勝負師、野球人としてのロマン

亜大は9季ぶり28度目の東都大学リーグ制覇。就任3年目の正村監督は学生の手によって胴上げされた[写真=矢野寿明]
神宮の杜を4度舞った。初めての景色は心地良かった。亜大を9季ぶり28度目のリーグ制覇へと導いた正村公弘監督は胴上げの感想を語った。国学院大2回戦(10月14日)で連勝して勝ち点4を挙げ、開幕8連勝で歓喜のときを迎えた。
「亜細亜の監督に就任して、優勝したいとは思っていましたけど、子どもが描くような夢だったような気がします。いま、現実になっていますので、幸せな気持ちです」
正村監督は2024年春就任。前年秋まで八戸学院大を指揮していた。23年春まで務めた生田勉元監督が体調不良により、6月14日付で退任。8月1日以降、亜大の大学職員で、野球部OBの鈴木一央監督と山下達也コーチが指導に当たり、同秋のシーズンをつないだ。その後、新監督の選定に着手し、東海大OBの正村氏が24年1月1日付で就任したのだった。
正村監督は1963年生まれの東京都出身。東海大浦安高(千葉)では左腕投手で右腕・
酒井勉(元
オリックス)の控えだった。東海大では岩井美樹監督(国際武道大監督)の薫陶を受け、2年春からベンチ入り。キレのある真っすぐに、カーブを得意として活躍した。2学年上のエース・
高野光(元
ヤクルト)を擁した1983年には明治神宮大会優勝を経験している。
NTT東京では10年プレーし、都市対抗7回、社会人日本選手権1回出場。入社4年目の89年には2期下のエース・
与田剛(元
中日ほか)をサポートし、都市対抗予選で2勝を挙げ、本戦出場へ貢献した。現役引退後はコーチを2年務め、ユニフォームを脱いだ後は5年間、社業に就いた。2002年から八戸大(現八戸学院大)のコーチ、12年に同監督に就任。北東北大学リーグで4度の優勝へ導き、全日本大学選手権2回、明治神宮大会1回の出場へと導いた。
亜大サイドが正村氏に就任要請したのは23年10月末。八戸学院大とは65歳まで、再雇用としての任期が残っていた。「(定年である60歳のタイミングで)後進に道を譲ったほうが良いと、考えることもありました……。東都の野球をのぞいてみたいと思いました。この年齢ですので、チャレンジする機会は、もうないかもしれない。最後の仕事として、トップレベルで指導してみたいと考えました」。勝負師、野球人としてのロマンを追いかけた。
四球で崩れない強力投手陣

鈴木前監督[左]と田中OB会長[右]は現役学生を支援している[写真=BBM]
しかし、勝負の世界は厳しかった。東都は簡単に勝たせてくれない。一部を死守するのも大変である。就任2年目の昨春は開幕7連勝を遂げるも、リーグ優勝を逃した。
齊藤汰直(
広島)、
山城京平(
巨人)の2本柱を擁しながら、秋は5位と頂点には届かなかった。
今秋は4勝を挙げ、国学院大1回戦で史上11人目のノーヒットノーランを遂げた
川尻啓人(4年・高岡商)がカード初戦で流れをつくり、2回戦は
黒木陽琉(3年・神村学園)、
吉田大輝(1年・金足農)、比嘉佑斗(4年・沖縄尚学)、井上悠(4年・県岐阜商)、渡邉走(3年・長崎商)、
田崎颯士(2年・興南)らによる継投パターンを確立させた。青々倶楽部(OB・OG会)の田中基靖会長は明かす。
「正村監督は八戸学院大時代から投手育成に長け、この3年でようやく、監督が望むピッチャー陣になったかなと思います。四球で崩れることがない。ブルペンでは球数ではなく、短時間で集中して投げる。そこで力感がなくなり、コントロールが良くなったと聞いています」
8試合で11失点。正捕手・
前嶋藍(4年・横浜隼人)と遊撃手・
山里宝(4年・神戸国際大付)がセンターラインを引き締め、守りのリズムを攻撃につなげた。就任6シーズン目での自身初のリーグ制覇。正村監督は報道陣にこれまでの苦労を問われると、胸の内を語った。
「学校、OBの方も協力的でしたが、やっぱり自分の中では外様的な感覚があるので、しっかりしなきゃな、という思いをすごく強く持ってきたと思います。学生のコンディショニングと、我らがどういう野球をやりたいのかをしっかりコミュニケーションを取りながら、また一つひとつ勝っていくしかないと思っています」
「全力疾走」が亜細亜の伝統

