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昭和ドロップ

【昭和ドロップ】第10回 2021年、球界に何が起きるのか

 

毎回、爆笑秘話満載の昔話で盛り上がってきたが、今回は、定岡正二氏に“シリアス・サダさん”のスイッチが入る。2021年の展望から球界の未来への提言へと話が広がった。
構成=井口英規

[上]満員の東京ドームは帰ってくるか/[下]無観客の2020年開幕戦[東京ドームの巨人阪神戦]


解説陣のコロナ不況?



──新年一発目の『昭和ドロップ!』は、2021年の予想をしてみましょう。球界にどんなことが起きると思いますか。

川口 それよりまず、新年なんだから「読者の皆さん、あけましておめでとう!」からがいいんじゃないの。

──いえ、(取材日は)まだ12月ですから、それはやめておきましょう。雑誌になったときは、「今年」、「来年」はすべて「20年」、「21年」と書きますので、ご了承ください。

川口 そのあたりはマスコミのお約束で問題ないのかと思ったけど、意外と固いんだね(笑)。まあ、いいや。じゃあ、どこよりも早い順位予想からにしようか。セは巨人が優勝で、2位が阪神、3位が中日……。

定岡 グッチ(川口)、順位予想はせめて菅野(菅野智之。巨人)がどうなるか決まってからにしようよ(取材日時点ではまったく分からず)。

篠塚 その前にコロナもあるしね。これが早く終息してもらわないと。野球がどうこうというより、ゴルフが落ち着いてできないでしょ(笑)。

川口 コロナか……。20年は試合が少なくて解説の仕事も減ったし、これが21年も続いたら大変ですよ……って、新年一発目の連載なのに貧乏くさい出だしになっているね(苦笑)。

篠塚 でもさ、解説と言っても普通の観客みたいだったよね。球場に行ってもグラウンドレベルには降りられず、選手と会って話したのは春のキャンプが最後だったかな。

定岡 だよな、僕も同じ。東京ドームのレジェンド解説で、ベンチのクロマティ(巨人アドバイザー)とマイクで掛け合いをしたくらい(笑)。

篠塚 ところでサダさん、20年は何回、野球教室をやりました?

定岡 1回もやってないよ。

川口 僕は2回です。

篠塚 僕も2回だけ。こんなに少なかったのは初めてです。この間、やったときは久しぶりだったんで、何だか新鮮でしたよ。

定岡 話はあったけど、なんだか怖くて……。そこから子どもたちに感染とかあったらね。21年は、そういう心配なくできたらいいんだけどな。

川口 キャンプも取材に行くかどうか迷っているんですよ。選手に会えるかどうかも分からないですしね。シノさんは、どうされますか。

篠塚 行くとは思うけど、宮崎や沖縄まで行ってスタンドから見てもね。それだったら、G+(ジータス)を見ていたほうがいいのかな。

川口 今は、全球団CSでキャンプ中継やってますしね。寂しいけど、解説者だけじゃなく、キャンプに行くお客さんも減るでしょうね。

定岡氏の若手時代の巨人宮崎キャンプ。超密だ![中央が定岡氏]


定岡 でも、それをすべてマイナスじゃなく、チャンスと考えてほしいとも思う。例えばキャンプの放送も、お客さんが近くに行けないなら、もっとカメラワークを工夫したり、身近にいるような感覚になれるようなライブ中継をしたり、密にならない中での見せ方、伝え方の工夫は絶対に必要だと思う。苦しいときこそ生まれるアイデアってあるからね。他人事じゃなく、僕も伝える立場の人間として、何か考えなきゃとは思っている。
 あと、ついでだからもう少しマジメな話をしていいですか? 20年に関して強調したいんだけど、僕は関係者の努力が本当にすごかったと思う。お客さんを入れてここまでできると思わなかったからね。ナマの声援がいかに選手のプレーを上げていくかもあらためて感じた。

篠塚 選手にとって声援の力は大きいですからね。

川口 プロ野球が率先してやったから、ほかのスポーツもお客さんを入れてできた面もありました。日本とアメリカで感染状況が違うけど、メジャーは、わずか60試合で、しかもほぼ無観客ですしね。

定岡 21年は、さらにちょっとずつでもいいからお客さんを増やせる状況をつくって、選手がやりやすい、いいパフォーマンスが出しやすい環境になってほしいよね。

川口 ついでに言えば、僕ら解説者の仕事が増えればもっといいですけどね、しかもおいしい仕事が(笑)。

五輪ブレークどう使う?


