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2019夏甲子園

奥川恭伸(星稜高)のココがすごい!中・高の恩師と捕手が証言

 

星稜高の林和成監督はむろん、実は中学時代の野球部監督も星稜高のOB、今の奥川にとっては先輩でもある。この両恩師に加え、小・中・高とバッテリーを組み続ける山瀬慎之助捕手が、エース右腕・奥川恭伸のすごさを語る。
取材・文=大久保克哉 写真=桜井ひとし、BBM

星稜高・林和成監督「ピカイチの人間性が成長の素」


1992年夏の甲子園では1学年上の松井秀喜と三遊間を組んだ林監督。2011年から母校を率いて甲子園に5度出場している


 入学から今日まで、壁を乗り越えながら順調に成長してきているなというのが奥川の印象です。

 その要因は何といっても人間性。物事のとらえ方も考え方も素晴らしいし、どんなに活躍しても天狗にならない。田舎の純朴な子ですよ。それでいて周りに流されないし、負けず嫌いで、芯の強さもある。彼をここまで育てたご両親や環境も素晴らしいのだと思います。

 中学で全国制覇したといっても、高校では1年生のときに打たれましたからね。特に1年秋の石川大会と北信越大会です。両大会とも決勝で日本航空高(石川)と当たって、その2試合ともコテンパンにやられました。その後に私は彼に言ったんです。「オマエ、星稜に来て良かったな」と。

 というのも、当時の日本航空の打力は全国でも屈指でしたから。あのバッター陣を背に(仲間として)投げるよりも、アイツらを倒さないと甲子園に行けないという敵の立場にいるほうが成長できるのではないか、と諭しました。

 そして荒山(荒山善宣)コーチの下でも努力を重ねた奥川は、2年春の県大会で日本航空を4安打完封。2年生で甲子園とU-18(高校ジャパン)を経験して、またさらに成長。球速(150キロ)だけではなく、スライダーもフォークも磨きがかかりましたし、昨秋は一人で延長15回を投げ切った試合もありました。

 1年生のときは持ち球をすべてとらえられていたので、「真っすぐで空振りを取れる投手を目指せ」という助言はしました。今年はもう3年生。1試合を完全に任せられる投手、どこまでもスケールの大きい選手になってほしいですね。

かほく市立宇ノ気中・三浦隆則監督「奥川が投げると白い粉が散る」


宇ノ気中は1947年創立、野球部は79年の第1回全中に出場、16年夏の同第38回大会で初制覇。写真はその記念碑と三浦監督


 奥川が投げた後のマウンドは、白い粉が散っていたんです。それもロジン(滑り止め)の粉ではなく、プレートの削れた粉が。軸足の蹴りがあまりにも強くて、スパイクの歯でプレートが削れるんでしょうね。正直、初めて見たときは驚きました。長いこと中学野球部の顧問をしていますが、そんな投手は後にも先にもいませんよ。フォームの原型は、今もそう変わっていない。

 かといって、私が奥川を育てたわけではありません。宇ノ気(うのけ)中に赴任してきたときに彼らはもう3年生。奥川はほぼ完成されたエースでした。130キロを超える真っすぐに、スライダーのコントロールもいい。

 身長も180センチ近く。体重は……夏の全中(全国中学校軟式野球大会)の前に「体重を5キロ増やしてくる」と言って、有言実行で大会に入ると5試合を乗り切って優勝。真夏の全国大会は体力勝負になる、と読んでの増量だったんでしょうね。そういうアドバイスはご両親からあったんだと思いますし、奥川は頭のほうも優秀で、人の意見を聞ける素直さもありました。

今も変わらぬ謙虚さ


 奥川の代の野球部は、良い意味で自立した個々のチーム。野球好きの負けず嫌いの集まりでしたが、その筆頭が奥川でした。練習中に集中が切れたようなときは「ヘタになる練習をするよりは走ろうか!」と私が指示すると、必ずトップで走って帰ってくるのが彼。監督の命令だからとイヤイヤ走るのではなく、じゃあ走りを楽しもうか! という雰囲気に率先してなれる選手でした。

 中学卒業前には彼に言ったんです。「高校では必ず打たれるよ。そこでどう考えて練習していくかが勝負や」と。中学では全部をゼロで抑える感じでしたけど、高校では150キロを打つ選手もいますから。

 実際に1年生のときに「めっちゃ打たれました」と報告に来てくれたことがありましたけど、よくそこから成長してきましたね。さすがに150キロを出すまでになるとは思いませんでした。

 奥川は自宅通学で投手なので、その後も時間があれば訪ねてきてくれます。今もとにかく謙虚で、良いことも悪いこともすべて自分の言葉で話せる。それが成長の要因でしょうね。これからも謙虚さを忘れずにいたら結果はついてくるやろうし、プロに行ってほしいなと思っています。力は十分にありますから、心配していません。

星稜高・山瀬慎之助捕手「基本、どの球でも打ち取れる」


宇ノ気中時代は四番・捕手で全国制覇した山瀬。2年のセンバツでは打率6割、夏の甲子園では左翼フェンス直撃打も放っている


 僕は捕手として対戦相手のデータもとっていて、投球の組み立てもいろいろと事前に考えます。でも奥川が投げるときは、そういうのがあまり必要ないですね。

 奥川の場合は、状況に応じてこの球で打ち取れる、この球でも打ち取れる、という選択肢がいつも複数あるんです。そういう中で、奥川が一番投げやすくて一番簡単なコースを自分が選んでサインを出す、というのが基本ですね。

 正直、小学生のときの奥川は大きくてボスキャラで、試合に負けるとふてくされる。そういうときは怖いので近寄りませんでした(笑)。一方で、憧(あこが)れに近いようなものを感じるすごい選手で、人に言われる前から何でもできてしまう。子どもながらに、こういうヤツがプロ野球選手になるんだなと思っていました。ただ、「高校NO.1投手」と言われるまでになるとは予想できなかったですね。

 向上心が並ではないし、いつも自分のやるべきことを理解していてそれができている。中学の野球部で貴重な出会いもあった中で、自分も含めて人間性のほうも自然に変わってきたと思います。

 どんなにすごい選手でも、中・高と進む中で限界や底のようなものを感じたり、感じさせるものだと思うんですけど、奥川に関してはそういうのがない。ずっと止まることなく進化してきている感じです。高校はもちろん、プロに行ってからも球界を代表するようなピッチャーになってほしいですね。

 僕も負けていられない。「高校NO.1」と言われるような捕手になって奥川を支えてあげたいなと思っています。ただ、練習しなくても試合で打ててしまう、あの打撃センスだけは自分にも分けてほしいですね(笑)。

2016年夏、奥川は宇ノ気中のエースとして予選から14連勝して全国8706校の頂点に。当時は身長179cm、体重84kg、130キロ超の速球と縦のスライダーを軸に全中では4勝0敗で自責点1、投球回26に迫る24三振を奪った


『週刊ベースボール』2019年1月28日号(1月16日発売)より

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