」
与えられた権利を行使し、新たな道を選ぶ選手が珍しくない時代。それでも栗山は、ドラフトという「縁」で結ばれたライオンズを、自らが最も力を発揮できる場所だと信じ続けた。
「生涯西武」
それは、単なる宣言ではない。25年間、2152本の安打とともに積み重ねてきた、栗山巧という男の野球人生そのものだった。
文=伊藤順一 写真=橋田ダワー