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ダンプ辻コラム

続・おいしかったご飯の話と愛しの若生智男先輩【ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ】

 

中央のバッキーの左隣が若生


ダンプ監督のファインプレー


 前回は仙台のおいしいササニシキについて……、いや、球場話のついでに、お米がおいしかったという話をしたんですが、今回は東北の反対側、秋田に移りましょうか。

 三冠王の大打者・落合(落合博満。元ロッテほか)のふるさとですね。ここにあった秋田市営球場は……ああ、これから話すほかの球場もそうですが、僕が球場に行ったのはたいてい昭和です。改装している球場も多いと思いますけど、「今は違う!」とかは言わんでくださいね。

 昔は狭く、フェンスも低かった。スコアボードが移動式でベンチの脇にあるような田舎の球場でしたが、それでも一軍の試合を普通にやっていました。ダグアウトがかなり深く、ベンチがぼろい球場でしたね。ただ、狭いだけあって、逆にみんな勘違いして思い切って振ってくる。結果的に詰まるバッターが多かった印象がありますし、キャッチャーとしては、腕の見せどころみたいな球場でした。

 食べ物もうまかったなあ。ここの比内(ひない)鶏が、ほんとにうまかった。遠征に行くと、必ず行く店があったんですけど、ほかの鶏肉とはまったく違う。聞いたら、地面が斜めになっているところで放し飼いにしているそうですね。普通の鶏より大きいらしく、肉はやや固めだったけど、歯ごたえがあって、うまみが違いました。

 横浜のコーチ時代、その店に、みんなで食べに行ったとき、面白い話があります。仲が良かった先輩の若生(若生智男)さんと一緒に行ったときです。この人、鶏の専門店に行きながらも、実は鶏肉が大嫌いだった。確か野菜やら魚やら食べていたと思いますが、ふと見たら、置いてあったつくねに手を出して食べたんです。みんな「あっ!」って声出したんですけど、一応、若生さんに「それ、おいしいですか?」って聞いたら「おいしいよ。でも、何の料理?」と聞くから「鶏のつくねです」と。目を白黒させていたね(笑)。

 秋田県の球場と言ったら、大館市の『大館樹海ドーム』(現ニプロハチ公ドーム)というところに行ったことがある。プロ野球の公式戦をするには狭いんですが、きれいな球場でした。ここで僕が監督をしたことがあるんですよ。大洋の二軍? いやいや、昔やっていたOBのマスターズ・リーグです。2000年くらいだったと思います。僕は当時、『札幌アンビシャス』というチームにいて、札幌は土井(土井正三。元巨人)が監督だったんだけど、なんか用事があるというんで秋田に来ることができず、僕に監督してくれとなったんですよ。

 現地には僕は東京からだったんですが、ほかに札幌、大阪から入った人たちもいた。でもね、ほかはジェット機なのに大阪からだけプロペラ機だったらしいです。その日、秋田は小雪まじりの大風が吹いていて、飛行機が揺れまくったから、大阪組の半分はゲロ吐いたそうですね(笑)。みんな球場に着いてから「二度とプロペラ機なんか乗らん」と怒っていました(笑)。

 この試合、土井だけじゃなく、けっこう来られなかった人が多くて、札幌はファーストがいなかったんですよ。それで僕も監督ですから、「よし、俺が行くよ」と入った。まあ、別に球を捕るのはキャッチャーと同じですから、無難に送球をさばいていたんですが、8回、2対0で勝っていたとき、一死満塁で、打席に左打者で元近鉄のモーやん(小川亨)が入った。

 僕は、なんかこっちに来そうだなと思って前進守備をしたんですが、案の定、打球が正面に来た。グラブを構えたら、視界を遮ってボールを一瞬見失ったんですよ。それであわてて顔を隠すようにミットを突き出したらパチンとグラブに入ってアウト。ホッとしたら足がふらふらになって後ろに転がっちゃった。そのあと、ワーワーと味方からもヤジられました(笑)。

 これで二死満塁になって、今度は羽田耕一(元近鉄)だったかな。今度はファーストゴロが来て、腕だけはうまく動いて捕ったけど、足が動かないんです。そのまま後ろにこけてしまい、はいつくばって一塁に向かって何とかアウトにしました。

 みっともなかったけど、2つともたまたまアウトにできた。周りからは、あれこれ文句を言われたり、ひやかされたりしましたが、僕は「日ごろ真面目にプレーしているから、こういうこともあるんだよ」と話しておきました。

若生さんの階段落ち


 そうだ。さっき話した若生さん絡みで、地方球場の面白い話があるんですよ。あれは昭和39年(1964年)、シーズン後に巨人、南海、阪神、西鉄で九州でのオープン戦があったときです。その遠征で熊本に行ったんですが、若生さんは普段はそんな飲まないのに、あのときは馬刺しがうまかったのか、結構、飲んだんですよ。そしたら店を出た途端フラフラになってね。なんとか商店街の脇にあった宿までみんなで連れていき、5、6人で担いで、若生さんの部屋があった2階に引き上げようとしたんですが、このとき宿の女中さんに悲劇が起こったんです。

 当時、阪神に和田さんというトレーナーがいた。理由は知りませんけど、片方の目が義眼で、いつもは色がついたメガネで隠していたんですが、宿では当然、しとらん。それで、僕らが帰ってきて騒いでいるんで、様子を見にきたらしいんですが、僕らが若生さんの手と足を持って運んでいたのが面白かったようで大笑いしながら寄ってきたと思ったら、階段で滑ってこけたんです。

 そしたらそのとき、和田さんの義眼がポロリと落ちちゃってね。たまたま女中さんが2人通って、その顔を見ちゃった。それでキャーッと悲鳴です(笑)。

 ものすごい声だったんで、こっちもびっくりして若生さんを運んでいた手を離しちゃって、ゴンゴンゴンって若生さんが階段を落ちてしまった。ああ、やばいと思って、みんなで若生さんに近寄ったけど、うまいこと落ちたのかな。「う〜ん」とか言いながらまだ寝ている(笑)。悪いなと思いながらも、みんなで大笑いしました。

 あれ、球場の話がなかったか。このときは熊本の藤崎台球場だったけど、外野にでっかい木があったからなのか、蛾(が)がいっぱい集まってね。特にブルペンは、もう仕方ないくらいたくさん来るんですよ。照明が少し暗いのがいいのかな、球場の明るい照明じゃなく、地味なブルペンが好きみたいです。

PROFILE
辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・辻佳紀がいたためでもある。

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