週刊ベースボールONLINE

ダンプ辻コラム

「3割打てたのはダンプさんのおかげ」衣笠祥雄との最後の雑談【ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ】

 

84年初の打撃3割でMVPにもなった衣笠。その活躍の陰に……


衣笠覚醒の恩人?


 何年か前ですが、TBSの人間から電話があって、横浜球場に呼ばれたことがあります。衣笠(衣笠祥雄。元広島)が、僕に会って話をしたいと言っている、ということでした。

 別に、そんな仲がよかったわけじゃないですよ。会ったらあいさつするくらい。何でかなと思ったけど、せっかくだからと思って行って、1時間くらいかな、雑談をしました。

 現役時代、あいつと少しだけ長くしゃべったのは大洋時代、松山での試合が雨で中止になったときです。何となくしゃべる機会があったんですが、ずっと打率3割を打てずに自分がいかに悩んでいたかという話を熱心にしていました。どうしても打ちたかったのに打てず、ずいぶん苦しんだらしいです。でも、そんなこと規定打席には1回しかいっておらず(1971年)、そのとき打率.193だった僕になんでと思ったけどね(笑)。

 それが昭和59年だったかな(1984年)、衣笠が一度だけ3割を打った年があったでしょ(.329)。聞いたら、「あれはダンプさんのおかげです」という。え? いや、話をつくったわけじゃないですよ、失礼な(笑)。衣笠が本当にそう言ったんです。

 ある試合の打席で、彼が外の球を見送ったとき、僕のピッチャーへのアドバイスが聞こえたらしい。「よし、ここに投げておけばバッター打たんぞ」って。確かに、時々投手に向かって、そういうことを言っていたのは確かです。バッターに聞こえても、逆に向こうが勝手にいろいろ考えて、こっちにプラスになることが多かったからね。

 でも、衣笠は「ここに来たらどうせ打てないんだったら、最初から打ちにいかなきゃいいんだ」と思ったらしいんです。それまでの衣笠というのは、多少ボール気味の外の球でもガッと踏み込んで引っ張ろうとした。でも、そんなスイングじゃ滅多にヒットにはならんから、こっちとしては楽なバッターだったわけです。

 しかも、それを追い掛けなくなったことで、体が残って、それまで詰まっていたインサイドがよく見え、対応できるようになったと言っていました。僕の一言で、あいつの弱点が2つ消えちゃったわけですね。それで、あの年、打点王とMVPでしょ。「ありがとう、ダンプさん」とお礼を言われちゃいましたが、いつの間にか、お節介にも敵にまでアドバイスしちゃったのかと、こっちは反省でした。

 もう一つの思い出は、以前も話した、高〜い、高いキャッチャーフライです。僕は打球が上がったとき、ああ、これは動かんでも捕れると思ったから、ぼうっと立ったままで打球から目を離したんですよ。あいつは僕の様子を見てスタンドまで行ったと思ったんでしょうね。打席で突っ立っていたんで、あいつと僕がベースを挟んで顔を見合わせるような感じになった。それでしばらくして「そろそろかな」と思ったんで、ちらっと上を見てミットだけ胸の前に出してポンとナイスキャッチです。あいつ「そりゃないよ、ダンプさん」って言って、悔しがった、悔しがった(笑)。

 そのときは、ほかにも、たわいもない世間話や野球の話をした記憶があります。すごくやせていてね。声もあまり出てなかった。病気のことは聞かんかったけど、大変だなと思っていたら、次の年かな、亡くなったというニュースがありました。

消防署に怒られた


 なんかしんみりしちゃいましたね。僕の連載らしくないかな。今回の球場シリーズは、なるたけくだらない話にしましょう。

 静岡草薙球場がいいかな。ここは昭和50年(1975年)、大洋に移籍してからの春のキャンプ地です。横浜から大して遠くはないんですが、海流の影響なのか2月でも結構、暖かい場所でした。外野のほうに富士山がきれいに見えていましたね。

 ただ、当時、花粉症に苦しむ人が日本中で増え始めていたころで、ここは球場の周りに木がたくさんあって、空が黄色く見えるときがあるくらい花粉が飛んでいた。それで似合わんかもしれませんが、僕も花粉症になっちゃったんですよ。くしゃみと鼻水がとまらず、鼻をかみ過ぎたのか、鼻の奥から血の匂いがして病院に行ったこともあります。

 オープン戦でも止まらんで、くしゃん、くしゃんとくしゃみが出る。ゲーム中、何度もタイムを取っていたら、球審に叱られました(笑)。車の運転も怖かったですよ。いきなりくしゃみが出て、その勢いでブレーキを踏んでしまい、死にかけたこともあります。ダンプ危機一髪? 念のため言っておきますが、僕の車はダンプじゃないですよ(笑)。

 花粉症は当時、これといった治療薬がなく、風呂場で鼻の中を必死に洗浄していましたが、結局、10年くらいしてからですかね、治ったのは。

 ここでもう1つ面白い話があるんですよ。キャンプの後半、長雨になってグラウンドに水がたまって使えなくなったときがあった。このとき昔のキャンプではどこでもやっていたんですが、上からガソリンをまいて火をつけたんですよ。これで結構、水が蒸発します。

 でも、地面から煙がもくもくと出ているとき「ウウー」とサイレンが鳴って消防車が来ちゃった(笑)。マネジャーが連れていかれ、「やるときは申請してください」とお叱りを受けたそうです。

 これは大洋2年目くらいだったと思うけど、バッテリーコーチの益田(益田貢)さんと福嶋(福嶋久晃)がストーカーみたいに後ろにくっついてきたこともあったな。要は、僕の技術を若い福嶋に伝えようとしていたらしいのですが、僕がセカンドスローをしていると、「おい、福嶋、お前の投げ方はダンプと比べて後ろが大きいんだ」とか、後ろでこそこそ言っているのが聞こえるんですよ(笑)。「どうせなら直接聞けよ」とずっと思ってました。

 現役最後の春季キャンプも静岡でした。前の年、球団がやめさせようとしたのを関根潤三監督が止めてくれたらしいんですが、その割に、

「ダンプ、もう練習せんでええぞ。邪魔にならんように好きなようにやっていいぞ」

 なんて言葉をいただいて、のんびりやってましたね。

PROFILE
辻恭彦/つじ・やすひこ●1942年6月18日生まれ。愛知県出身。享栄商高から西濃運輸を経て62年夏阪神入団。75年大洋に移籍し、84年引退。その後、大洋、阪神、横浜のコーチを歴任した。通算974試合、418安打、44本塁打、163打点、打率.209。ダンプの愛称は同姓の捕手・辻佳紀がいたためでもある。

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング