ナチュラルにシュート回転

法大OBの和田氏は大学1年時に使用したグラブを持参。当時、球界で流行っていたアディダス製だった[写真=BBM]
思い出のグラブを持参した。
1980年秋。法大の1年生・和田護はリーグ優勝をかけた東大戦で連投した。1、2回戦で勝利投手となり、天皇杯を手に。大学創立100周年を飾った。あの歓喜から46年が経過した10月25日(東大-法大1回戦)、レジェンド始球式のマウンドに上がった。当時、神宮で使用した愛着のあるグラブに、背番号も当時の「16」を着けた。
セットポジションから、見事なノーバウンド投球。ナチュラルに
シュート回転したボールが東大の右打者で一番・樋口航介(3年・海城)の内角に決まり、空振りを奪った。
「意図的に曲げた? そんな技術があれば35勝、40勝はしていましたよ(苦笑)」
昨年、連盟結成100周年のレジェンド始球式は春秋で各校5人が務めた。法大は1969年卒の
山本浩二氏と
田淵幸一に、1学年下の70年卒の山中正竹と
江本孟紀の同学年、84年卒の
小早川毅彦氏が大役を担った。
「学年2人ずつだったので、小早川と同級生の私に回ってきたのかな、と勝手に解釈しています」。日大藤沢高出身の和田はリーグ戦通算30勝を挙げた。よく聞かれるのは「なぜ、プロ入りしなかったのか?」。和田氏は冷静に語る。
「2年秋までに18勝させていただきました。普通ならば、40勝に届く可能性もあったかと思いますが、卒業までの残り4シーズンで12勝と、一気にペースダウンしたんです。明らかにプロからの評価は下がっていたと思います」
在学中は4度のリーグ優勝、全日本大学選手権、明治神宮大会で1度ずつの優勝に貢献。リーグ戦のベストナインには2度選ばれた。卒業後は社会人野球・日産自動車に進み、都市対抗と社会人日本選手権で活躍した。
小早川毅彦会長をバックアップ

レジェンド始球式は見事なノーバウンドだった。右は法大の先発でこの日、リーグ戦初完封を飾った助川太志[4年・茗溪学園][写真=BBM]
現役引退後、転機があった。当時、法大から助監督就任の要請があった。野球部初のポストで1999年から当時、母校を率いていた山中正竹監督(全日本野球協会会長)をサポートした。03年まで務め、のちに日本文理大付高(大分)の監督も歴任。学生野球の現場で、後進の指導に貢献した。
「結果論ですが、プロに行かなくて良かったと思っています。当時、元プロ選手が学生を教えるには、いくつかのハードルがありました。山中さんとの出会いで多くの学びがあり、アマチュア野球の指導ができたのは、私の人生において大きな財産となっています」
現在は法友野球倶楽部(法政大学野球部OB・OG会)の副会長として、大学野球部同期の小早川会長をバックアップし、現役学生を支援している。母校愛が相当であるからこそ、2020年春を最後にリーグ優勝から遠ざかる現状について語る。
「レベルは私が在籍していたころよりも、いまのほうがはるかに上です。各校の実力差は紙一重。そこの『差』を考えないといけない。やはり、野球の技術以外の部分での所作、私生活、学校生活という小さな積み重ねがつながってくるのかもしれません」
レジェンドの言葉は、重く受け止めるべき。現役学生には、一つのヒントとなったはずだ。
取材・文=岡本朋祐