感慨深い神聖なマウンド

慶大OBの大久保氏はキャッチャーミットをはめてレジェンド始球式を行った[写真=矢野寿明]
今季最多2万4000人の大観衆。選手として4年間を戦い、監督として5年10シーズン指揮を執った伝統の早慶戦での1球は感無量だった。慶大OBの
大久保秀昭氏が11月7日、早大-慶大1回戦を前にしてレジェンド始球式を行った。
「当時22歳、35年前にプレーした自分が神宮球場で始球式をして、その後、5年間は慶應の監督を務めさせていただき、ベンチから試合を見て、学生を送り出す景色しか見ていませんでしたので、非常に感慨深いものがありました。貴重な経験で、感謝しかありません。ピッチャーは小学校の時ぐらいしかやってないので。早慶戦前の大事な時間を取っていただいた。神聖なマウンドを先に使ってしまって申し訳なかったんですけど、良かったです」
27歳でプロ入り

慶大時代は強打の捕手として活躍した[写真=矢野寿明]
エリート街道を歩んできた。
桐蔭学園高から入学した慶大では前田祐吉監督からの薫陶を受け、主将・捕手と屋台骨を背負った4年時には春秋連覇を達成した。1992年に入社した日本石油では93、95年に都市対抗優勝。96年のアトランタ五輪では銀メダルを獲得した。97年近鉄ドラフト6位で、27歳でプロ入りし外野手、代打の切り札として活躍した。2001年限りで引退し、その後は近鉄の球団職員を経て、04年から05年までは湘南シーレックスのコーチを務めた。
2006年に古巣・JX-ENEOS(現ENEOS)の監督に就任すると、08、2012、13年の都市対抗制覇へと導いた。15年からは母校・慶大を指揮して3度の東京六大学リーグ制覇、19年の明治神宮大会制覇を花道に勇退した。20年からはENEOSに2度目の監督就任で22年には都市対抗制覇を遂げた。24年限りで退任。監督歴代最多となる4度の都市対抗野球大会優勝を果たし、また、個人としては史上初となる2度の小野賞を受賞した。昨年からはチームディレクターとしてチームを支えている。
昨年3月には侍ジャパンU-12代表監督に就任し、7月に行われた第8回WBSC U-12野球ワールドカップでは2位の成績を残した。また、昨年6月にはJOC理事に就任し、今秋のアジア競技大会の運営に携わるなど、活動の幅を広げている。
下馬評どおりにはならない
この秋、慶大としては、春秋連覇をかけた早慶戦だった。大久保氏は言う。
「僕はどうしても監督目線になるので、優勝、なおかつ早慶戦というまた、別の力が働く。これは、大変ですよ。慶應は優勝がかかっている一方で、早稲田には優勝がないですが、小宮山さん(早大・
小宮山悟監督)は最後の指揮でもあり、早慶戦へかける思いは相当あるはず。たくさんの卒業生も、最終週でしっかりとした姿を見せないと、許さないですからね(苦笑)。早慶戦は『昔から下馬評どおりにはならない』というジンクスがあります。だから、面白いですけどね。春の天覧試合で、僕は中継で感極まってしまいましたけど、そういう試合をやり続ける(早大が劇的なサヨナラ勝ち)のが、この早慶戦の価値だし、六大学野球の価値だし、大学が中心になって学生野球を引っ張っていくものだと思います。先人たちが築いてきた文化を、しっかりと守り続けてほしいなと思います」
まだ57歳。ユニフォームを脱いで以降もなお、野球への情熱は高まる一方であり、今後も、活躍の場はたくさんあるはずだ。
取材・文=岡本朋祐