9月18日、マツダスタジアム。ベイスターズがカープを2点リードして迎えた9回裏のマウンドに、
山崎康晃が立った。
ここまでクローザーを務めてきた
三嶋一輝が、9月に入り2度のセーブ失敗。首脳陣は、昨夏以来となる山崎の“再登板”を決断した。
「緊張しないように準備してたはずなのに、マウンドに上がったら、ちょっとボールが上ずってて。自分自身を制御するのがちょっと大変でしたね」 先頭の菊池 涼介をサードライナーで打ち取ったが、次打者の林 晃汰に、イレギュラーバウンドによるヒットで出塁を許す。本塁打が出れば同点のシチュエーション、松山 竜平が代打で登場した。
過去の対戦ではよく打たれた左の強打者に、小細工なしの直球勝負を挑む。気持ちの高ぶりを物語るように球も高くなる。それでも、まっすぐを投げ続ける。
決着は5球目。セカンドゴロで併殺、ゲームセット。431日ぶりのセーブと、ウイニングボールを握りしめながらのハイタッチ。
台風一過の秋空は、背番号19の心模様そのものだった。
「またやられちゃうんじゃないか」
昨シーズン、入団6年目にして最も苦しい一年を過ごした。
5年間で「163」記録したセーブが、2020年はわずか「6」に留まった。セットアッパーへの配置転換、さらにプロ入り後初のファーム降格も味わった。防御率は自己ワーストの5.68だった。
不振の原因とは何だったのか。山崎は言う。
「コロナの影響でシーズンの開幕が遅れたなかで、調整がうまくいかなかったのかな、と。無観客の影響もあったかもしれない。それに、これまでずっとムチを打ってきた体の状態が崩れ出すような感覚もあった。そういったものが、すべてこのタイミングで来てしまったのかなって」 山崎は、袋小路に立たされていた。
見かけ上の球速は例年とさほど変わらなかったが「ぴったりハマる感覚はなくて」。空振りがほしい場面で奪えず、「相手から見やすいボールになっている」と、自分が投げる球への疑心を募らせた。
ストレートとツーシームのコンビネーションも研究し尽くされていた。
勢いが盛んだったころ、待たれているとわかっていてもストレートを自信を持って投げ込めたが、昨年は痛打の記憶が腕の振りを鈍らせた。
「またやられちゃうんじゃないかって。その気持ちがボールに乗り移っちゃうというか、なんか弱いんですよね。それでも投げようとするけど、小手先でストライクゾーンを外しちゃったり。それがどんどん悪循環になり……」 決め球であるツーシームの軌道も、すでに打者の感覚にインプットされていた。操る2球種、その両方とも、武器としての役目を十分に果たせない状況に追い込まれていた。
「もう投げるボールはわかってるし、軌道もわかってる。さあ、打ってごらん、みたいな感じ。自分でボールを投げているのに、どんどん自分に不利な方向に行ってしまっていたんです」
傷心の右腕に前を向かせたのは……。
ルーキーイヤーからクローザーを務め、不調の時期、落ち込む時期を幾度か経験してきたが、昨シーズン迷い込んだ闇はとりわけ深かった。
過去のケースは、平均台から足を踏み外したようなものだったかもしれない。落下の痛みを味わいながらも、またよじ登っていけると自分を信じられたし、実際に1人しか立てない台上を再び歩みだした。
昨シーズンも、元の場所に帰ってくると信じてはいた。ただ同時に、二度と戻れない可能性も感じずにはいられなかった。
「戻れる保証はまったくなかったですからね。今年で29歳という年齢的なこともあって、ユニフォームを脱ぐまでの過程を想像したり。このまま調子が上がらなくて、最後になってしまったら……と。リリーバーは短命なだけに、いま苦しんでいる自分がどういうポジションにあるのかなって客観的に見たこともありました」 厳しい現実に、精神的にも追い込まれていく。インターネット上を飛び交うファンからのきつい意見が、追い打ちをかけた。
山崎は「たくさん傷つきましたよ。ぼくも人間なので」と、痛みをまぎらすような苦笑を浮かべて話す。
傷心の右腕に前を向かせたのは、帝京高時代の同級生でタレントのROLANDだった。昨年9月、ROLANDはベイスターズの主催試合で始球式を行った。後日、山崎のもとに電話をかけた。
