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【稲門祭2026】1990年春、早大が15季ぶりに天皇杯を奪還した理由

 

7回表に人間ドラマが凝縮


「稲門祭2026」にて1990年春の早大リーグ戦優勝をテーマにしたトークイベントが開催された[左から初田氏、鈴木氏、中澤氏、市島氏、川原氏、五木氏][写真=BBM]


1901年創部から125年。早稲田大学野球部の神髄を知る90分だった。

 早稲田大学校友会(早大卒業生)が主催する年に一度の「稲門祭2026」が10月18日に開催され、早稲田キャンパス8号館内でトークイベントが行われた。テーマは「〜1990年春 野球部15シーズン振りのリーグ優勝を振り返る!〜」。登壇したのは当時の4年生エース・市島徹氏(鎌倉高)、4年生の五番・中堅の中澤範行氏(桐光学園高)、3年生の六番・一塁の川原潤一氏(常総学院高)、2年生で出場した九番・二塁の鈴木浩文氏(関東第一高、元ヤクルト、現早大コーチ)のV戦士4人。司会進行は当時、早大第一文学部の2年生でアナウンス研究会に所属していた初田啓介氏(TBSアナウンサー、早大本庄高出身)が務めた。

 早大は大学創立100周年にあたる1982年秋に東京六大学リーグ戦を制して以降、天皇杯から遠ざかっていた。苦闘の7年半を経て、90年春に歓喜のときを迎えるわけだが、優勝を決めた慶大3回戦の7回表に人間ドラマが凝縮されていた。

 最終週の早慶戦。勝ち点(2勝先勝)を挙げたほうが優勝という星勘定だった。スポーツ紙の一面を飾り「早慶戦現象」という言葉が流行するほど、神宮の杜は燃えていた。盛り上がりに拍車をかけたのは、母校を指揮する両校指揮官の存在だ。伝説の名勝負として語り継がれる1960年秋の早慶6連戦(早大が2勝1敗で勝ち点を挙げた後、2引き分けを挟んで6回戦で早大が優勝)を率いた早大・石井連藏監督、慶大・前田祐吉監督が再び、相対したわけである。両指揮官は早慶のために尽力し、両大学で唯一無二の2度の監督を務めた。

 1回戦は早大が先勝。この春から歴代のエースが着ける背番号「11」を託された市島氏が3失点完投で、シーズン7勝目を挙げた。市島はここまで先発した8試合すべて完投(うち完封1)していた。王手をかけた2回戦は前年夏の甲子園準優勝投手・大越基(1年・仙台育英高)が先発し、8回5失点完投(1対5)も無念の敗戦投手になった。1勝1敗。勝ったほうがリーグ優勝の3回戦。雌雄を決する大一番は、シーソーゲームとなった。

 3対3で迎えた7回表一死満塁。早大は最大のピンチを迎えると、選手たちがマウンドに集まった。市島氏の疲労は限界に達していた。「どんな場面でも、絶対に抑える。最後まで投げ切ることだけを考えていましたが、あのシーンだけは心身のバランスを保つことができませんでした。次の打者は慶應の五番で主将・橋口博一(4年・三国丘高)さんだったわけですが、レフトオーバーを打たれる画像が浮かんできたんです。心の中で葛藤がありました」。

1日300球と、ポール間走30本


早大は1990年春、15シーズンぶり30度目の優勝を飾った。先頭で天皇杯を持つのは水口主将[写真=BBM]


 話はさかのぼる。最上級生となった市島氏は4年春を控えたオープン戦初戦で勝利を挙げると、石井監督から呼ばれた。エース番号である背番号「11」の打診だった。前年はリーグ戦通算20勝の主将・小宮山悟投手(芝浦工大柏高、元ロッテほか、現監督)と大沢明投手(熊谷西高)が2本柱を形成。先輩2人が卒業し、前年に空位だった背番号「11」が託されることになった(前年秋まで旧エースの小宮山はキャプテンナンバーの背番号「10」)。

「早稲田のエースたるもの、先発完投。途中で代えたりしない、と。マウンドで困ったら魂投げろ! と言われたんです。一球入魂です。絶対に逃げるな。向かっていけ、と。そんなお前の背中を、野手は見てるんだぞ、と。リーグ戦で勝たせろ、と言われたんです。最終カードの早慶戦まで早稲田のために投げると決め、完投勝利にこだわっていました」

 東伏見グラウンドでの1日300球の投げ込みと、ポール間走は30本。だれよりも汗を流す。猛練習は早稲田のエースとしての「使命」だった。

 常日頃から先頭に立ち、主戦投手としての姿を見せ、全部員からの信頼をつかむ。つまり、エースが降板するという選択肢はなかった。しかし、この春のシーズンを通じて獅子奮迅の働きをしてきた市島氏の体は、言うことを利かない。

 一死満塁という絶体絶命のピンチ。主将の水口栄二遊撃手(4年・松山商高)、上杉健捕手(4年・松本深志高)、斎藤慎太郎三塁手(4年・秀明高)、一塁手・川原氏、二塁手・鈴木氏がマウンドへ。誰もが「続投」を疑わなかった。市島氏は明かす。

「最初に上杉が『どうする? 降りるか?』と言うんです。自分は『ダメだから、降りようかな』と言ったんです。その話を聞いた、水口や周りの野手が『嘘だろ!』みたいな顔をしました。1回戦、3回戦で完投させたい思いが強かった、と。ベンチで動かない石井監督に、水口が交代を告げに行こうとしたんですが、規則によって捕手以外の野手は監督の下に行ってはいけない。結局、水口は監督と話をせずにマウンドに戻った。そして水口がもう1回『やっぱり行け』と言うんです。そうしたら斎藤も『行け』と。川原は『そうだ、そうだ』って感じで……。思い立って『じゃあ行ってみるか』という言葉を口にしたら、上杉が『いや、ダメだ。勝ちたいんだったらやめろ』と。上杉が監督にサインを出したんです」

 ついに、市島氏はマウンドを降りた。チーム勝利のための苦渋の決断。4年生エースが東伏見で血のにじむような努力を重ねてきた過程を知っているだけに、水口主将、斎藤三塁手、上杉捕手はその場で涙を流した。4年生の思いが結集していた。石井監督から肩をたたかれ「ご苦労さん」と言われた市島も、「周りがそこまで自分のことを思ってくれていたことに、感激しました」と、涙をこらえることができなかった。中堅手の中澤氏は明かす。

「市島はもう4回ぐらいからもう肩で息をするような投球をしていたんです。ボールのキレも本来の姿ではなく、あの場面、これは代えないといけないと見ていました。ただ、あの時、内野陣は集まれるじゃないですか。外野手というのは、その場から見届けるしかない寂しさがあるんです。でも、レフトの今岡紳一郎(4年・大阪明星高)は、その輪に走って行ったんです。この後、自分が行くのも恥ずかしいなと……。私も市島に完投してほしいとは思いながらも、次に迎えるバッターを考えたら、大越に代えなきゃいけないだろうと思っていました。ライトには小林裕明(4年・静岡高)がいましたが、私も小林も泣いていました」

 2年生の二塁手・鈴木氏は、最上級生とはまったく異なる胸中だった。

「僕は下級生なので、皆さんが泣いていることは気がつかなかったです。僕は泣いてないです。泣いている暇はないです。僕はもう、とにかく次のことに集中という形で、ボールに集中していました。今、斎藤さんとコーチをやらせていただいているんですけど、斎藤さんのコメントは『市島で負けるんだったら、それでよし』というご意見でした」

「鬼の連藏」の目に涙


早大は1982年秋を最後にリーグ優勝から遠ざかっていた[写真=BBM]


 救援したのは1年生・大越投手。初球はこれしかない、強気の内角真っすぐである。三ゴロとなり「5-2-3」のホームゲッツー。窮地を脱した早大は、ほぼ全員が涙した。斎藤三塁手、上杉捕手、川原氏と転送されたビッグプレーを、一塁手・川原氏は回顧する。

「あの1球で仕留めたホームゲッツーは簡単なようで、すごく難しいプレーだったと思うので、練習の賜物だと思いました。僕はもう、捕るだけで良かったですけども、サードの慎太郎さんも丁寧にプレーして、上杉さんも打者走者とかぶるところで、落ち着いた一塁送球。常日頃から東伏見で練習してきた成果が出たんだな、と心から思いました」

 市島氏は明かす。

「『鬼の連藏』と言われた石井さんも、ベンチで涙ぐんでいました。大越だけは、笑ってベンチに戻ってきましたが(笑)」。36年前の映像が流れ、会場内の多くの参加者も涙を流していたが、市島は冷静に振り返っていた。トークイベント後に確認すると「いやもう、散々この映像を見て涙してから来たので……。さすがに、今日はちょっと泣いたらいけないかなと思いながらでした」と舞台裏を明かした。笑っていたという1年生・大越投手も心中穏やかではなかった。ソフトバンクの三軍監督の大越氏はこの日、ビデオメッセージを寄せた。

「まずブルペンに行っても、どうせ自分は代わることはないと。市島さんは絶対的なエースで、このリーグ戦は1回も代わったことなかったので、最後まで行くと思っていましたので、交代の時は正直、驚きました。ブルペンからマウンドに行く時に五木さんから声をかけられたりとか、マウンドに行った時も皆さんの4年生の表情を見て、もう本当に泣いていたりとか、怖い表情だったんで、ただ事じゃない。笑っているしかないな、と。ヒリヒリした記憶はあります。ピッチング練習の時から変化球が入らなくて、ワンバウンドで後ろに行ったりしていたので、この満塁では使えない。もう真っすぐしかない、と。橋口さんもおそらく真っすぐ狙いで来たとは思うんですけど、開き直って投げた結果、偶然ですけどシュート回転して、ボールが落ちて、サードゴロになったので、運が良かったなと思っています。
ダブルプレーを取れた瞬間はうれしくて、本当にホッとしました。あれは自分の投球術じゃなくて、先輩たちの思いがダブルプレーになった。すべては先輩たちの『気持ち』でした」

 ピンチを脱して、試合の流れは完全に早大へと傾いた。7回裏に上杉捕手が初球を二塁打、続く斎藤三塁手も初球をたたいての二塁打で勝ち越し。さらに1点を加え、8回裏にも加点。決勝打を放った4年生・斎藤三塁手について、2年生・鈴木氏がエピソードを明かす。

「斎藤さんは四番なんですが、当時、このシーズンが非常に不調だったんです。早慶戦で活躍し、四番としての仕事をされたんですけども、石井監督には早慶戦に入る前に『4打席三振でもいいから、(左)足を上げて打ってみたらどうか』と言われたそうです。野球をやっている人間から言わせると、突然足を上げたら、当たるわけがないんです。にもかかわらず、早慶戦で思い切ってやった。斎藤さんのコメントでも『足を上げて、当たったんじゃなく、当たってしまった』と。幸運の持ち主だと、紹介しておいてほしいというお話でした。斎藤さんは一浪して早稲田に入られて、野球部であれだけ活躍された方なので、非常に早稲田愛が強く、今も早稲田大学野球部のコーチとして現役学生たちを指導しているんですけども、『早稲田の野球部の人間はこうだ』というものをしっかりとお持ちの素晴らしい先輩です」

 さて、試合に戻る。9回表、大越投手が最後まで投げ、1年生が胴上げ投手となった。

「次の回に先輩たちが打ってくれて、雰囲気がガラッと変わり、神宮の超満員の声援が自分の背中を後押ししてくれて、たぶん、全球真っすぐで幕切れを迎えたと思うんですけど、もう気持ち一本。ボールに気持ちを込めて投げていました。9回表の最後、レフトフライで打ち取った時の安心感はすごかったです。喜びというよりもホッとした感じが強かったです」

大越投手の「教育係」が記した日記


会場には約150人が参加。早稲田ファンの熱気に包まれた[写真=BBM]


 大越氏はその後、野球部を退部している。入学当時、石井監督から「教育係」に指名されたのは、背番号「6」を着けた五木正暁捕手(4年・小倉高)だった。ブルペンで来る日も来る日もボールを受けていた。それには「事情」があった。市島氏は言う。

