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球の心は正直者

よし、黒田、よくカープに入ってくれた!/新井貴浩コラム

 

黒田さんのカープ入団[後列右]は、いちファンとしてものすごくうれしかった


もう一人の自分、熱狂的なカープファンの新井


 私の人生には、たくさんの素晴らしい出会いがありました。

 ここまでの人生は、自分一人の力で切り開いたものではありません。周りの人に生かされ、常に支えられてきたからこそ、一歩一歩前進でき、20年もの長い間、プロ野球の世界でプレーすることができました。本当に、幸せな男だと心から思います。

 今回からの連載では、私が出会った、たくさんの人たちへの感謝をつづっていきたいと思います。雑誌のコラムを担当するなど、選手時代には想像もしていなかったことです。慣れないことでもあり、言葉が足らないことも多々あるかもしれませんが、ご容赦ください。

 第1回は、黒田博樹さんとします。尊敬する先輩であり、苦楽をともにした戦友でもあります。

 プロ入り前、話をしたことはなかったのですが、同じ東都大学リーグで僕は駒澤大、黒田さんは専修大で2学年上。対戦はありませんが、ピッチングを球場で見たこともあります。

 とにかく球が速かった。神宮にスピードガンが設置されたばかりの時代でしたが、黒田さんは大学生で初めて150キロ以上を計測した投手として話題になっていたとも聞きます。それもごくたまに150キロが出るというレベルではなく、どんどん来る。球質の印象としては、垂れることのない、滑るような真っすぐを投げていたように思います。

 1997年のドラフト会議で黒田さんは、青山学院大の澤崎俊和さんと一緒にカープを逆指名してくれました。澤崎さんとは対戦したことがありますが、スライダーが見えずに三振してしまいました。やはり、素晴らしいピッチャーです。

 2人がカープを逆指名したときの私の心境はこうです。

「よし! 黒田、澤崎、よくカープに入ってくれた。これから頼むぞ!」

 先輩を呼び捨てなんて、僕らしくない、と思うかもしれません。

 なんと言えばいいのか……。実は、私の中には、もう一人の自分、熱狂的なカープファンの新井がいます。これはもう、広島で生まれ、広島で育ち、ずっとカープファンだった自分だからこそとしか言いようがありません。

 自分自身に対しても、この視点がありました。「カープの新井」へのファン目線です。FAでタイガースに行き、初めての広島市民球場の試合でカープファンからメチャクチャやじられました。平気だったとは言いませんが、「それはそうだよな」と納得していた自分もいました。実際、私がその試合を見ていたとしたら、間違いなく、こう言うでしょう。

「おい新井、どのツラ下げて広島に来てるんだ!」

 理屈じゃありません。体にも心にも「カープ」が染みついているのだから仕方がありません。

 私は黒田さんの2年後、99年に広島に入りましたが、当初は、じっくり話すことはありませんでした。投手と野手では接点も少なかったし、向こうは一軍の先発、こっちはいつクビになるか分からない選手です。話が合うはずもないし、何より、自分のことだけで必死でした。(続く)

PROFILE
あらい・たかひろ●1977年1月30日生まれ。広島県出身。広島工高から駒大を経て99年ドラフト6位で広島入団。4年目の2002年に全140試合に出場し、05年は43本塁打で本塁打王のタイトルを獲得。07年オフ、FA権を行使して阪神に移籍した。11年には打点王になるなど活躍するも、14年は出場機会が減少し、オフに自ら申し出る形で自由契約に。15年に8年ぶりに古巣・広島に復帰。16年には四番打者として25年ぶりのリーグ優勝をけん引し、リーグMVPに輝く。17年途中からは代打が多くなったが勝負強さは健在で、球団史上初のリーグ3連覇に貢献した。18年限りで現役を引退。通算成績は2383試合、2203安打、319本塁打、1303打点、43盗塁、打率.278。

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