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廣岡達朗コラム

グリフィンの乱、私が監督なら「二度と使わない」/廣岡達朗コラム

 

外国人には思ったことはなんでも言うべき



 巨人の助っ人左腕・グリフィンはこんなにボール球が多い投手ではなかった。3月16日、日本ハムとのオープン戦(エスコンF)に先発して2回、5失点。前回のオリックス戦(京セラドーム)に続く炎上だ。

 あの投手は、コントロールは良かったのだ。それなのに球がばらつき、不満そうな顔をして投げていた。どこかに原因があるのだろう。私が監督なら「二度と使わない」と言う。

 私はヤクルト監督時代、守備に不安のあったチャーリー・マニエルを試合終盤に代えたことがあった。外国人は途中交代を侮辱行為と考える。ベンチに戻ってきたマニエルは血相を変えて今にも私に殴りかかってきそうだった。試合後に監督室に呼んで「ああいうことは二度としない。許してくれ」と謝った。マニエルは今後の起用法を聞いてきた。「お前の守備では試合に勝てないから、二度と使わない」と理由を述べた。ゲームで使ってもらえなければ金にならないマニエルは、「それは困る」と訴えてきた。「だったら練習から一生懸命にやれ」と言うと「イエス・サー」と素直になった。

 外国人には思ったことはなんでも言わなければいけないのだ。

コーチが教えていなかったかの証明


 この試合では、巨人から移籍した若林晃弘が日本ハムの一番・二塁手として起用された。初回からエラーを犯し、ヒットと記録されたもう1本の打球も捕れていた。

 彼はスイッチヒッターとして攻守ともに良い選手だった。巨人は余剰人員が多いため他球団へ行ってレギュラーとして試合に出られれば幸せだと思っていたが、あの守りはなっていない。1回裏の先頭打者では四球で出塁後、後続の打者の安打で二塁に達したところで左太ももを痛め、すぐにベンチに下がった。去年までの巨人がいかに練習していなかったか、コーチが教えていなかったかの証明だ。

 原辰徳監督時代は、余計なことを言うとコーチはクビにされるため、みんなイエスマンになっていた。良い考えは取り入れて利用すればいいのだ。それだけの度量が原にはなかった。そういう意味では今年の担当コーチは仕事をするようになった。

 岡本和真は睨みがきかない。若手が岡本を前に背筋が伸びるような存在にならなければいけない。それでこそ巨人の四番。審判にも帽子を脱いでペコペコ挨拶する必要はない。

色気が出たらダメ


 今季、遊撃のレギュラーとして期待される2年目の門脇誠は一生懸命に夢中でやったから昨年は結果が出た。ところが、オープン戦では低打率にあえいでいる。色気が出たらダメだ。坂本勇人が三塁へ移って俺は遊撃だと、よりうまくやろうと思う考えが間違っているのだ。

 一生懸命にやれば周りが褒める。それでいいのだ。勘違いさせたらいけない。「色気を出すんじゃない」と担当コーチが注意すれば、門脇はすぐに直る。川相昌弘内野守備コーチが「もう少し真剣になれ」と言うべきである。自惚れてプレーするのは坂本一人で十分だ。

 上がしっかりしていれば選手の結果はよくなる。今は逆だ。選手のほうが「この監督を胴上げするために一生懸命にやる」とは、どういう了見か。前監督のときにはなぜ一生懸命にやらないのか、となってしまう。間違っている。

 最後に、西武のOB戦について。私にもオファーが来たが、もう表に出られる体ではないから断った。あのころの選手がみんな集まっていた。彼らを今のフロントが指導者として使えばいいのだ。そうすれば、長い髪の毛をした選手はいなくなる。頼むぜ、と言いたくなる。

廣岡達朗(ひろおか・たつろう)
1932年2月9日生まれ。広島県出身。呉三津田高、早大を経て54年に巨人入団。大型遊撃手として新人王に輝くなど活躍。66年に引退。広島、ヤクルトのコーチを経て76年シーズン途中にヤクルト監督に就任。78年、球団初のリーグ制覇、日本一に導く。82年の西武監督就任1年目から2年連続日本一。4年間で3度優勝という偉業を残し85年限りで退団。92年野球殿堂入り。

『週刊ベースボール』2024年4月1日号(3月19日発売)より

写真=BBM

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