白い丸を3つ並べた。
6月25日に始まった、首位タイガースとの3連戦。いずれの試合でも1万5000人以上の観衆を集めた敵地は、歓喜の喧騒に湧く時間をほとんど与えられなかった。
3試合27イニング、ベイスターズの捕手は1人が務めた。 山本祐大。入団4年目の22歳だ。
連なる勝利の味を問われて、言った。
「うれしいです」
少年のような笑みとともに、まじりっけなしの感想がこぼれた。
歯がゆかった昨シーズン。
1年目と2年目は、打撃で鮮烈な印象を残した。2018年、プロ初打席でホームラン。翌2019年には、延長12回2アウト満塁の場面で代打として打席に立ち、サヨナラの一打を放った。
だが、2020年は一軍でわずか2試合の出場に留まる。
「一軍に行って結果を残したいという気持ちがすごく強かった。1年目と2年目はキャッチャーとしてあまり自信がなかったけど、去年は自分でも成長したなと思える部分があっただけに、歯がゆい日々を過ごしました」
不完全燃焼のシーズンが終わると、山本は動いた。
「12球団でもナンバーワンのキャッチャー」と敬う、梅野隆太郎の自主トレへの参加を志願したのだ。 とはいえコネクションはまったくない。タイガースに在籍経験がある
鶴岡一成ファームバッテリーコーチを介して、思いを届けてもらった。梅野は快諾してくれた。
自主トレのメンバーは、梅野のほかに
岩崎優と
大山悠輔。他球団の主力の輪の中に、自ら足を踏み入れた。
「ぼくは人見知りですし、性格上、そういうところに踏み込んでいく勇気はなかなか持てなかったんですけど、『一年一年が勝負』『自分がよくなるために』と思って飛び込んでいきました。3人の先輩は、すごく気さくに話しかけてくれた。人見知りの感情を出すことなく練習させてもらえました」 およそ2週間、ともに過ごした。ブロッキングを課題としていた山本にとって、球界で高く評価される梅野の技術は最高のお手本だった。投手とのコミュニケーションの取り方にも唸らされた。
それらと同時に、3人との会話を通してプロ野球選手としての心構えを学ぶ。胸に残った言葉がある。
「いきなり、バーンとうまくなることなんてない。コツコツと練習することが大事。それができる選手が、最後に勝つ」 「どんな色を出せばいいんだろう?」
2021年シーズンの始まりに際して、山本は「去年とは違う一年にしたい」と考えていた。ドラフト9位で入団して4年目。危機感も芽生えた。
「一軍に食らいついて、梅野さんたちにがんばっている姿を見せたい気持ちがありましたし、下(ベイスターズの後輩)にも益子(京右)や東妻(純平)という、いいキャッチャーがいるので。なんとか今年、頭角を現さないと戦力外になると思いながら入った年でした」
スタートは、見かけ上はよかった。自身初の開幕一軍入り。チームが波に乗れなかった時期、スタメンの機会も2度めぐってきた。
しかし、フル出場した4月1日のスワローズ戦は11-11の引き分け。同14日、同学年のドラフト1位ルーキー、
入江大生とバッテリーを組んだスワローズ戦では途中交代し、チームも負けた。
目立った活躍を見せることなく、同25日、ファームに降格した。
ほどなく、
仁志敏久ファーム監督と鶴岡コーチから話があった。
「祐大の、キャッチャーとしての色を出してほしい」 山本は悩む。「どんな色を出せばいいんだろう?」。答えへの補助線を引いたのは鶴岡だ。
「セオリーどおりの配球をしなくたっていいんだよ。そんなものは全部無視して、自分のセオリーをつくるんだってぐらい、好き勝手にやっていい」 山本はセオリー重視のスマートな配球をしようとする傾向があったというが、鶴岡の言葉を受けて以降、型に囚われない配球を試みるようになった。やがて、彼ならではの“色”は徐々に浮かび始めた。
そして6月22日、約2カ月ぶりに一軍に帰ってきた。
昇格した日に急きょ出番が。
事態はにわかに動き始める。
一軍に再昇格した日のジャイアンツ戦で、試合に出場中だった
伊藤光が腰の違和感で途中交代。突然のアクシデントに、ベンチから駆け出してきたのが山本だった。
5点ビハインドの6回裏2アウト一塁の場面から、ゲームセットまでマスクをかぶった。スコアが動くことはなく敗れたが、落ち着いて務めを果たした。
山本が明かす。
「仁志監督から言われてたんです。ぼくたちみたいな選手は『途中から出るときでも10割の力を出さなきゃいけない。そうしないと生き残れない』と。なので、10割を出せる準備はずっとしてきたつもりでした。たまたま櫻井(周斗)、シャッケル(K.
