来日初登板には先発で好投

球速の出るストレートに魅力が十分ある広島の助っ人右腕
悔しいマウンドとなった。救援で4試合連続無失点中だった広島の
フレディ・ターノックが9月2日の
中日戦(バンテリン)に1点リードの7回からマウンドに上がったが、一死一、二塁のピンチを招くと、
福永裕基に逆転の右翼線適時二塁打を浴びた。さらに二死二、三塁のピンチで
石伊雄太にこのイニング2つ目の死球を与えて降板。今季5敗目を喫した。
先発の一角を期待されて今年から加入。来日初登板となった3月28日の開幕2戦目・中日戦(マツダ広島)で7回5安打7奪三振無失点の快投を見せ、
新井貴浩監督が「100点満点の投球だったと思います。期待通りのピッチングをしてくれた」と絶賛していた。しかし、その後は打線の援護に恵まれなかったこともあり、好投してもなかなか白星がつかない登板が続いた。そして、ある課題を抱えていた。直球の球速が試合中盤以降に数キロ落ちるため、2巡目以降でつかまる傾向が。球数を費やすため、8試合に先発して6イニングを投げ切ったのは2試合のみだった。
先発から救援に配置転換
首脳陣は中継ぎへの配置転換を決断。6月27日の
阪神戦(マツダ広島)で1回を3者連続三振に抑えたが、股関節痛で登録抹消に。2カ月後の8月下旬に一軍に復帰すると驚きの投球を見せる。30日の
ヤクルト戦では、4点リードの7回二死満塁で
宮本丈への4球目に、米国時代を含めて自己最速タイの160キロを計測。続く5球目に161キロで最速を更新して球場がどよめいた。最後は133キロの
ナックルカーブで遊ゴロに仕留めて無失点で切り抜けた。
先発時は150キロ台前半の直球が主体だったが、リリーバーに配置転換したことでリミッターが外れて球速が格段に上がった。米国でも中継ぎでの経験が多かったことから短いイニングに適性があったのだろう。その後は救援で4試合連続無失点。9月1日の中日戦(バンテリン)は4点リードの9回にマウンドに上がると、
細川成也を156キロ直球で空振り三振、
ミゲル・サノーを159キロ直球で見逃し三振、
石川昂弥も150キロ台後半の直球で2ストライクに追い込むと、ワンシームで遊直と完ぺきに抑え込んだ。連投となった2日の登板は痛打を浴びたが、成長の糧にしたい。
4球団で通算438試合登板の右腕

西武では33セーブでタイトルを獲得した助っ人右腕
先発からリリーバーに配置転換されて成功した代表例が、4球団を渡り歩いて来日通算438試合登板した
ブライアン・シコースキーだ。2001年途中に
ロッテが獲得すると当初は先発で起用されていたが、1勝4敗、防御率6.43と結果を残せず、12試合で3つのボークをとられるなど日本野球への適応に苦しんだ。戦力構想から外れても不思議ではなかったが、150キロを超える直球が評価されて契約延長すると、その後はセットアッパーとして奮闘。ロッテ、
巨人、ヤクルト、ロッテ、西武と渡り歩いた。
10年には西武で33セーブを挙げてタイトルを獲得。当時の
渡辺久信監督は「チェンジアップ、スライダー、どの球種でもカウントが取れる。そして、何と言っても直球。いいときの彼の150キロ近いストレートは、分かっていてもなかなか打てない」と信頼を寄せていた。
シコースキーは名前が
コールされるとマウンドへ全力疾走し、投げる前に右腕を前に後ろにグルグルと回す。その理由について、週刊ベースボールのインタビューで明かしていた。
「マウンドに行くとき、戻るときに全速力で走るのは、ミシガンのハイスクール時代に始めたことです。監督から『グラウンドでは常に全力疾走!』と指導されたんですよ。腕を回すのも、ハイスクール時代からです。当時、ショートを守っていて、守備の途中から投手に回ることが多かったんですよ。ストレッチもできないんで、その分、腕を回して温めたんです。以来、これはもうクセのようなものですね」
ターノックもシコースキーのように日本球界で大化けできるか。今季13試合登板で0勝5敗1ホールド、防御率4.11は満足できる成績ではないが、27歳と若く経験を積み重ねればその可能性は十分にある。来季の去就が注目される右腕だ。
写真=BBM