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大島康徳コラム第56回「パの投手の感想は、「何だコイツは!」」

 

これは70年代の写真のようですが、この1枚だけでもすごさが伝わりますよね


次は東京ドーム満席だ!


 最初にブログの話で恐縮ですが、気がつけば、僕のブログ「ズバリ! 大島くん」の読者数が4万人を超えていました。

 4万人と言ったら、ナゴヤドームが満席ですよね。ナゴヤドーム満席の光景をイメージしたら、うれしくてたまらなくなってきました。

 次は東京ドーム満席を目指して頑張ります! このコラムともども、これからも末永くよろしくお願い申し上げます。

 今回は、パ・リーグで対戦した投手たちの話を書きましょう。

 1987年までの中日時代は、日本シリーズ、オールスターを除けば、オープン戦での対戦しかありませんが、覚えているのは、その終盤でした。最初のころは若い二線級しか投げてこないし、こちらもまだのんびりしているのですが、シーズンが近づいてくると、相手も開幕に合わせて主力が投げてきます。当時は、いまみたいにオープン戦で主力が3試合も投げることはなかったし、完全に本気モードでした。

 僕が中日終盤のころのパ・リーグの代表的なピッチャーと言えば、近鉄の左腕・鈴木啓示さんであり、阪急のアンダースロー、山田久志さん、ロッテ村田兆治さん、西武東尾修です。鈴木さんは85年限りの引退ですから公式戦の対戦はありませんでしたが、オープン戦で「左ピッチャーの俺が、右の大島を抑え切ったら出来上がったということなんや」と思っていたらしいですね。

 僕は僕で、鈴木さんみたいなパ・リーグのエースたちを打って、初めて開幕が迎えられるな、という感覚があったんです。みなさんベテランになってもボールが強いし、速かった。一線級のボールですからね。彼らを打てれば、ペナントレースでも大丈夫だ、と思っていました。

 それが日本ハムに移ってびっくりです。主力級との対戦ばかりが記憶にあって、正直、ほかのピッチャーは、あまり印象になかったのですが、速いボールをほうるピッチャーがいっぱいいるんですよ。しかも、顔も名前も知らない連中です。

「なんだ、コイツは!」って驚きの連続でした。断っておきますが、僕が忘れっぽいからじゃないですよ。今みたいに交流戦はありませんし、オープン戦でも、けっこう対戦に偏りがあって、長年やっていても対戦が少ないチームもありました。だから「何でこんなに速いピッチャーが無名なの?」と、1年目の春先は、頭の中が「?」マークでいっぱいになったことを思い出します。

先輩をリスペントせんか!


 セ・リーグとパ・リーグのピッチャーの違いは、いまもそういうところがありますが、強いボールを投げるパ・リーグと、制球や多彩な変化球を駆使しながら、きめ細かいストライク、ボールの出し入れの技術に長けるセ・リーグという印象です。もちろん、セ・リーグにも速いボールを投げるピッチャーはたくさんいましたが、全体の傾向としては間違ってないと思います。しかも、パ・リーグのピッチャーは気持ちが強い。年下の投手が「打つなら打ってみんかい!」というようなマウンドさばきでガンガン投げ込んできてびっくりしました。こっちにすれば、もっとベテランをリスペクトせんかい! ですけどね。

 考えてみたら、みんな同じようにプロをめざし、ドラフトでたまたまセだったり、パだったりに指名されて入ってくるんだけど、はっきり区分けできるくらい違うんですよね。

 前も書いたことがありますが、DH制度があるから、代打もなく、長いイニングを投げられ、また、投手が打席に入らない打線相手に鍛えられ磨かれるというのももちろんありますが、加えて昔は人気のセ、実力のパと言われたように、マスコミへの露出が少なかったことも大きく関係しているんじゃないでしょうか。90年代前半くらいまでのパ・リーグは、公平中立な週刊ベースボールは別にして(お世辞じゃないですよ!)、新聞やテレビでは、そんなに取り上げてもくれなかった。いつも巨人阪神がメーンで、東海地方では圧倒的に中日でしょ。せいぜいプラスして、その対戦相手球団の記事でしたからね。だから、パ・リーグの選手がマスコミに大きく取り上げてもらうには、速い球を投げて三振を取りまくるとか、でかいホームランを打ちまくるとか、派手に目立つしかない、という考え方があったと思うんですよ。

