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【東京六大学野球】1960年秋の早慶6連戦でマネジャーだった祖父を継ぐ「一球入魂」とは

 

今秋は守備固めで2試合出場


3年秋にして初のベンチ入りを果たし、攻撃中は一塁コーチとして動く[写真=BBM]


 背番号37。早稲田の攻撃前、黒須真太朗(3年・日大鶴ヶ丘高)は自校ベンチから一塁コーチャーズボックスへ猛ダッシュで向かう。ズボンのポケットには出塁時に装着する野手用手袋、コールドスプレーなど備品を携え、目の前のワンプレーに対して、的確な指示を送る。視野の広さを感じた。今春までは主に井櫻悠人(4年・高松商高)の役割だったが、先発や守備固めなどで出場機会の増えた今秋は、三戸創太(4年・広島商高)が担っていた。三戸が立大戦でベンチ外となると、黒須にこの大役が回ってきた。

 黒須は3年秋にして、初めてリーグ戦でベンチ入りした苦労人だ。法大1回戦、明大2回戦と試合終盤の守備固めで出場している。

「出場が限られている中で、自分の役割を全うしようと準備をして、出番を待っています。井櫻さんはいろいろな形でチームに貢献されているので、尊敬する先輩です。一塁コーチは井櫻さん、新人監督(学生コーチ)の武藤真吉さん(4年・早大学院)からもアドバイスをいただき、練習から注意事項を常に話しています。ミスが起こらないように、起こる前に言っておくことが大事だと思うので、それは常に意識して声がけをしています」

キーワードは2年の浪人生活


リーグ戦では一塁コーチャーズボックスに立ち、1球1球に対して、的確な指示を送っていた[写真=BBM]


 すべての動きが、献身的に映った。それは、なぜか。1901年創部の早稲田大学野球部の伝統が、体に刷り込まれているからである。初代・飛田穂洲監督の教え「一球入魂」だ。

 小宮山悟監督夫人の弟の息子、つまり、甥にあたる黒須が早大に入学したのは2024年だった。小宮山監督はしみじみと語る。

「義理の父も、草葉の陰で喜んでいると思います」

 1960年秋、今も不滅の名勝負として語り継がれる「早慶6連戦」。当時の4年生マネジャーだった故・黒須睦男氏(浦和高)が小宮山監督の義父に当たる。

「ウチの長男(将さん)と遊んでいた姿が印象深いんです。『合格』と聞いたときは、狂喜乱舞でした。よくやった、と。義父も浦和高から2浪で入学。2浪目のときは『長い人生、1、2年のブランクは、大したことではない。ただ、(社会へ出たときに)同期よりも早めに定年が引っ掛かる。(冗談交じりで)人よりも稼げないよ』と言ったことがあります。今こうして、監督在任期間中に、同じ早稲田のユニフォームを着ているのは感じるものがあります」

 黒須は生まれながらにエンジに囲まれて育ち、当然のように早稲田を志望した。

「早実、早大でプレーしていた将(投手)さんに憧れました。小さい頃から、祖父が早稲田の学生マネジャーとして早慶6連戦を経験したことを聞いていたので、早稲田のユニフォームを着て、神宮に立てるように頑張ろうとずっと思っていました」

 高校受験は思うようにいかなかった。

「早大学院を目指していたんですが、(自己推薦入試の)内申が1足りなくて、断念したんです。すぐ早実に切り替えたんですけど、(推薦入試で)落ちてしまって……。文武両道を実践できる学校ということで、縁あって日大鶴ヶ丘高校を選びました。日大鶴ヶ丘では、早稲田の大先輩でもある太田茂コーチの存在が大きかったです。日大の付属高校でも早稲田に行けるチャンスを証明してくれた方が身近にいたので、すごく心強かったです」

 日大鶴ヶ丘高では主将を務め、一番・中堅で活躍した。3年夏の引退後は受験勉強に集中したが、入試の壁は高かった。だが、決してあきらめることなく、2年の浪人生活を経て、早稲田の門をたたいた。心の支えがあった。

「1浪の段階で他大学に合格していたんですが、一般入試組は野球部に入部ができない、と……。自分の祖父も2浪を経て、早稲田に入っているので、何か縁みたいなものを勝手に感じて、両親にもう一度、お願いをしました。父は祖父のことを知っているので、2浪にも理解を示してくれたんですけど、反対だった母も最終的には背中を押してくれました。たくさんの負担をかけたと思いますので、感謝しかありません」

運命の巡り合わせ


早慶戦前日[11月6日]のユニフォーム授与式では、小宮山監督から背番号37のユニフォームが手渡された[写真=BBM]


 早稲田大学野球部には一般入試組、浪人組でも、努力次第で神宮でプレーできる土壌がある。目の前に「お手本」がいた。芝浦工大柏高から2浪で入学した小宮山監督だ。血のにじむような猛練習を重ね、エースの座を手にし、リーグ戦通算20勝を挙げ、4年時には主将を務め、ドラフト1位でプロ入りした。

 黒須も2年のブランクを必死に埋めた。2年春、秋にはフレッシュトーナメント(2年生以下でチーム編成)に出場し、今秋のベンチ入りへの足掛かりをつくった。地道な取り組みで、下から這い上がってきた。小宮山監督は言う。

「高校時代に太田さんの教えを受けているので、(早稲田の野球に)感化されている部分はある。バックアップ要員としては十分な戦力。良い打撃もしているので、期待しています。外野陣は激しい競争ですが、最終学年には、打席に立つチャンスも出てくるかもしれません」

 11月7日からは早慶戦が控える。小宮山監督は11月30日限りで、任期満了で退任する。2019年1月1日の就任から8年16シーズンの集大成。すでにリーグ優勝の可能性は消滅しているが、ライバル・慶應から勝ち点を奪取するのは「使命」。勝ち点を奪えば、慶大の春秋連覇を阻止(明大優勝)する星勘定になる。

 2浪には、運命の巡り合わせがある。小宮山監督は「現役で入学していれば(3年時に就任した)石井連蔵監督から教えを受けることはできなかった」と明かす。背番号37を着ける黒須も同様。このタイミングで入学したことで、小宮山監督とともに戦う機会に恵まれた。2浪でも神宮に立てる。黒須は早稲田を目指す全国の浪人生にも、勇気を与えているのだ。

 祖父から受け継いだ「一球入魂」を胸に、公私にわたってお世話になった指揮官へ、早慶戦を恩返しの場とする。

取材・文=岡本朋祐
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