──順位予想は後に回すとして、21年の戦いはどうなりそうですか。やるかやらないか分かりませんが、長いオリンピックブレークがあります。

川口 120試合の20年は、日替わり打線でリリーフ陣をガンガン使った巨人、ソフトバンクが優勝だったけど、1カ月の休みがある分、21年はさらに少数精鋭で飛ばすチームが増えるんじゃないかな。事実上、2期制みたいなもんでしょ。

篠塚 いっそ昔のパ・リーグみたいに前期、後期に分けて優勝も決めちゃえばいいのにね。

定岡 そういうこともありだよね。さっきのキャンプ中継の話じゃないけど、僕は、これからの球界はいかにアイデアを出せるかだと思う。やるやらないは別とし、セ・リーグのDH導入にしても、頭から「しない」じゃなく、この議論をきっかけにして、いろいろな工夫をすれば野球の魅力を変えるようなことにもなるかもしれないしね。

川口 サダさん、今回は超マジメモードですね(笑)。僕はDH賛成派ですが、正直、ダメなら戻せばいいくらいでやってもいいと思うんですけどね。なんかみんな頭が固いんですよ。

篠塚 僕は、DHは決めなくてもいいんじゃないかと思う。打席に立ちたい、ベンチが立たせたいピッチャーもいると思うし、立ちたくない、立たせたくないピッチャーもいるでしょ。その日のゲームでウチはピッチャーが打席に立ちますよ、ウチはDHでいきます、でいいんじゃないかな。それもまた戦略でしょ。

定岡 僕個人の意見で言えば、ピッチャーが打席に立ってくれたほうが好きだけどね。ピッチャーが打つとみんな喜ぶし、勢いが出る。

川口 打席に立たなくていいんで、ピッチングには集中できますよ。

定岡 ウチらはそれで育ってきたからね。逆に打つことで自分を乗せていったり、ランナーに出てハアハア言いながら投げて抑えるのが、うれしかったりもした。僕はそれも野球の魅力だと思っているんだけどね。

川口 実際、昭和のピッチャーは結構、打ちましたしね。ただ、セ、パの差がこれだけついた理由の1つにDHがあるのは事実だと思います。攻撃的な野球になるし、ピッチャーについては代打の必要がないから長く投げさせられる。八、九番のバッターで手を抜けない分、タフになっているとも思います。

定岡 それはあるかもしれんけど、僕はセ・リーグの意地を見せてほしいんだよね。交流戦でも日本シリーズでも確かにパ・リーグは強い。でも、だからDHを入れて向こうをマネるんじゃなく、セ・リーグはセ・リーグの野球で勝っていったほうがドラマが生まれると思うんだ。

川口 あれ、何だか「DHなんか頭からしない」的な意見に聞こえますが(笑)。

定岡 違う、違う! いろんな意見があって、それをぶつけ合って決めたらいいなと思うだけさ。

川口 球界よ、ぼうっとしてんじゃねえよ! byチコちゃんですね(笑)。

──東京オリンピックがなかった場合、1カ月のブレークがそのまま空くことになりますけど、日程変更もありますかね。

篠塚 そこは空けときゃいいんじゃないのかな。急に変更するってわけにはいかないでしょ。僕は無理にプロだけで何かするより、いい機会ととらえ、アマチュアとどんどん交流すればいいと思うけどね。

川口 オリンピックがあったとしても、選ばれるメンバーは一部ですし、練習だけじゃもったいないですよね。今から準備してもいいんじゃないですか。全国の空いている球場を使って、社会人や独立リーグ、大学生との試合を組むのもありかな。現役とやることで、アマのレベルを上げることにもなると思いますしね。

定岡 本当は高校生ともやってほしいんだけど、夏は甲子園があるから無理かな。

川口 昔、サッカーの天皇杯は高校生が出場できたらしいですし、スポンサーを見つけて、シーズン後にカップ戦も面白くないですか。ドーム球場を使えば冬もできます。大阪桐蔭高対阪神で藤浪(藤浪晋太郎)先発とかあれば盛り上がりますよ。

──脱線しますが、91年くらいに阪神が「たけし軍団」に負けたことがありましたよね(テレビ企画。バラエティーだったので、当然阪神はメンバーを落とし、ボールも軟式球だった)。

川口 昭和らしい話だね、いや、91年は、もう平成か(笑)。

阪神より強かった(?)「たけし軍団」[左から長嶋茂雄氏、ビートたけし氏、たけし軍団の方々]


野球への入り口となる遊び


──今回は皆さんがマジメなんで、こちらもマジメな話をしますが、少年野球人口が激減し、サッカーに差をつけられているという話も聞きます。この流れを止めるには何をしたらいいんでしょう。

定岡 一番はプロとアマの交流をもっと密接にすることでしょうね。あと少年野球に関して思うのは、野球道具が高過ぎますよね。グラブ、ユニフォーム、スパイクと一式そろえたら5〜7万円くらいするんじゃないですか。野球教室でも子どもたちがすごく高級なのを使っているのを見るけど、あれじゃ誰でもやるというわけにはいかないでしょ。今はみんな形から入る時代だから、安い値段で、子どもたちがカッコいいと思う用具が手に入るようにしてほしいですね。NPBが企業とタイアップして補助し、ミズノとかが1万円以下の「少年野球必需品セット」を売り出すとかできないのかな。

川口 球団が1億円ずつ出してメーンスポンサーになってもいいんじゃないですかね。ほかの企業にも援助してもらえば、1球団で1万セットくらい準備できるでしょ。そしたら12万セットですよ。

篠塚 実現するかは別にし、そういうアイデアは面白いね。新しいものが急にポーンと出たら必ず目が行く。世の中、話題づくりも大事だからね。

定岡 あと子どもたちに教えていて感じるのは、野球が身近にないなということ。まったく野球をやったことない男の子って、僕らの時代にはほとんどいなかったけど、今はボールを捕ったり打ったりしたことがない子がけっこうな数いる。

篠塚 右利きなのにグラブを右にはめたりね(笑)。

定岡 でもね、僕が小学校へ行って、一緒に体を動かし、30分でもやれば、みんなびっくりするくらい野球に興味を持ってくれるんだ。今の子どもって、バーチャルなもの(仮想的なもの)はすごく身近にあるけど、体を動かしながら感じることが少ないからだろうね。そんなの1日の思い出に過ぎないと言うかもしれないけど、将来、大人になっても、子どものときの汗をかいた記憶って、すごく残る。僕らOBでもこのくらいできるんだから、例えば(巨人の)坂本勇人が来て、一緒にキャッチボールをしたとかなったら、本当に一生ものの記憶になるんじゃないかな。

篠塚 あとは親ですよね。スポーツに興味がない親はなかなか野球観戦に連れて行かないし、野球をさせようともしない。そのためにもサダさんの言うように、まずは安く道具が手に入るやり方かな。ハードルを下げ、気軽に「うちの子に野球させてもいいかな」と思わせる環境づくりというんですかね。

少し前だが、篠塚氏の野球教室風景


川口 小、中学校の教科にも入れてもいいんじゃないですかね。

定岡 ダンスを入れるなら(中学の教科になっている)、野球、いやキャッチボールでいいから入れてほしい。キャッチボールだけなら場所も狭くていいしね。

川口 ティーボールをしている小学校はあるらしいですけど、礼儀とか仲間たちとの接し方とか、野球から学べることはたくさんありますしね。

定岡 でも、自分で言っていてなんだけど、道具を用意してプロが教えて興味を持たせるって、ぜい沢はぜい沢だよね。僕らは山から竹を切ってきてバットにし、紙にテープ巻いてそれで野球が始まったからね。

川口 それはサダさんの昭和です。僕じゃない(笑)。

定岡 お前の昭和も同じだろ!(笑)

──僕も小学生のとき、プラスチックのカラーバットとゴムボールで、近所の空き地とか裏道でいつも遊んでました。大人にうるさいとか邪魔だって怒られながら(笑)。

定岡 僕のお勧めは三角ベースです(セカンドがなく、一塁と三塁だけの野球)。スペースは狭くていいし、人数も1チーム4、5人いればできます。ゴムボールならグラブもいらないし、手軽でしょ。子どもたちには、そういう野球の入門的な遊びを楽しんでもらうのも大事なのかもしれないですね。

あの落合博満氏が自らトス! 一生ものの思い出だろう


──今回は2021年の予想というより、かなりマジメな提言っぽい内容になりました。「昭和ドロップ! シリアス版」ですね(笑)。

定岡 たまにはいいんじゃないですか。じゃあ、この勢いのまま第2弾いきましょうか。どうせまた、何本かまとめてやるつもりだったんでしょ(笑)。(続く)


PROFILE
定岡正二/さだおか・しょうじ●1956年11月29日生まれ。鹿児島県出身。鹿児島実高3年時、エースとして夏の甲子園に出場し、甘いマスクもあってアイドルとして大人気に。75年ドラフト1位で巨人入団。しばらく二軍生活が続いたが、80年に先発定着。江川卓西本聖と先発三本柱と言われ、優勝、日本一イヤーの81年に11勝、82年には15勝を挙げた。85年オフ、近鉄へのトレードを拒否し、引退。通算成績215試合登板、51勝42敗3セーブ、防御率3.83。

篠塚和典/しのづか・かずのり●1957年7月16日生まれ。千葉県出身。銚子商高2年時の74年春夏連続甲子園出場、夏は全国制覇。ドラフト1位で76年に巨人へ入団した。5年目の80年に二塁の定位置を確保すると、翌81年には打率.357の大活躍でリーグ優勝、日本一に貢献。その後も巧みなバットコントロールから広角に打ち分けてヒットを量産。84年と87年には首位打者に輝いている。華麗な二塁守備への評価も高かった。90年からは故障もあって代打中心の起用となり、94年限りで現役引退。1651試合、1696安打、92本塁打、628打点、55盗塁、打率.304。

川口和久/かわぐち・かずひさ●1959年7月8日生まれ。鳥取県出身。鳥取城北高からデュプロを経てドラフト1位で81年に広島入団。3年目の83年に15勝、リーグ3位の防御率2.92。84年から10年連続で規定投球回に到達、86年からは6年連続で2ケタ勝利を挙げ、80年代の広島投手王国をけん引。三振か四球かの荒々しいピッチングで、93年まで11年連続で100奪三振以上を記録し、リーグ最多奪三振3回も、最多四球は6回を数えた。95年にFAで巨人へ移籍、98年限りで現役引退。通算成績435試合登板、139勝135敗4セーブ、防御率3.38。

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