週刊ベースボールONLINE

廣岡達朗コラム

ドジャース大谷翔平の真価が問われるのは開幕1カ月後である/廣岡達朗コラム

 

今まで以上に野球に集中


ドジャース・大谷


 大谷翔平(ドジャース)が結婚を報告した。おめでたい。

 偉いと思ったのは奥さんの顔や名前を公開しなかったことだ。普通なら、こういう人だといろいろ話してもおかしくないが、必要以上のことは明かさなかった。とにかく新たな家族ができれば、今まで以上に野球に集中できるだろう。

 オープン戦では初出場でいきなり2ラン本塁打を放つなど快調な滑り出しを見せている。しかし、その真価は開幕1カ月後に問うべきだ。

 なぜかといえば、メジャー・リーグの主力クラスはスロースターターが多い。開幕から1カ月がたった頃に調子を上げてくる。調整の遅さは練習内容に問題があるからだ。キャンプ中から走らせるなど日本式の練習をやらせれば、もう少し違った結果になる。「これをやれ」と言われれば忠実に実行する日本人とは、おのずから違う。

 そういうわけで大谷はオープン戦から開幕にかけてはある程度やると思う。しかし、長い目で見なければ分からない。1カ月もたてば、メジャーの相手投手は見違えるように本領を発揮してくる。そのときに、どう結果を残すかである。

どんどん増えていく「敵」


 大谷は昨年まで下位チームに所属していた。極端にいえば、本塁打か三振かという自分本位の打撃でも周りは納得した。それが今季ドジャースに移籍。チームが優勝するために自分はここにいるのだという自覚をより強く持つ必要がある。ファンも大谷を目当てに球場へと足を運ぶ。大きな注目を集める中、常に期待に応えなければいけない。打てなければ、チームメート、マスコミを含めて「敵」がどんどん増えていく。

 外国人はリップサービスに長けている。最初はお世辞を言う。しかし、いざ結果が出なければ、手のひらを返す。大谷は腹をくくって臨む必要がある。

病気が教えてくれたこと


 もう一つ言いたいのは、29歳という若さでケガをし過ぎることだ。2度目の右ヒジじん帯移植手術で今季は登板を回避。フランク・ジョーブ博士はトミー・ジョン手術で日本でも知られる存在になったが、ジョーブ博士を必要以上に崇めたてる必要はない。かつて私はジョーブ博士と一緒にメジャーの試合を観戦したことがあるが、そのときの会話の中で、ジョーブ博士自らが執刀するのではなく彼の弟子がやっていると聞いた。

 要は、手術をしなくても自分で治すだけの能力が人間には備わっているということだ。

 たとえば、病気になって病院に行くと、医師はすぐに薬を処方するが、薬というのは痛いところを痛くなくすに過ぎない。完治まではさせてくれない。完治させるのはその人自身である。病気になった責任はすべて自分にあると考え、食事を含めた生活を変えればいいのだ。

 私が師事し、大谷もその著書を読んでいるという思想家の中村天風が肺結核にかかったときのことだ。インドでカリアッパ師に出会って、「我々は宇宙の気を吸収している」と言われた。要するに、深呼吸のことである。深呼吸を軽視していたら大変なことになると教わった。師の金言を肝に銘じて食事から何から改善した結果、世界のどんな名医も治せなかった病を天風は克服していく。

 宇宙の気があるから植物が芽吹く。動物も生きていける。人間も自然界の一員であるという真理を理解しないのは情けない。

 私自身のことを言えば、大脳と小脳を手術したとき、病気になった原因と向き合う良い機会を得たと思い、アルコールを断った。病気が教えてくれたのだ。その後も酒を飲み続けていたら私は92歳の現在まで生きてこられなかった。

 話を戻すと、今季の大谷は奥さんの内助の功を受けて、「日本人、ここにあり」を世界に知らしめてほしい。

廣岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。

『週刊ベースボール』2024年3月18日号(3月6日発売)より

写真=Getty Images

みんなのコメント

  • 新着順
  • いいね順

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング