東京六大学に天皇杯が下賜される背景

1926年10月24日、神宮球場で初めて東京六大学の試合が行われてから100年。この日の法大-東大1回戦は中止となった[写真=BBM]
明治神宮野球場は完成から100年を迎えた。1926年10月22日に竣功奉納式が行われ、翌23日の開場奉納式には皇太子殿下(のちの昭和天皇)が臨席。その際、東京六大学の紅白戦などをご観戦し、優勝杯(東宮賜盃)下賜の御沙汰があった。目録が同連盟に贈られ、同秋のリーグ戦を制した早大が初めて手にしている。
東京六大学は43年、文部省からの通達を受けて解散し、東宮賜盃は宮内省(現在の宮内庁)に返還。戦後、46年春にリーグ戦再開すると、同年11月に宮内省から天皇杯の御下賜が伝えられ、同秋に優勝した早大が最初に獲得。東宮賜盃から受け継ぐ形で、戦後、改めて他のスポーツ団体に先駆けて、天皇杯が下賜された。天皇杯は原則、一競技一つ。今春の早慶戦2回戦は32年ぶりの天覧試合となったが、野球は東京六大学に下賜されているのは、こうした歴史的背景があるのだ。
話を1926年に戻すと10月24日、東京六大学リーグ戦で初めて神宮球場が使用された(明大-法大1回戦)。22日に創建された明治神宮外苑が一般公開されて以降、最初の日曜日にあたり、また、東京都内で本格的な野球場のお披露目でもあり、収容3万1000人のスタンドは多くの観衆で埋まった。同秋は10試合のリーグ戦を開催している。
「発祥の地」の記念碑が設置

神宮球場の正面入り口付近に東京六大学野球連盟100周年の記念碑が設置されている[写真=BBM]
東京六大学リーグ戦は神宮球場が開場される前年の1925年秋に創設。当時は戸塚球場、駒沢球場など各グラウンドで開催されていたが、空前の人気を誇った。多くのファンが来場できる新球場が待望されていた。同連盟の協力の下で神宮球場が建設され、31年には同連盟の負担により、拡張工事が行われ、5万5000人収容の大球場が完成。第二次世界大戦の中断を挟み、戦後の一時期を除いて、すべてのリーグ戦は神宮球場で行われてきた。幾多の名勝負、名選手を輩出してきた東京六大学の「本拠地」である。
2025年で連盟結成100周年。「東京六大学野球発祥の地」として、神宮球場の敷地内に記念碑を設置。春の開幕日の4月12日、除幕式が行われた。
ホームグラウンドに感謝

10月24日に予定されていた法大-東大1回戦は雨天により、中止になった[写真=BBM]
2026年10月24日。連盟主催のリーグ戦初試合からちょうど100年を迎えた。第7週第1日(法大-東大1回戦)が予定されていたが、雨天により中止になった。試合開始予定90分前に球場に到着すると、観戦を予定していたファンが残念そうな顔をして、球場を背景に記念撮影をしていた。東京六大学野球連盟・内藤雅之事務局長は言う。
「今日は残念ながら中止となりましたが、節目の日を迎え、100年前のこの日に、最初のカードが組まれていたと思うと感慨深いものがあります。六大学と神宮球場は、切っても切れないものです。いずれは新球場が完成(2034年開場予定)することも含めて、これからも神宮球場をホームグラウンドとして、次の100年に向けて頑張っていきたいと思います」
春と秋、日々の練習の成果を発揮する場所がある。当たり前ではなく、先人の努力の積み重ね。東京六大学野球連盟の加盟6校の学生たちは「聖地」に立てる感謝を胸に、全力プレーを続ける。
取材・文=岡本朋祐