今年もまた、ドラフト会議が近付いてきた。1965年秋からスタートし、今年で56回目。制度をさまざまに変えながら歴史を紡いできた。ここでは2019年のドラフト会議まで、1年ごとに振り返っていく。 2位で田中賢介も3球団が競合
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甲子園出場はなかったが剛腕左腕と騒がれた河内は広島へ
人材不足と言われたこの年、各球団の戦略はさまざまで、上位指名は思惑、駆け引きが錯綜する展開になった。1、2位とも逆指名が5球団。2位に逆指名選手を置き、1位で高校生が3球団。残る4球団は逆指名を使わず、上位2人を高校生で勝負した。
まず、1位で近鉄、広島、
中日の3球団が競合した
河内貴哉(国学院久我山高)は、広島が抽選勝ち。当たりクジを引いた
達川光男監督が、小道具に用意していた「ラッキーストライク」の箱をポケットから取り出して喜び、会場の笑いを誘った。続いて、2位指名で
日本ハム、
西武、中日の3球団が競合した
田中賢介(東福岡高)の抽選。こちらは日本ハム・
大島康徳監督が当たりクジを引き当てた。
クジに外れた球団の再選択に移ったが、1、2位とも外した中日が1位・
朝倉健太(東邦高)、2位・
宮本大輔(延岡学園高)で再提出すると、これが大誤算。近鉄が1位で宮本を指名してきたため、優先規定により、宮本の交渉権は自動的に近鉄の手に渡ってしまったのだ。
中日は
福沢卓宏(滝川二高)を2位で再々選択したが、3位の
山北茂利(トヨタ自動車)で打ち止め。スカウト陣の読み違いに仏頂面の
星野仙一監督は、さっさと会場を後にした。
【1999年ドラフト12球団1位】
阪神 的場寛壱(九州共立大/内野手)
近鉄 宮本大輔(延岡学園高/投手)
広島 河内貴哉(国学院久我山高/投手)
日本ハム
正田樹(桐生第一高/投手)
ヤクルト 野口祥順(藤代高/内野手)
ロッテ 高橋薫(日本通運/投手)
横浜
田中一徳(PL学園高/外野手)
オリックス 山口和男(三菱自動車岡崎/投手)
巨人 高橋尚成(東芝/投手)
西武
高山久(九州学院高/内野手)
中日 朝倉健太(東邦高/投手)
ダイエー
田中総司(立命大/投手)
高校生の下位指名でも多くの名プレーヤーが生まれた。広島の3位はのちの四番・
栗原健太(日大山形高)。ダイエーの4位にはのちにメジャーでも大人気となった
川崎宗則(鹿児島工高)がいる。
さらに5位指名では10代としては1987年の
桑田真澄以来の開幕一軍に入り、巨人の中継ぎとして活躍した
條辺剛(阿南工高)。そして近鉄が
岩隈久志(堀越学園高)を指名した。
また、日本ハムの7位指名の
遠藤良平は、東大出身として4人目のプロ野球選手となった。
写真=BBM