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巨人90周年インタビュー

「完璧な形の日本一で決断しやすくなった」 松井秀喜が語る“もし、巨人に残っていれば”【巨人90周年インタビュー】

 

 巨人の球団創設90周年のメモリアルイヤーを記念して、栄光に彩られた歴史、数多のスターたちを網羅した『ジャイアンツ90年史』が6月3日に発売される。そこで誌面に登場する豪華な4人&1組のロングインタビューを、一部抜粋した週べ特別編集版にて「ちょっと出し」でお届けしよう。2回目は松井秀喜インタビューから。

ドラマチックだった2000年


現役時代の松井


――2000年は4年ぶりのリーグ優勝、日本一にも輝き、ご自身も2度目の打撃2冠を獲得しました。

松井 その年は長嶋(長嶋茂雄)さんが背番号を、監督に復帰した1993年から着けていた33番から、現役時代の3番に戻した年なんです。そういったことも含めて、ものすごく盛り上がっていました。しかも、V9時代のもう1人のヒーローである王(王貞治)さんが監督を務めるダイエーホークスと日本シリーズを戦って、勝つこともできた。本当にドラマチックなことがたくさんありました。私にとっても日本でのプロ野球人生の中で最もいい1年でしたね。とにかく長嶋さんは背番号3が似合っていたし、輝いていました。オーラに包まれた長嶋さんは、普通ではない「何か持っている人だな」と思いましたよ。

――長嶋監督には入団1年目に高校時代の三塁から外野へ転向させられ、95年限りで原辰徳さんが現役を引退したときに、「サードを守りたい!」と直訴したときにも、そうでした。

松井 長嶋さんから、「お前は、ジョー・ディマジオ(ヤンキース)を目指せ!」と言われたんです。私は入団時からライトやレフトを守っていたのですが、それ以降はディマジオと同じセンターを守らされることになりました(笑)。

――ひょっとして、そのときから長嶋さんは「メジャーリーガー・松井秀喜」をイメージしていたのかもしれません。

松井 ハハハッ、まさか、そんなことはあり得ませんよ(笑)。

――いつごろからメジャー志向へ変わっていったのでしょうか。

松井 1999年に優勝できなかった年のオフにニューヨークのヤンキー・スタジアムで行われた、ア・リーグの覇者を決める試合(ALCS第2戦)を見に行ったんですよ。日米野球よりも、むしろそのときのほうがメジャーを強く意識しましたね。その試合を見て、「もしチャンスがあるなら、メジャーでやってみたい」と思うようになりました。

「私がいなくても……」


――日本で最後の年となった2002年も素晴らしい1年でした。

松井 数字的にはチームも私自身も、02年は素晴らしい1年でした。それでも私にとっては、2年前の2000年のほうがドラマチックで、強く印象に残っています。確かに原監督の下で、チームが西武とのシリーズで4連勝を飾った。完璧な形で日本一に輝いた。「私がいなくてもジャイアンツは大丈夫なのではないか」という気持ちになりました。シリーズ4連勝という結果が決断しやすくなったことは確かですね。

――もし松井さんが巨人に残っていれば、今の巨人はまた違ったチームになっていのではないかと思うのですが……。

松井 どうですかねえ。大して変わっていないと思いますよ(笑)。この点に関しては、想像もつかないですね。

――それでは個人記録に関してはいかがですか。たとえば、王さんの通算本塁打記録868本を超えることができたのではないかとか……。

松井 もちろん、破ることはできなかったでしょうけど、どこまで近づくことができたかなという思いはあります。これはあくまで仮定の話ですけど、ケガをせずに42歳くらいまで現役を続けることができたら……とか。それが前提になりますけど、やはり気にはなりますね。

写真=BBM

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