「(正捕手の)上杉はもともと、内野手だったんですが、いろいろなチーム状況があって、キャッチャーをやることになったんですけど、とにかく身体能力がズバ抜けてすごい。野球のセンスもあるということで、キャッチャーを難なくこなしたということです。本来であればキャッチャーは、練習ではブルペンでボールを受けるのが役割ですが、彼はほとんど来ない(苦笑)。打撃練習ばかりしていたんですよね。リーグ戦の始まる前日の金曜日になると、こそっと来て、僕のボールを10球ぐらい取って『じゃあOK』と言って、また打撃練習にも戻るほど、バッティングが好き。この春は首位打者を取れて良かったな、と。この春、大学野球の監督に就任(東京工芸大)し、今日はリーグ戦で来られないということですけど、本当に野球が好きな選手です」

 縁の下の力持ち。投手陣を管理していた五木は日記を付けており、早慶戦3回戦、7回表一死満塁の場面を、初田氏が代読した。

「3対3で迎えた7回表一死満塁のピンチに、エースの市島は目を真っ赤にしてマウンドを降りてきた。ここで1点でも与えるわけにはいかない。しかし、もう体は限界を超えていた。市島は後を大越に任せてマウンドを降りた。マウンドに向かっていく大越に俺は肩を組んでこう言ってやった。『お前の実力を出し切れば、大丈夫な相手だ。楽に行け』。大越はニコニコしながら『はい』と答えたが、顔は心なしか、引きつっていた。俺はもう一言、『お前がヒーローになってこい』と強気に激励してやった。『はい』。大越の目が一瞬、光ったように見えた。頼む、抑えてくれ。優勝させてくれ」

 この日、五木氏はトークショーに参加。あらためて、36年前の思い出を語った。

「当時エースの市島が毎日ブルペンで300球投げて、ライトからレフトまでのボール&ポールのランニングでは30周走る。いわゆる、鍛えなきゃいけないピッチャーは500球投げて50周走るみたいな、そういう鬼のような練習をしていた中、大越に『今日ピッチングどうする?』と聞くと『五木さん、ちょっと、肩痛いんで30球でいいですか?』と言うんです。『そうか。30球、投げような』と。『じゃあ、ランニングはどうする?』と聞けば『今日は足が痛いので、3周でいいですか?』。『3周でいいよ』と。3周を走ると、彼の練習は終わるんです。すると、一部の4年生から『あの練習でいいのか。あれで大丈夫なのか』と言われたので『アイツがあれで良いと言っているんだから、良いんじゃないか』と言って返したことを覚えています。私たちはアイツに投げてもらわないと勝てない。市島もすごいピッチャーでしたけど、ブルペンで受けていても、大越のポテンシャルは違いましたから。ちょっとふてぶてしいところはありましたが、肝っ玉が座っていますから、あの早慶戦でも間違いなく、彼ならば抑えてくれると思っていました」

「真剣にやる」意味


1年生で胴上げ投手となった大越氏がビデオメッセージに登場した[写真=BBM]


 かくして早大は慶大3回戦を6対3で勝利し、15季ぶり30度目のリーグ制覇を飾った。歓喜のあまり、マウンド上で1年生・大越投手がグラブをはるか頭上へ上げたシーンは、記憶に残っているファンもいることだろう。最後に登壇した4氏が感想を語った。

「先ほどから石井さんのコメント、皆さんからのコメントの中でも出てくるキーワードは『真剣にやる』。石井さんに最初に言われたのは『真剣にやれ』でした。『真剣にやったら、人間の体は壊れないんだよ』。真剣にという、僕なりの解釈では、手を抜かずにその日その日できることを一生懸命やり切る練習をするようになったら、自分の思うような球が投げられるようにもなりましたし、素晴らしい神宮のマウンドにも立たせていただいた。本当に早稲田の野球部の中には『真剣にやる』というのが流れていると思いますので、それを僕の人生のモットーとして、ずっと今まで生きてきましたし、これからも『真剣に』という言葉を大切にしていきたいなと思っています」(市島氏)

「今回のイベントをきっかけにいろいろなことを振り返ることができたのは、自分の財産になったと思っています。私が在学時に思っていたことは、応援部、早稲田スポーツをはじめとして、多くの方々のバックアップがあったことを改めて感謝しております。早稲田大学野球部には部訓というものがあって、これは野球部愛、練習常善、部員親和、品位尊重、質素剛健、他人迷惑無用という六カ条があるんです。これがやっぱり私の基礎になっている。会社でも部下に対してはとにかく品位尊重、他人に迷惑かけるな、お互いリスペクトした行動をしようと言っているのも、私に流れている早稲田大学野球部の血筋がいま、生きているんじゃないかなと思います」(中澤氏)

「先ほどから皆さんからお話が出ているように『とにかく真剣』ということを今思えば、後悔ばかりしている感じではあるんですけども、とにかくこの先輩方に囲まれていい経験をさせていただきました。早稲田野球部で学んだことは、時間が経てば経つにつれて理解が深まり、遅いかもしれませんが、あの練習にはこういう意味があったとか、先輩からこういうふうに言われたことはもっとちゃんと聞いとけばよかったなとか、いろいろなことを振り返ることができています。これからも早稲田大学野球部を応援しますし、早稲田大学の皆さんの方にもこういった機会をいろいろ増やしていただければいいなと思いました」(川原氏)

「私の野球人生、小、中、高、大学を経てプロまで行かせていただき、早稲田大学での4年間は非常に充実した野球生活を送らせていただきました。それは、早稲田の環境が非常に素晴らしいからです。当時、西早稲田に合宿所があって、この街の人たちも応援していただいていましたし、伝統ある早慶戦、あの観客ということで自然に毎日、力のある練習ができる。野球人生で一番伸びた時期でもありました。真剣に向き合ったり、一球入魂であったり、そういうものを今の学生、そういうものを、子どもたちにも理解していただいて、強い早稲田、伝統をつなげていっていただきたいなと思います」(鈴木氏)

 この日は神宮で立大2回戦が行われていた。現役部員を代表して出席した西林蔵之介(2年・早稲田佐賀)があいさつした。

「本日は先輩方の大変貴重なお話を伺い、早稲田大学野球部の精神であったり、伝統について深く考え、考えさせていただきました。残念ながら本日、立教大学戦に敗れ、秋季リーグ戦での優勝は叶いませんでしたが、3週間後、11月7日、11月8日に早慶戦が控えております。4年生にとって大学野球の集大成であり、また小宮山監督にとって最後のリーグ戦となります。ぜひ皆様には早稲田大学野球部を応援するために、神宮球場に足を運んでいただきたいと思っております。引き続き、早稲田大学野球部へのご支援、ご声援、よろしくお願いいたします」

時代によって異なる解釈の仕方


1990年春は全5校から勝ち点を挙げる完全優勝を遂げた[写真=BBM]


 トークイベント後、市島氏に感想を聞いた。

「改めて映像を見てみたら、神宮のスタンドにはあれだけのお客さんがいたんだな、と。プレーしていたときは、目の前の1球に集中しており、周りを見渡す余裕がありませんでした。改めて客観的に見ると、すごかったんだなということを振り返れたのは良かったです。
僕自身が活躍するとか、そういうことではなくて、本当に早稲田優勝のため、石井さんを胴上げするため、そのためだったら僕はどうなろうが何しようが関係ないぐらいの、そんな気持ちでした。たぶん、みんなもそうだったんじゃないかなと思います」

 現役学生へメッセージを送った。

「僕らの頃と時代、野球の質もいろいろ違うとは思うんですけど、早稲田の中には『一球入魂』という、魂を込めてプレーすることが教えとしてあります。石井さんのおっしゃる『真剣にやれば、何とかなるんだ』というのは、どの時代も変わらないと思います。その時代の選手たちが自分なりに、その意味を解釈する。それを落とし込めれば、早稲田大学野球部としてのプレーが体現できるんじゃないかと思います。歴史を大事にしていただいて、頑張ってもらいたいなと思います」

 東京六大学リーグ戦は、説明するまでもなく6校による「対抗戦」だ。1カードに死力を尽くし、勝ち点(2勝先勝)を奪うことを目標とする。天皇杯、優勝争いとはまた別の醍醐味がある。創設された1925年秋から変わらず、同じ六校で戦ってきた伝統だ。1903年に始まった伝統の早慶戦。厳しい状況だからこそ、小宮山監督が就任から8年間変わらず、学生たちに訴えてきた「真剣にやる」ことが問われる一戦である。

取材・文=岡本朋祐
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