週刊ベースボールONLINE

廣岡達朗コラム

与田監督は1年目から嫌われるぐらいやれ/廣岡達朗コラム

 

腹をくくれる人間を使うべき


与田監督は、中日の下馬評の低さを覆せるか


 いまの監督には、計画性がない。

 私がヤクルト監督に就任した1976年5月だが、参考にしたのが“1点絞りの理論”である。1点絞りとは、サンケイスポーツの評論家として悪戦苦闘しながら初めて評論原稿を書いたときに、当時の運動部長だった北川貞二郎さんから学んだことだ。試合の要点を4つも5つも詰め込んだ私の文章を読んだ北川さんから「こんなに要点が多かったら何が本当に重要なのか読者には伝わらない。テーマを1点に絞り込んで書いてくれ」と言われた。大切なのは“捨てる勇気”だ。

 その言葉を念頭に、あれもこれもと手を付けず、1年目は投手陣の強化に徹底して取り組んだ。勝敗の70パーセントを左右するのは投手力だ。そこで、松岡弘安田猛ら5人の先発投手を決めて、中4日のローテーションを確立した。どんなに打たれても5回までは代えない。人間としての責任感を植えつけた。

 翌年は打撃、守備に着手し、武上四郎コーチをミーティングに参加させた。松園尚巳オーナーから、武上を次期監督として育ててほしいと言われていたからだ。そして3年目はナインの巨人コンプレックスを払拭させるためにアメリカのユマでキャンプを張った。

 すべては計画性にのっとってのものだった。いま、そういうチームがあるだろうか。Bクラスなのに、すぐに優勝したいという球団ばかりだ。今年はA、来年はB、再来年はCを強くするという発想がない。

 私の持論は、計算ずくで動いている監督には、球団も3年間待ってやれということだ。その上で優勝もチームの底上げもできない監督はクビにすればいい。そして「3年で優勝できなければやめます」と腹をくくれる人間を使うべきなのだ。なぜかというと、退路を断つことによって、人間は勉強をし始めるからだ。

 今季、中日の下馬評は低いが、与田剛監督は私のロッテGM時代の教え子だ。縁がないわけではない。彼が1年目でまずなすべきは、監督の値打ちをチームに叩き込むことだ。1年目から嫌われなければダメ。選手に好かれる監督というのは、総じてナメられてしまう。先ほどの1点絞りの理論からいうと、投手をどう一人前にするかを考えればいい。

どうせ中日は弱いのだ


 ローテーションの重要性を私が強調するのは、先発投手にわがままを許さないためでもある。つまり、投手というのは相性のいいチーム相手には投げたがるが、苦手なチームが回ってくると体調の不調を訴えてきがちだ。そういう甘えを許していたら、しめしが付かない。ローテーションシステムを厳格化させれば、投手の側も「順番だからやるしかない」と、背筋を伸ばすようになるのだ。

 繰り返すが今年の中日の課題は投手陣である。投手が育てば、次の課題は打撃でも守備でも自然と見えてくる。それを一つずつ潰していって、3年目に優勝を狙えばいいのだ。

 極端にいえば、勝ち負けはどうでもいい。どうせ中日は弱いのだ。その弱いチームを強くするために、監督が代わったのではないのか。時代に迎合する必要はどこにもない。「俺が監督になれば勝てると踏んでフロントは決めたんだ。だから言うことを聞け」と、そう言い切れなければ嘘だ。

廣岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。

写真=BBM

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング