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松坂世代〜あの夏から20年目の延長戦vol.5〜

小さな身体を目いっぱい使い、マウンドで闘志むき出しにする熱投派/田中大貴コラム

 

鹿児島実高3年夏の杉内俊哉。ダイナミックなフォームで1回戦の八戸工大一高戦でノーヒットノーランを達成した


兵庫・小野高、慶大で活躍し、東京六大学リーグ戦では早大・和田毅(ソフトバンク)と真剣勝負を演じた元フジテレビアナウンサー・田中大貴は、1980年生まれの「松坂世代」の1人。そんな野球人・田中が、同年代の選手たちをプロ野球現場の最前線で取材。テレビで報じられなかった至極のエピソードを、コラムにして綴る連載第5回は現巨人の杉内俊哉編です。

【第5回のPICK UP PLAYER=杉内俊哉[読売ジャイアンツ/投手]】

愛息子のために


「もう1回……もう1度だけでいいから一軍のマウンドに上がりたいんよ。俺が一軍で投げている姿を見たら、息子がどんな表情をするのか、どう変わるのか、楽しみなんだよなあ」

 昨年のシーズンオフに熊本の被災地復興のため、一緒に野球教室に行った夜にポロっとこぼした一言でした。この言葉を吐露したときの彼の表情が印象的過ぎて、あの夜、ほかにどんな話をしてのか思い出せないでいます。子どもたちを教える巨人のエース番号「18」を背負うサウスポーの姿は優しく、柔和で、マウンドで投げている姿とは全く違うものでした。

 杉内俊哉、37歳。

 小さな身体を目いっぱい使い、マウンドで闘志むき出しにする熱投派。「負けず嫌い」と自負する杉内。マウンドに上がるとき、完全試合を目指し、それがクリアでできなければノーヒットノーラン、次に完封、完投……。相手より先にマウンドを降りることはよしとしない、これが小さな大投手・杉内俊哉という男のポリシーです。

 マウンドを降りると彼の姿は一変します。優しい。とにかく優しい。初めて一緒に食事に行ったとき、驚きました。一投一投、魂をむき出しにする杉内はどこにいったんだ?と、不思議でした。口調は穏やかで、おっとりしている。何よりも、誰に対しても優しく、他人のことを悪く言うことはなく、相手を称える。だから彼が発する一言一言には何か胸を打たれるものがあります。

 そんな杉内が現役にこだわり、今もケガと闘う理由の1つに息子の存在がありました。

「小さいころからピアノが大好きでね」と、話しながら携帯の中に入っている映像を見せてくれました。ピアノのタッチ、音感は天才的と言われている息子の映像をいつもの優しい眼差しで見つめていました。「すごいね、ものすごい才能を感じる。ビックリしたよ、この映像は」と思わずリアクションした僕に対して、「でも……」と杉内は続けました。「最近、野球もやり始めてさ」と言いながら、今度は野球をしている愛息子の映像を見せてくれました。

 映像の中のマウンドに立つ少年は、サウスポーの小柄な投手でした。投球フォーム……そっくりでした。父の投球フォームをコピーしたかのように、杉内の少年時代は間違いなく、こうだったと連想させるような、全く同じ投げ方をしているのです。

「スギ、そっくりじゃん! 全く一緒だよ。怖いくらい一緒だよ」と思わず大きな声を出してしまいました。

「そうなんよ。最近、ようやく野球にも興味を持ち始めてさ」。ようやく? 頭の中に浮かぶハテナマーク。なぜ、ようやくなのか?「ピアノが大好きで、才能もあると思う。だからピアノで伸びてくれればって思ってた。でも野球も始めて、その姿を見たら……もっと好きになってほしいと思う自分がいたんよ」。その表情は切なさとうれしさが入り混じったような少し複雑な表情にも見えました。

 一軍のマウンドから遠ざかること3年。身体全体を使い、右側の筋肉と関節でカベを作り、ムチのように腕を振り続けてきたプロ17年間。悲鳴を上げる身体を気持ちでカバーしてきました。

 もう限界じゃないか。

 幾度となく込み上げてくる感情を抑えることができる理由は何なのか? その理由の1つに、もう1度投げている姿を家族に見せたいという熱き思いが彼の身体に流れていました。

「もう1回でいい。もう1回、一軍で投げたい。俺が投げている姿を見たら息子がもっと野球に興味を持って、もっと好きになってくれるかも知れないから。見せたいんだよなあ」

 マウンドでは見せない優しい表情と優しい口調で語ったその言葉に胸が熱くなりました。

 この3年、父親が熱投する姿を見ていない。その3年と逆行するかのように始まった息子の野球人生。恐らく本能的に投手を始め、父と同じサウスポーで同じ投げ方。そんな彼が父の本来のパフォーマンスをまだ見ることができていません。その状況を想像すると、他人である僕でさえ悔しく、そして何か胸が苦しくなりました。

杉内俊哉の特別な夏


 鹿児島大会の伝説に残る川内高・木佐貫洋(元巨ほか)との投げ合い。20年前の甲子園大会出場は杉内俊哉率いる鹿児島実高でした。その甲子園でノーヒットノーランをやってのけ、横浜高の松坂大輔(現中日)と投げ合い、ノーヒッター男の杉内から自ら本塁打を放った松坂。身体が小さかった杉内はプロではなく社会人野球(三菱重工長崎)を選び、徹底的に身体を鍛え、鋼のような肉体をまとったアスリートに。一躍、プロ注目投手に登り詰めました。

 プロでは和田毅(現ソフトバンク)とともにホークスを日本一に導き、そして巨人へ。かつて投げ合った木佐貫はスカウトとして杉内が所属する巨人に戻って来ました。ケガをして二軍で調整する杉内のボールを受け続けてきたのは加藤健(16年に引退)であり實松一成(現日本ハム)でした。松坂世代の運命が交錯する杉内の野球人生。その運命がドラマを生むのであれば、彼の3年ぶりの一軍登板は中日戦であり、相手投手は松坂大輔であってほしい。その姿を息子さんが見ることができれば、杉内俊哉という一人の野球人は、自身の野球人生に納得がいくと思います。

 もう1度、マウンドで躍動する姿を。いま1度、ダイヤモンドの中央で熱投する姿を、優しき表情が、魂むき出しの表情に変わる姿を。優しい杉内を知る方はみんな待っているはずです。

 あの夏から20年。

 松坂世代、杉内俊哉の特別な夏は今、始まろうとしています。ケガが癒えつつある今、必ず、20年前の甲子園で躍動した、あの投球フォームの杉内が帰ってきてくれるはずです。待ちましょう。

写真=BBM

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