亜大・正村監督は鈴木前監督の功績を今秋のV奪還の要因として挙げた[写真=矢野寿明]
記者会見を終えた正村監督はポツリと言った。「あの人がいなければ、今の亜細亜はない」。
三塁内野スタンドで、正村監督の胴上げを見届けたのは鈴木前監督だった。亜大は鈴木前監督が就任以降、運営スタイルを一変させた。それまでは丸刈りが多かった髪型は一任され、自主性を重んじる形へ。変わる勇気。大変な決断だったはずだ。田中会長は言う。
「改革です。鈴木前監督は基礎工事に着手したわけです。卒業生であり、矢野祐弘総監督、内田俊雄監督、生田監督と継がれてきたかつての亜細亜のスタイルを知っており、今の部員の気質も把握した上で学生と向き合ったので、うまくシフトチェンジできました。今の時代に合わせた指導体制。いつかは変わらないといけないタイミングであったわけです」
正村監督は鈴木前監督のスタイルを踏襲した。リーグ優勝後、改めて語っている。
「学生の流れに沿って、学生がやりたいようにさせています。ある程度の括りは必要ですけれども、いまどきの学生に合わせていったのは間違いないです。ただ、全力疾走だけは亜細亜の伝統だと思っていますので、徹底しているつもりではありますけど、まだできていないところも見受けられます」。就任時からの思いは変わらない。「1958年の創部以来、守ってきた伝統は継承すべき。やり続けることは難しいですが、亜細亜大学には、それしかない。ハツラツ、キビキビ、礼儀正しさを追求していきたいです」。
名門野球部のピンチを救った
鈴木前監督は三塁スタンドで、感慨深げだった。
「正直、私が監督として携わっていたころは、二度とこのような光景が見られないのではないかと思っていたんです。歴史もありますし、亜細亜大学にとって、野球部はシンボリックなチーム。今日、神宮球場に巴政雄理事長が来ていますが、ずっと応援してくれているので、本当にありがたいです。入学してくれた学生も一生懸命、取り組んでくれて感謝です」
2023年秋。鈴木前監督がつないだ功績は計り知れない。名門野球部のピンチを救った。日の出寮では学生とともに寝食をともにし、自宅に帰るのは週1回だったという。
「功績? とんでもないです。(監督を)やる人がいなかっただけなので……。あの秋を思い出せば、各校の監督さんが、私のことを応援してくれました。もちろん、試合はガチンコですが、ゲームが終われば『お前、大丈夫か。体、気をつけろよ』なんて言ってくれ、うれしかったです。かつて東都の審判員を務めていた時期があったんですが、試合が終われば気遣ってくれました。東都の仲間がいたから、あのシーズンを乗り切ることができたんです」
同秋のリーグ戦は開幕から3カード連続で勝ち点を落とす苦しい展開だったが、残る2カードを持ち味の粘りで勝ち点奪取、4位タイで一部残留を果たした。
「危なかったですけどね。究極に……。皆さんから『落ちると思ったよ』と言われました。『決めつけないでください』と、言いましたよ(苦笑)。奇跡が起きたんですね。青学大に連勝したときに、ベンチ、スタンドの雰囲気に変化を感じたんです。二部は駒大が独走。レベルが拮抗しているので、やってみないと分からない部分はあったんですけど、ウチが最下位で仮に入れ替え戦になったとしても、ゲームにはなるだろうという手応えがありました」
いくつもの要職を兼務
鈴木前監督は勝つことはもちろんのことだが、もう一つの「使命」があった。
「僕の中では1シーズン、当時の4年生を何とか無事に卒業させたいという思いだけでした。一緒に野球部運営を手伝ってくれたコーチの山下も、身を粉にして頑張ってくれました。彼には『ありがとう』という言葉しか見つかりません」
組織には必ず、縁の下の力持ちがいる。鈴木前監督は現在、青々倶楽部の事務局長、そして野球部では副部長を務め、母校野球部のために尽力。大学では就職部門を担当する学生部キャリアセンターと、スポーツ振興センターの課長を兼務している。正村監督の最も身近な相談相手だ。正村監督は亜大の卒業生である平田真澄コーチ、御縞勇人コーチと後進の育成にも力を入れており、新たな亜細亜大学野球部がすくすくと育っている。
取材・文=岡本朋祐