ふたりは1時間ほども言葉を交わした。
「ぼくが本当に苦しんでいるタイミングだったし、気にかけてくれてるんだなって、すごくうれしかったですね。彼自身、ホストクラブの経営が厳しかったり、いろいろとバッシングを受ける経験もしていたけど、
『おれはそれを実力で乗り越えて、結果を出す。おれらはそうやって結果を出さないといけない世界で生きているし、乗り越えるために神様が試練を与えてくれているんだ』という話をしていました。クラスメイトに励まされて、ぼくもがんばらなきゃいけないなって勇気をもらいました」
縦割れのスライダーを有効活用。
2021年、山崎は春季キャンプをファームでスタートさせた。
どうやって一軍のマウンドへ、最終回のマウンドへたどり着くのか。その大方針は「一度、すべてをばらす」ことだった。
フィジカルコンディションも、メンタルも、技術も、過去の延長線上でなく、ゼロベースから再出発した。組み立てたプラモデルを材料単位にまで分解し、もう一度、より精密に組み上げていくように――。そうして野球が上達する感触を得つつ、野球ができる喜びを再確認した。
開幕直前、ついに一軍から声がかかった。託された職場は、主に8回のマウンド。安定したパフォーマンスを継続し、50試合以上、登板を重ねてきた。
「去年のことを考えれば『よくここまで這い上がってこられたな』と言ってあげたい気持ちがある反面、『いや、おれならもっとできるぞ』と思っているところもある」 投球の手ごたえは、シーズン後半に入ってさらによくなってきたという。理由の一つは、縦割れのスライダーを有効活用できるようになったことだ。
以前から、球種は増やせるものなら増やしたいと思っていた。ただ、クローザーという役回りがそれを許さなかった。山崎は言う。
「(自信がない球種を)打たれると後悔するので、投げたくない。そうなると消去法で削られていって、思いきって投げられるボールだけしか残らなくなるんです」 最終回に比べれば気持ちに余裕が持てる8回だからスライダーを大胆に試せた。試したからこそ、質が上がった。やがて新たな武器になると確信し、投球の幅が広がった。
結果が残るにつれ、ストレートを投げる怖さからも解放された。「そこが去年との大きな違い」と山崎は言った。
「また9回を頼む」
9月16日、移動先の
広島でホテルにチェックインしようとしていた山崎は、マネージャーに呼び止められた。
「監督と投手コーチから話がある。部屋を用意するので、あとで」 呼び出しの連絡を受けて、指定された部屋に向かう。待ち構えていた
三浦大輔監督から「また9回を頼む」との言葉を授かった。目指してきた場所に戻れるうれしさを噛みしめ、真顔でうなずいた。
2日後の同18日、さっそくセーブシチュエーションでの登板機会がめぐってきた。先頭打者、菊池への初球、そして結果球となる4球目はともにスライダー。磨いてきた新たな武器を躊躇なく使った。
1アウト一塁となって迎えた松山との対戦は、全球ストレート。「いままでだったらツーシームで行っていた」。強気に攻め込み続ける姿勢に、昨シーズンからの明確な変化が表れていた。
時は遡って2020年7月26日――。
横浜スタジアムでのカープ戦で、山崎は6-5と1点リードの9回に登板した。しかし、
會澤翼に満塁ホームランを打たれるなど5失点。負け投手になったこの一戦が、クローザーからの配置転換の決定打となった。
そのことを、山崎は言われるまで忘れていた。きっといいことだ。一度すべてをばらし、組み立て直した。新たに生まれ変わった証だろう。 今シーズンは残り30試合を切った。山崎は言う。
「どんな状況であっても、チームの勝ちを死守するような気持ちで投げたい。次の試合につながるポジションでもあるので、試合の締め方、そのクオリティーにこだわっていこうと思っています。9回に投げる喜びを感じていることはぼくの強み。純粋にその気持ちを表現できればと思います」
セーブを「1」から、また積み上げていく。
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