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張本勲コラム

【張本勲の“喝”】名選手にして名監督だった川上哲治さんの“不動”の打撃/張本勲コラム

 

川上さんは今見ても理想的なバッティングフォームだ


 名選手、必ずしも名監督にあらず。野球界に限らずスポーツ界でよく言われる格言だ。確かに功労者だから、生え抜きだからという理由だけで監督を選ぶことが多いが、やらせていけない人、やってはいけない人というのはいる。

 名選手にして名監督、さらには大監督となった人も、もちろんいる。私が“四大監督”の1人だと考えている川上哲治さん(元巨人)はその筆頭になるだろう。

 80年以上のプロ野球の歴史の中で、長打ということを別にすれば、バッティングそのものは川上さんが一番だと私は思っている。まさに“不動”という言葉がよく似合う。

 最初から最後までほとんど上下左右に動かず、軸がぶれない。普通は反動を使って打つために多くのバッターはバックスイングをするものだ。あのワンちゃん(王貞治、元巨人)だってバックスイングをしていた。だが、川上さんは小さな構えからわずかに手の甲を引くだけ。それも写真で見るから分かるものであって、実際にはまったく動いていないように見えたはずだ。

 そこからピッチャー出身らしい、しっかりとした下半身を使って、理想的な歩幅でステップをしていく。ステップが広過ぎず、最後まで右ヒザに余裕があるから、どんなボールにも対応ができる。写真などでは打った瞬間に右ヒザが突っ張ったように見えるかもしれないが、その後の動きから分かるようにヒザに柔軟性があり、決して突っ張っているわけではない。

 ステップの歩幅がいかに重要なのかはソフトバンク柳田悠岐西武山川穂高を見ればよく分かる。2人ともスイング自体は無茶振りだ。だが、ステップの歩幅がいいからヒザに余裕が生まれ、ピッチャーが7つも8つも投げる変化球に対応しながら、腕力を生かしてボールを飛ばすことができる。

 川上さんといえば弾丸ライナーだが、あの時代はボールが飛ばなかった。だからアッパースイングでもダウンスイングでもなく、水平なスイングで強く正確に打球を飛ばしていた。弾丸ライナーが多かった理由のひとつは、フォローの最後まで左手が離れずついてきたことにある。

 腕というのは左右同じ長さだから、左バッターが最後まで左手を離さずに振り切れば、左手の甲は返っていく。だが手の甲を返しながらボールを打つと打球にはドライブ回転がかかってしまう。ワンちゃんのホームランはすべてキレイなバックスピンがかかり、入るか入らないか、という打球が最後にスーッと伸びてスタンドに飛び込んでいた。左手をかぶせることなく、フォローで左手を離していたからだ。

 川上さんが最後まで左手を離さなかったのはスイングの正確さを求めるためのものだったかもしれないが、ワンちゃんなどに比べれば打球が上に上がりにくいスイングだったことは確かだ。それでも今の時代であれば40本くらいのホームランは軽く打ってしまうだろうが。

 バックスイングが小さく、理想的なステップの歩幅で、最初から最後まで軸がぶれない川上さんのようなバッティングをできるバッターは今、ほとんどいない。可能性を感じさせるのは同じ左バッターでもあるDeNA筒香嘉智だろうか。西武の秋山翔吾もいいが、打球の強さが物足りない。

張本勲(はりもと・いさお)
1940年6月19日生まれ。広島県出身。左投左打。広島・松本商高から大阪・浪華商高を経て59年に東映(のち日拓、日本ハム)へ入団して新人王に。61年に首位打者に輝き、以降も広角に打ち分けるスプレー打法で安打を量産。長打力と俊足を兼ね備えた安打製造機として7度の首位打者に輝く。76年に巨人へ移籍して長嶋茂雄監督の初優勝に貢献。80年にロッテへ移籍し、翌81年限りで引退。通算3085安打をはじめ数々の史上最多記録を打ち立てた。90年野球殿堂入り。現役時代の通算成績は2752試合、3085安打、504本塁打、1676打点、319盗塁、打率.319

写真=BBM

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