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【高校野球】横浜高・村田浩明監督が渡辺元智さんから名門の看板を継承した背景とは

 

𠮟咤激励を解釈


横浜高・村田監督[右]は渡辺元智元監督のお別れの会の翌日、県大会初戦[3回戦]を指揮した。左は高山大輝部長[写真=BBM]


 9月14日。横浜高・渡辺元智元監督のお別れの会が横浜市内で行われた。2020年4月から母校を指揮する村田浩明監督は、12分39秒にわたる弔辞を述べた。

 渡辺さんは生前、活動拠点の長浜グラウンドで、村田監督の最大の理解者としてアドバイスを送り続けた。心に残る一戦がある。2024年夏の神奈川大会決勝。横浜高は東海大相模高に逆転負けを喫し、前年夏の慶應義塾高に続いて、あと1勝で甲子園出場を逃している。

「この負けは、許されない」

 血走った目で、そう言われたという。村田監督は渡辺さんからの𠮟咤激励を、こう解釈した。

「横浜高校の監督は甘くないんだぞ。俺も半世紀、もっと苦しかった。子どもたちは横浜高校を選んで来ている。村田を選んで来ている。何が何でも勝たせろ。もっともっと情熱を注げ。決して、あきらめるな。負けたら、強くなれ」

 24年秋以降、横浜高は神奈川県内の公式戦で負けていない。24年秋から今夏まで6季連続優勝。お別れの会の翌15日、今秋の初戦(3回戦、対横浜栄高)を突破し、連勝を「40」に伸ばした。

「あの言葉がグサッと刺さってから、僕もスイッチがさらに入って、どうやったら負けないチームをつくれるかなと思ってやってきて、選手が頑張ってくれました。神奈川で負けていないですけども、いつ負けるか分からないので、負けたときにガクンといかないように、負けてまた強くなれるように、そんな感じにしか考えていないです。あとは、楽しむこと。思い切ってやること。そこはもう、徹底して、抜かりなくやっていきたいと思っています」

 試合で楽しむとは、究極の領域。つまり、何一つ後悔のない、厳しい練習を積んだ上で、試合当日を迎えるという意味だ。

長浜の空を見る


横浜高・村田監督はシートノックが終わると、本塁ベースを素手で拭くのがルーティンだ[写真=BBM]


 お別れの会を経て、村田監督は気持ちを新たにした。

「お葬式に自分だけ代表して行かせてもらって、収骨もして、僕はそこで監督さんをしっかりと見送ることができて、そのときは涙、涙だったんですけど、昨日のお別れ会はしっかりと自分の思いを伝えることもできましたし、決意というか、これから横浜高校をさらに良くしていくためにはというところも渡辺監督さんに伝えられたので、そういった意味では悲しみもあるんですけども、やっていかなきゃいけない、と。これからが本当の勝負というところで、自分に言い聞かせ、選手たちに言い聞かせて、今日スタートした感じです」

 弔辞には、恩師への感謝、母校愛が詰まっていた。

「我々横浜高校の部員、選手たち、指導者は皆、長浜(グラウンド)の空を見ています。必ず空を見て、渡辺監督さんが我々を見守ってくれている。横浜高校を見守ってくれている。必ず空を見て『目標がその日その日を支配する』。その思いを持って日々練習をしています。これからは『渡辺監督さんを超えていくような監督になれ』。そんな話をたくさんされます。でも僕は超えられないと思っています。超えるというよりも、渡辺監督様とともに、これから横浜高校の野球部を背負って、変わらずに、作り上げていきたいと思っています」

 名門校の看板を背負うのは、重責である。しかし、誰にでもできる仕事ではない。振り返れば、県立高校の教員だった村田監督を、横浜高の指揮官に指名したのは渡辺さんである。2019年秋、当時の指導者(監督、部長)が不祥事で解任され、名門野球部に激震が走った。「指導は、人のために生きてこそ、価値がある。いま、横浜高校が窮地に立たされている。母校の育てた学校を何とかするのは、お前しかいないだろう」。村田監督は腹を決め、母校に戻り「横浜高校の野球を復活させる」と、情熱を傾けたのだ。

「ここに戻ってこい」の意味


 忘れられない言葉がある。2004年夏。主将(捕手)として涌井秀章(中日)とバッテリーを組んだ村田監督は、駒大苫小牧高(南北海道)との甲子園準々決勝で敗退。相手校の勝利の校歌を聞いていると、すぐ横にいた渡辺さんに、こう言われた。

「『ここに戻ってこい』。その言葉が今、私の人生を大きく変えてくれています。その後、日体大入り、母校・横浜高校で勉強させていただき、そして母校に残れ、母校に来いという話をいただきましたが、いえ、私は県立高校の職員になって、60年出ていない公立高校から甲子園に行く、その扉を開きたい。監督さんにお伝えし、公立高校の教員になり、弱小ではありましたけども、毎日、気にかけていただき、監督さんは白山高校に足を運んでいただき、野球の指導をしてくれました。技術的にも劣る選手たちにも時間をかけて、たくさんの言葉をいただき、白山高校も成長することができました。その後『横浜高校の野球部の監督として、母校に戻ってこい』。突然、そういう話を監督さんからいただきました。私は白山高校で頑張っていた選手たちを置いていくことは絶対できない。いくら渡辺監督さんにお願いされても絶対、無理である、と。渡辺監督さんがつくられた野球部を、私なんかが絶対に築くようなことはできない。そんな力はない。そう思っていました。最後は渡辺監督様のご自宅に上がり、私と妻を呼ばれまして3時間、トイレも行けず、お茶も出されましたが一滴も飲まず、ずっと話を聞いて、だんだん吸い込まれていきまして、私も妻も大きな人生の決断をし、横浜高校に転勤する監督になる決断をしました」

 あれから7年――。村田監督は横浜高校とともに成長し、生徒と一緒に歩んでいる。恩師・渡辺さんから託された「天職」なのである。

取材・文=岡本朋祐
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