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舞台裏の仕事人

球団初の3連覇へ突き進む広島。充実するトレーナー体制とは?/舞台裏の仕事人

 

球団初の3連覇へ突き進むカープ。ユニフォーム組の頑張り以外に、躍進の要因として挙げられるのが、選手の体のケアを行うトレーナー体制の充実だ。衣笠祥雄選手の連続試合出場記録を支えるなど、長く第一線で活躍し、現在はトレーナー部のアドバイザーを務める福永富雄氏は、日本プロ野球のトレーナーという仕事を切り開いてきた人物でもある。これまでの歩みを含めて、その仕事を紹介していただいた。

「今はスタッフも機器も充実。手も口も出しません(笑)」


広島・福永富雄トレーナー部アドバイザー


 プロ野球のプレーヤーは、何といっても体が資本。その体のケアについて、球団内で選手をバックアップするのが、トレーナーだ。仕事の現場となるトレーナー室は、非公開ということで、写真ではご紹介できないが、その仕事のあらましをお話しいただいた。

 私は、もともと実家が鍼灸院をしていた関係で、自然に兄(重雄さん)ともども、この道に進むことになりました。兄は、まず巨人にトレーナーとして入りましたが、出身が山口ですので、「やはり地元に近いところでやりたい」ということで、先に兄がカープにお世話になることになりました。

 当時カープは、はトレーナーが兄一人で、ファームにはいなかったんですね。それを、当時選手でしたが、半ばコーチに近いこともしていた上田利治さん(のち阪急監督)が指摘して、だれか入れようということになり、私が入ることになったのです。ですから、私がプロ野球のトレーナーという仕事をすることになったのは、上田さんのおかげ、と言えるかもしれません。それが、1961年のことでした。

 それから定年まで、ずっとトレーナーとして勤めさせていただき、現在はトレーナー部アドバイザーとして、後輩たちの仕事が順調に進んでいるかどうかを見つつ、何かあればアドバイスをしていくのが仕事です。とはいっても、今はもう優秀なスタッフがそろっていますから、ほとんど手も口も出さずに、見守っているだけですけどね(笑)。

 1日のタイムスケジュールを、ということなんですが、実は、トレーナーの仕事というのは、選手が主体となるものでもありますし、突発事項への対応などもありますので、「何時何分にあれをして」というものではないんですね。ホームゲームの日でしたら、選手が球場に来始める午前11時前ぐらいに球場入りし、ナイター後のケアが終わる夜11時ころまで、トレーナー室にいて、選手のケアをする、ということになります。

 昔は、選手が球場入りするのが、本当に練習の直前だったので、午後に来ればよかったのですが、最近は選手の意識も変わって、早くから球場入りしてケアやトレーニングをする選手が増えてきたので、どんどん入り時間が早くなってきましたね(笑)。ビジターの場合には、そのうち球場に行くまでの分が、ホテルの一室で行う形に変わるわけです。今はもう私はビジターのゲームには帯同していませんが。

 とはいえ、ずっとトレーナー室に缶詰め、というイメージとは、今はちょっと違います。われわれがトレーナーになりたてのころは、狭い部屋にベッドが一つあって、薬と言えば赤チンと湿布薬と正露丸……みたいなものでしたが、今は、広々とした部屋に、超音波画像診断装置をはじめ、さまざまな治療機器がそろっていて、ベンチ裏に小さな病院があるようなものです。

 しかも、部屋はガラス張りで、治療室からアイシングをする氷治療室、温寒浴のためのジャグジー、選手のロッカーやミーティングルームまで見渡せ、浴室に行く選手も見えますから、選手の様子が常にわかる明るい空間になっています。

 今は、トレーナーの数も増えて、一軍5人、二軍に4人、三軍に3人、石井雅也チーフトレーナーと私を含めて14人という体制になっていて、アスレチック系、理学療法士、鍼灸など、それぞれに専門家がそろっています。

ケガをしても、やれる人はやる。うれしかった宿舎での胴上げ


現役時代の衣笠祥雄選手に、ストレッチの補助をする福永氏。衣笠氏の2215試合連続出場の世界記録を、陰で支えた人物でもある


 トレーナーとして、道を切り開きつつ、長く歩んできた福永氏。かつては選手の状態の判断も経験則による部分が多かったというが、選手たちとのやり取りの中で、学んだことも少なくなかったという。
    
 とにかく、トレーナーという仕事は、昔と今では雲泥の差ですね。われわれがなったころは、日本の球団に「トレーナー」という概念自体がなかった。62年のシーズン後、東京オリンピックにも駆り出されたとき、アメリカから来たトレーナーが、一つのキットになったケースから出して道具を広げているのを見て、「カッコいいなあ」と思ったものです。今は、試合中はドクターも詰めてくれるなど、ドクターとの連携も進んでいますからね。

 私にとって運がよかったのは、カープがずっと、トレーナーに理解のあるチームだったことです。先代の松田耕平オーナーが、ドジャースのピーター・オマリーさんの話を聞き、「これからはスポーツ医学が必要だ」ということで、アメリカで行われる研修会などにも私を派遣してくださいましたし、球団に入ってからも大学に行かせていただきましたので。私も、そのような感じで知識を得ながらずっとやってきました。

 私が第一線でやっていたころには、まだ、今のようにケガの状態を正確に、科学的に知る手立てがありませんでしたから、経験則による判断が基本でした。ただ、その中で学んだのは、「同じケガをしても、やれる人はやる」ということです。単純にトレーナーの見地から言えば、休ませたほうがいいと判断する場合でも。

 一度、山本浩二が腰痛で、「これは出ないほうがいい」ということになり、私が古葉竹識監督にそう伝えたのに、スタメンで四番にされ、血相変えて飛んできたことがありました。古葉監督には「四番として立っているだけでいい」と言われましたね。でも結局彼は、練習もせずに、その試合でホームランを打ってしまうんです。「ケガをしていてもコイツはやれる」ということを見抜くのも、監督の眼力なのだな、と思いましたね。

 連続試合出場の世界記録を作った衣笠祥雄は、大きなケガをしても試合に出るわけですから、こちらの身としては心配ばかりでしたが、「昨日よりよくなってるかなあ」「まあ変わりないと思うよ」「じゃあ大丈夫だ」というような会話を何度したことか。彼も「お墨つき」になる言葉が欲しいというところがあったのかもしれませんね。

 振り返ればいろんなことが思い出されますが、やはり一番つらかったのは津田(恒実)の件です。病気について事実を知らされ「本人には言わないでくれ」と言われていましたので……。

 とにかく心配ばかりのトレーナー業ですが、やはりうれしいのはチームが優勝したときです。初優勝のとき、祝勝会の後で、誰かが「先生を胴上げするのを忘れてる」と言い出して、宿舎で胴上げをしてくれました。あのときはうれしかったですね。今、思い出してもうるっと来ます。今年も、ぜひ3連覇を見届けたいですね。

取材・構成=藤本泰祐 写真=BBM

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