 一番いい例がオールスターです。パの選手たちは、みんな「よっしゃ! 目立ってやろうじゃねえか」とガンガン行きます。この気持が攻めのピッチングスタイル、攻撃野球につながっていると思いますね。

 いまは、こういう時代を生きた選手たちが指導者になり、その伝統が受け継がれているのでしょう。交流戦のようにセ対パの図式になったときに、違いが明確に出ますよね。最近は、「セよ、もっと頑張らんかい!」みたいになってますけどね。

まったく打てなかった


 では、今回から何回かに分け、パで対戦した投手たちを紹介していきましょう。すごい人がたくさんいましたよ。まずは、先ほども触れた山田さんからです。

 僕が日本ハムに移籍した88年いっぱいで山田さんは引退されましたが、公表していたかは覚えていないけど、5月くらいには引退を決めていたという話が伝わってきました。

 アンダースローというと技巧派のイメージがあるかもしれませんが、山田さんはスピードもあった。いわば、本格派と技巧派の両方を兼ね備えた、バッターにすれば本当に面倒くさいピッチャーでした。僕が日本ハムで対戦した最終年は、さすがに球速が落ちていましたが、まだまだ空振りの取れるストレートでしたね。浮き上がるはずはないんだけど、バッター目線で言うと、そう見える球でガンガン攻めてきました。

 胸元に速い球を投げ込むことで、シンカーも生きます。アンダースロー独特の浮かび上がるような軌道からストンと落ちるわけですからね。高低の使い方だけで、もう厄介なんですが、それに気を取られていると、外に逃げていくカーブもある。これにまた、まんまとはまって泳がされてしまうんですよね。

 結局、ボールの持ちが長いんですよ。上からでも横からでも下からでもそうなんですが、前のほう、つまり、バッターの近くで離せるピッチャーには、なかなかタイミングが合いません。山田さんの場合、そこから抜いたシンカーがあり、落ちてくるのかなと思えばビュッと浮かび上がってくる速球があり、高低に気を取られると、外に曲がり、外に行くかと思うと内に落ちる。もう、勘弁してください、お手上げです! って感じです。読者のみなさんも、山田さんの打席で右バッターが腰砕けになって空振りしたシーンを見たことがあるんじゃないですか。僕も結構ありました。

 絶品はシンカーですね。シンカーを操るピッチャーはほかにもいますが、山田さんは別格でした。実際、「私の投げるシンカーが本物です」と言われていたのを聞いたこともありますし、磨き上げた、この球種に強いこだわりを持たれていましたね。前にも書きましたが、僕は日本ハムで山田さんからヒットを1本も打てませんでしたが、中日時代のオープン戦でもまったくタイミングが合わず、山田さんが投げると聞いただけで、「いやだなあ」と心の底から思ったものです。

PROFILE
大島康徳/おおしま・やすのり●1950年10月16日生まれ。大分県出身。右投右打。中津工高からドラフト3位で69年中日入団。3年目の71年に一軍初出場の試合で本塁打を放つ。76年にはシーズン代打本塁打7本の日本記録。翌77年に打率.333、27本塁打の活躍で不動のレギュラーとなり、79年にはリーグ最多の159安打、36本塁打、リーグ3位の打率.317の大活躍。83年には36本塁打で本塁打王にも。88年に日本ハムへ移籍、90年には史上最多の2290試合を要して2000安打に到達した。94年限りで現役引退。2000年から02年まで日本ハム監督も務めた。現役通算成績2638試合、2204安打、382本塁打、1234打点、88盗塁、打率.272。

中日、日本ハムで主軸打者として活躍し、日本ハムでは監督も務めた大島康徳氏が自らの一風変わった野球人生を時に冷静に、時に熱く振り返る連載コラム。

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