シャッケルフォード)、伊勢(大夢)さんと、ファームでいっしょだったメンバーと組むことにもなったので、すんなり入っていけました」
まるで不思議なレールが敷かれているようだった。
伊藤がベンチを外れた次戦以降の先発捕手として起用が続く。「首脳陣が与えてくれたチャンス」。ふいにするわけにはいかなかった。
こうして甲子園でのタイガース戦を迎えたのだ。自主トレで語り合った梅野と、早くも一軍の舞台で対峙することになった。
正確を期すならば、捕手山本が対決する相手はタイガースの打線だ。ルーキーの
佐藤輝明が加わり、怖さは増した。スタメン捕手として、どこまで抑え込めるのか。試練の3連戦が始まった。
6月25日のカード初戦は、初回にT.
オースティンの2ランで先制。先発の
濱口遥大は制球が安定し、危なげなく回を進める。
その途上、山本が“色”を出せたとの感触をつかんだ対戦がある。4回裏、やはりオフの自主トレをともにした大山の第2打席だ。 2アウト一塁、本塁打で同点の場面。バッテリーは、濱口の代名詞であるチェンジアップを避けるようにしながらカウントを進めていく。2ボール1ストライクからの4球目にも直球を選んで、ストライク。濱口をリードする場合、「追い込んでチェンジアップ」が定石。だが、山本は冷静に大山の頭の中を覗き込んだ。
「ハマさん(濱口)のチェンジアップが頭にあったはず。しかも、その前の打席ではストレートをヒットにしてましたから」
打たれたのと同じ球種は選ぶまい――。そんな心理の裏をかき、あえて直球を決め球に使った。わずかにコースを外れたものの、「ここで決め球にまっすぐ? 次もまっすぐか?」と、打者の脳裏に迷いの種を蒔いた。
そのスキを突くかのように、ようやくチェンジアップのサインは出た。
スイングのタイミングは合わない。タイガースの4番から、空振りの三振を奪った。
「最低目標」を一つクリア。
山本はうなずく。
「実際にどう考えていたかはわからないけど、まっすぐが効いたんじゃないかなって。チェンジアップを生かす攻め方ができたなと思います。
ファームでやってきたセオリー抜きの配球、遊び心みたいなものを一軍で初めて出せた」 計5人の投手をリードし、相手打線を完封した。プロ入り後、初めてのことだった。
2020年のシーズン前、こんなことを語っていた。
「スタメンで出て、最後までマスクをかぶって、試合に勝つ。それが最低目標」
ハードルを一つ越え、素直に喜ぶ。
「ほんとにそれは目標にしていたので。実感も湧いて、達成感もあるし、すごくうれしいです」
カードの2戦目、3戦目でも、扇の要に居座り続けた。点を失いリードされれば、途中交代の可能性が高くなる。そんな場面をほとんどつくらなかった。
26日の試合では、同じ中学校に通っていた1つ年下の後輩、
阪口皓亮とバッテリーを組んだ。
一軍では、昨年11月1日のタイガース戦以来のコンビだ。当時、阪口は5回1失点で勝ち投手の権利を持って降板したが、試合が終盤にもつれてプロ初勝利は消え、山本も途中交代した。ベイスターズがサヨナラで勝ったものの、歓喜の瞬間、2人の姿はベンチにあった。
山本は思い返す。
「皓亮が9回まで投げていれば、ぼくが代わることもなかったと思う。
あのとき、皓亮と話したんですよ。『最後までマウンドを渡さないようにがんばろうな』って」 約8カ月ぶりに、同じタイガースを相手に戦った。阪口は「最後まで」とはいかなかったが、自己最長の6回を1失点で切り抜けた。フル出場の山本は、タイムリーを含む3安打と、バットでも勝ちに貢献した。
試合後、「(バッテリーとしての)初勝利やな」と声をかけ合った2人。兄弟のような笑顔で写真に収まった。
借りはまだ返せていない。
2年目の2019年5月、山本はプロ入り後初めて、一軍でスタメンマスクをかぶった。
東克樹とバッテリーを組んだが、ジャイアンツ打線につかまり、3回8失点でベンチに退いた。その年、「いずれは絶対に借りを返す」と話していた。
少しは借りを返せたかな――そんな問いかけに、山本は首を振った。
「まだ巨人にはやられてるので。その借りは、巨人戦で返せるようにがんばりたい」 同じく2019年、「山登りにたとえるなら何合目あたりか」と尋ねられて、こう答えていた。
「まだ、山に登ってもいないんじゃないですか。下から山が見えている段階です」
2年後のいまなら、こう言える。
「まだまだですけど……あのころよりは、登り始めていると思います」
てっぺんにあるのは「チームを勝たせるキャッチャー」だ。
雄大な山への挑戦が、いま、たしかに始まった。
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