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2023引退会見

<2023引退会見>DeNA・藤田一也 愛した地で現役生活にピリオド

 

シーズンも残りわずかとなり、現役生活に別れを告げる選手も出てきた。9月22日、横浜市内の球団事務所では軽快な守備で“ハマの牛若丸”と呼ばれた名手がグラウンドを離れる決意を固めていた。
写真=川口洋邦、BBM ※成績・情報は9月22日現在

藤田一也[DeNA/内野手/41歳]


 ベテランの域に入り、定位置の二塁から離れてもゴールデン・グラブ賞3度のグラブさばきは健在であり続けた。しかし今季、持ち味である守備が思うようにいかなくなったことがグラブを置く決断の決め手となった。

 横浜、DeNA→楽天→DeNAで輝きを放った藤田一也の引退会見が横浜市内の球団事務所で行われた。華麗な守備で観るものを魅了してきた名手は徳島県出身、1982年生まれの41歳。鳴門第一高(現鳴門渦潮高)から近大を経て、2005年ドラフト4位で横浜ベイスターズに入団しプロキャリアをスタートしている。

 愛する子どもに引き留められながらも「パパも、もうお腹いっぱい野球をしたから」と家族に報告して迎えた9月22日。

「私、藤田一也は今シーズンで現役生活を引退する決意をいたしました」

 プロ19年目の大ベテランは、「よくここまでできた。幸せだったな」と今の心境を確かめるように落ち着いた口調で続けた。しかし紆余曲折あったプロ野球人生について話が及ぶと、一転して目が潤む。「苦しかった……。もっと活躍できると思ってました」。少しの沈黙の後、「活躍はできなかったけれど、この年までできたことが幸せだったのだと思います」と真っすぐに視線を向ける。そこにはファンが愛した“牛若丸”の姿があった。

横浜を愛した男


 藤田一也という男は球団愛を言葉にし続けてきた。徳島県出身にもかかわらず近大時代から横浜ベイスターズへの入団を熱望。その背景には「あまり大きくない僕をこの世界に熱心に誘ってくれた」当時の宮本好宣スカウトの存在があった。

「こんなスカウトの方がいるのはきっと素晴らしいチームなんだろう」

 19年前の藤田青年はまだ見ぬチームの印象をそう結論付けた。念願かない05年に入団すると、想像どおり「なかなか勝てなかったですけど、上を目指してやっていく本当に良いチーム」がそこにあったと言う。その新人年は、ほかの選手たちに一目置かれる守備力で出場機会を得ている。中でも9月1日のプロ初安打(対広島=横浜)の光景は藤田にとって特別なものだった。

「プロとしての第一歩を踏み出したなという気持ちは今も覚えています。打った瞬間をシーズンの苦しいときに見返すことも多かったし、引退を決めたときにもあらためて見ました」

 以降、横浜、DeNA在籍中にレギュラーの座を手にすることはできなかった。しかし、チームのことを思い、準備を続ける男の周りには次第と信頼を寄せる選手たちが集まっていく。2012年6月26日、藤田がトレードで移籍する日、多くの選手が別れの握手を号泣しながら交わしていたこともその証しだろう。

 シーズン途中での楽天移籍とともにプロ野球人生が大きく動いた。当時の星野仙一監督からその守備力が高く評価され、シーズン後半から二塁のレギュラーに定着。闘将として知られる指揮官について当初は「怖い印象の監督としゃべることができるかな」と感じていた。しかし、「星野さんとの出会いが自分を一回りも二回りも大きくさせてくれた。ユニフォームを着ているときは散々怒られたけれど、同時に期待されているなと感じていました。だからこそ、監督のためになんとか勝ちたい、優勝したいと思っていました」。その一心で13年には自身初の規定打席に到達し、球団創設初の日本一にも貢献。当時、星野監督から「シーズンで10勝以上の価値があった」と賛辞を贈られるほどの存在感を発揮した。「星野さんを胴上げできたことは、僕のプロ野球人生でもとても大きな意味があった」。目じりに手をやりながら藤田は引退会見で語っている。

 翌年以降も主力として楽天を支え、ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ3度の球界屈指の内野手へと成長し、19年には、史上298人目の1000安打も達成。すでに37歳を迎えていたベテランは、そのまま杜の都に骨を埋めると思われた。

まだ終わっていない


 しかし、藤田は横浜に帰ってくる。出場機会が減り、21年10月に楽天から戦力外通告を受けるも、同年12月に古巣DeNAと契約。40歳を迎える22年シーズンを前にこう述べている。

「楽天でプレーしていたときもベイスターズは気にしていたチーム。最後にもう1回ユニフォームを着られることへの思いは言葉で表せない。05年にベイスターズに入団したときから、この球団で優勝したいというのが僕のキャリアの一つの目標だった。チャンスをもう一度いただいたので、その夢をかなえて引退したい」

 加えて、引退会見では「横浜でレギュラーになりたかった」との思いがあったことも明かしている。

 ただ、復帰1年目を主に代打出場での33試合で終えた昨オフ、現役を続けることに葛藤が生まれた。強く意識させられたのはシーズン最後の瞬間。阪神とのクライマックスシリーズファーストステージ第3戦(横浜)。1点を追う9回に一死満塁で代打として出場するも、二ゴロ併殺に倒れ一塁ベース上で突っ伏した。年末には「今でも引きずっています。ああいう形でゲームを、シーズンを終わらせてしまって」と語り、『もう、無理なのかな……』と“引退”の文字が頭をよぎった。それでも大ベテランをグラウンドにとどまらせたのは仲間からの「まだやれる」という言葉と「この球団で優勝したい」の思い。悔しさを忘れないため、携帯の待ち受けにはあの瞬間を設定し、覚悟を持って23年シーズンに臨んだ。

 ファンの目にも見慣れた「23」を背に、春季キャンプから全力で走ってきた最後のシーズン。一軍に呼ばれずファームが主戦場となる中でも「自分がずっと試合に出続けているようではダメ。チームが苦しいときに戦力が落ちないピースになれるように」とすべてを“チーム”のために捧げる男の背中を見た若手はがむしゃらになった。藤田が持つ“横浜の遺伝子”は間違いなく引き継がれている。

 横浜でのリーグ優勝を達成することはできなかったが、引退会見にもかかわらず、幾度となく「まだCS(クライマックスシリーズ)を突破し日本一になる道は残っている」と口にしていた。まだ現役生活は終わらせない。最後の瞬間までチームのために体を張るという覚悟がにじみ出る表情に、どこまでも“藤田一也”は野球人なのだと感じさせられる。

 すべてがうまくいった野球人生ではなかった。それでも、名手がファンに愛されていた事実は、楽天のファーム本拠地・森林どり泉で今も温かな声援をくれるイーグルスファンの存在が、そして安打を放てば割れんばかりの拍手と歓声が沸き起こるハマスタのベイスターズファンの存在が証明している。今季終了とともにグラブを置くことにはなるが、今後も「野球人・藤田一也」の道は続いていく。ファンの声を背負った「この球団で優勝したい」の思いは、達成されるそのときまで変わることはない。

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