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【東京六大学野球】立大通算21勝エースが人生の糧とした最後の敗戦

 

神宮は特別な場所


インコースへ見事なストライク。現役時代同様、球持ちのいいフォームを披露した[写真=矢野寿明]


 現役時代と変わらぬ、伸びやかな1球だった。

 11月1日、東京六大学秋季リーグ立大-明大2回戦で神宮球場創建100周年を記念してレジェンド始球式が行われ、立大OBの川村丈夫氏が登場。卒業以来となる縦縞のユニフォームに袖を通し、ネットスローで3回ほど練習して臨んだ神宮のマウンドで、内角へ見事なストライク投球を披露した。

「久々に緊張しました。もうちょっとど真ん中に投げるつもりだったんですけど、届いて良かった。90点です」

 神奈川屈指の県立進学校・厚木高から1991年に一般受験で立大に入学し、1年秋から登板すると7シーズンで63試合登板。同学年の早大・織田淳哉、慶大・井深有らとしのぎを削り、在学中は4位1回、5位6回、6位1回と低迷する立大で、通算21勝を挙げた絶対的エースだ。社会人・日本石油に入社して95年に都市対抗優勝、96年にはアトランタ五輪代表として銀メダルを獲得し、社会人ベストナインに選出。97年にドラフト1位で横浜に入団すると1年目から10勝。98年は権藤博監督に開幕投手に抜擢され史上3人目の1安打完封勝利。日本シリーズ最終戦の先発も託されて、リーグ優勝、日本一に貢献した。99年は自己最多の17勝をマーク。通算71勝を挙げて12年間の現役生活を全うし、引退後はコーチ、球団職員、神奈川フューチャードリームス監督などを歴任した。

 幾多の大舞台を経験したレジェンドにとっても、大学野球の聖地・神宮のマウンドには特別な思いがある。

「独特の雰囲気があって、アマチュア最高峰の神宮球場というのは、やはりプロの時代とは少し違う感覚というか、アマチュア選手の思いが詰まっていますね。神宮はバッターが高く見える特殊な球場なので、それも思い出して懐かしさも感じながら投げました」

かけがえのない出会い


始球式に駆けつけた横川賢次元監督と。恩師も全幅の信頼を寄せていた[写真=矢野寿明]


 恩師の横川賢次元監督(1985年春から95年秋まで指揮)も、スタンドで教え子の勇姿を見届けた。入学前から「厚木高校にいい投手がいる」という情報を聞きつけて、自ら高校まで足を運んだほどの逸材だったという。川村氏自身が立大志望で、横川監督も「ぜひ来てほしい」とほれ込んだが、当時の立大には現在のようなアスリート選抜入試制度はなく、猛勉強の末に一般入試で合格。縁は結ばれた。

「俺にとっては大エース。絶対的な信頼がありました」。指揮官の期待に応え、チームのために黙々と腕を振り続けた。2年秋には全13試合に登板したこともある。

「(4年間で)63試合も投げさせてもらったことは、プロでも基礎になって自信の裏付けになりました。試合数を投げることで効率のいい投げ方を学んだ気はしています。明日も投げなきゃいけない、その次も投げなきゃいけないと思ってやっているので、セーブしているわけではないんですけど、しぜんと効率のいい投げ方が培われたんだろうと。脱力して投げることの原点につながっているのかなと思います」

 始球式には4年時に使用していた黒いグラブを持参。大学時代の思い出はラストシーズンの最終戦だ。東大3回戦に先発して2回8失点。勝ち点を落とし最下位となった。

「最後の東大戦で打ち込まれて勝ち点を失って卒業したことは、その後にすごくつながって、このままじゃダメだということも感じました。社会人に進むことも決まっていて、後々プロに進みたいという希望もあったので、最後の集大成がそういう試合で、もう一回気持ちを引き締められました」

 最後の悔しい敗戦がその後の野球人生の糧になった。かけがえのない仲間との出会いも大きな財産になっている。

「あまり勝てなかった時代だからこそ、チームに一体感がありました。どうにかしなければいけないと。先輩、同期、後輩とはみんな今でもとても仲がいいですしね」

 この日のスタンドには同期や先輩、後輩が多数集結し、大声援を送った。在学時、同部屋の部屋長だった1学年上の六鹿勝弘氏は、登板過多で疲れている後輩を、下級生に課せられる“雑用”から解放しようと、そっと先に部屋に呼んで休ませていたという。「優しい人間です。人の悪口を言ったのを一度も聞いたことがない」。先輩にも愛される人柄ゆえだ。

 同じく1学年先輩でエースのボールを受け続けた捕手・澤辺大輔氏は“異次元のストレート”をこう表現する。

「もう真っすぐのレベルが違いました。江川(江川卓)さんか丈夫かというくらい。バックネットまで突き抜けていくかのように、球威が変わらないストレートでしたね。受けていて心地がいい。これが一つ二つレベルの違う、プロに行く投手の球だなと思いました」

 高校時代に「かまぼこ板」を投げてボールに縦回転(バックスピン)をかける練習をしたことは有名な話。現代のように回転数を計測していればトップレベルだったに違いない。回転の利いた伸び上がるストレートを主体に4年間で通算317奪三振を積み上げた。

後輩、息子へつなぐ思い


立大野球部2年の長男・太壱さんは憧れの父の始球式を目に焼き付けた[写真=矢野寿明]


 現在、長男の川村太壱選手(2年=立教新座高)も立大野球部に在籍している。立教小から立教中、立教新座高を経て立大に進学。高校野球部では主将を務めたスラッガーだ。初めて見る父の縦縞のユニフォーム姿に、熱い思いが込み上げた。

「子どものころから憧れていた父なので、やはりかっこいいなと。立教小学校に入ってからずっと縦縞のユニフォームにも憧れてきたので、大学で同じユニフォームを着られるのはうれしいです。僕も早く神宮のグラウンドに立てるように頑張ります」

「『頑張れよ』という意味も込めて投げたんですけどね」。父のエールは、確かに伝わった。

 現在はDeNAベイスターズの野球振興部に所属し、アカデミーや野球教室など少年少女への野球普及活動の運営に携わるかたわら、神宮球場にも足繁く通い後輩たちの奮闘を見守っている。

「最近は優勝できていないですけど、本当に紙一重の部分が大きいですから。でもそこが大きい差でもあるし、4年間の中で仕上げていかなければいけない難しさもあります。やはり選手が主体になってやっていかないと。最終学年で引っ張っていってもらいたいですね」

 大学4年間で得た大切なもの。神宮はそれを再確認できる場所だ。その思いは後輩たちにも、きっと受け継がれていく。

取材・文=中野聖己
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