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【高校野球】鹿児島城西で奇跡を起こすハンドリング “智弁和歌山で5季連続甲子園”道端俊輔監督

 

 現在、『第106回全国高校野球選手権地方大会展望号』がベースボール・マガジン社より発売中だが、ここでは今年から鹿児島城西を率いる道端俊輔監督をクローズアップした記事を特別公開する。

大逆転劇の理由


今年から鹿児島城西を率いる道端監督


 高校野球監督としてのデビュー戦は春季県大会。鹿児島城西は鹿児島工に初戦敗退を喫した(1対2)。道端俊輔監督は「僕らしいな……」と漏らした。

「高校時代は1年夏から3年夏まで5回、甲子園に出場させていただきましたが、それはあとからついてきた結果です。多くの恥をかいて、教育的な指導を受けて(苦笑)。智弁和歌山では1年春、県大会で捕手として起用されたんですが。3回戦で星林に1対4で敗退しました。上級生の目もありますから、それはもう、大変でした(苦笑)」

 今年1月に鹿児島城西の監督に就任。前体制の流れ、新3年生を気遣い、徐々に現場に入ろうと考えていた。だが、井上隆三部長は「むしろ、生徒のために動いてください」と、初日から指導を依頼。道端監督は部員との個人面談を受けて「甲子園に行きたいという意気込みを感じました。3年生が受け入れてくれました」と、日々、生徒たちと信頼関係を築いていった。

 3月からの対外試合も、県外の強豪校相手にも結果を残した。しかし、県大会は別物であった。「公式戦、球場が変わると力が出し切れない。持っている2割しか発揮できなかった」。その理由を考えた。やはり、行き着くのは智弁和歌山時代だった。

「高嶋先生(仁、元監督)は週末のたびに四国遠征を組んでいたんです。朝5時のフェリーで向かい、相手校さんのグラウンドに到着すると、100メートルダッシュを50本走ってから試合に入る。あえて負荷をかけた状態で、ゲームで力を出せるか試される。しかも、負けたら、ポール間100本……(苦笑)」。時代は平成から令和に変わったが、道端監督は「野球を通しての人間形成。まずは、高嶋流でいきます。そこから私なりの考えをアレンジしたい」。

 全国制覇まで鹿児島大会6試合、甲子園6試合を勝ち上がるには体力勝負。6月には強化期間に入る。「ヘトヘトになるまでやる。智弁と同じ練習をしていますが皆、食らいついてくるんです」。

 ウォーミングアップから壮絶だ。300メートル走を10本。取材日は「58秒」の設定も、6月の追い込み時期には「52秒」まで引き下げる。スイングは1日1000本。ピッチングマシンは160キロに設定し、スイングを確立させる。

名門・智弁和歌山高では1年夏から3年夏まで5季連続フル出場。最上級生になるまでは、なかなか力を発揮できなかった


 平日の練習時間は授業後の14時から19時。打撃と守備の日に分けて、集中力を高めてメニューを消化する。また、水曜、日曜日はウエート・トレーニングに充て、この冬場でチームとして「体重7キロ増」をテーマに肉体改造に励んだ。補食も管理。「スケールの大きな野球をします。どんなに好投手を擁しても、最終的には打たない限り、甲子園で勝つことはできない」と「強打・城西」を目指す。

 攻撃スタイルは極端である。低反発の新基準の金属バットであるが、あくまでも長打を狙う。

「走者一塁では外野の7カ所(左翼線、左中間、左翼、中堅、右中間、右翼、右翼線)に打て、と言っています。ゴロはいらない。ボールの下に入れて打つ。フライOK。そこは、我慢です」

 道端監督はiPadで動画を撮影し、編集してYouTubeにアップ。課題をいち早く共有し、克服に努める。

「今いる選手を大切にして、将来的には地元・鹿児島の子どもたちを中心としたチームを編成したいです。それこそ、高嶋先生が目指していた野球。私たちが智弁和歌山に在籍していた頃は一学年10人で原則、8人が県内、2人が他府県という内訳でした。鹿児島出身の選手は勤勉で、練習をする土壌があります。地元から応援されるチーム。そこで見えない力が生み出され、試合での大逆転劇、奇跡が起きる。学園、地元を含めて、渦を巻いていかないといけません」

甲子園で最も好きな光景


早大では3年間の下積みを経て、4年春から定位置を奪取。4年春のリーグ戦、全日本大学選手権[写真]では日本一の捕手に輝いた


 31歳。5季連続甲子園の記憶を語る。「甲子園は、お金では買えないんですよ。多くを学ばせてもらい、その後の人生の力になりました。取り憑かれている」。計10試合を戦い、最も好きな光景は「プレーボール前の二塁送球を終え、サイレンが鳴るまでの時間。水撒きをして、きれいに整備されたグラウンド、捕手から見るバックスクリーンは脳裏から離れません」と答えた。

 早大では3年間の下積みを経て、4年時に正捕手としてリーグ優勝、全日本大学選手権制覇に貢献。4年秋には早大の正捕手として認められる背番号「6」を着け、春秋連覇に貢献。明治神宮大会では準優勝を遂げた。

明治安田生命では7年プレー。野球と並行して社業にも力を入れ、一流の営業マンになるために、24個もの資格を取得した


 社会人野球・明治安田生命では入社2年目、17年の社会人日本選手権では8強進出、入社4年目の19年の都市対抗では初戦突破に貢献。司令塔・道端は足跡を残した。明治安田生命は社業もこなすのが伝統。ファイナンシャルプランナー2級など、入社6年で保険営業に必要な24の資格を習得した。保険外交員との信頼も大事で、野球で培った持ち前のコミュニケーション能力で、関係性を構築した。道端ならではの営業も。自らチラシを製作し、飛び込みで約40校の中学校を訪問。無償での野球教室を企画した。そこで得た人脈で、契約をつかむ。仕事の中の一部が野球。22年10月で現役選手を引退した。

「68勝」の目標設定


スケールの大きな野球を目指している。智弁和歌山高時代のスタイルを踏襲し、極端な攻撃を仕掛けていくつもりだ


 サラリーマン生活を一区切りとし、高校野球の現場に戻るのは、当初からの人生設計だった。「高嶋先生は30歳で甲子園初勝利を挙げて以降、43年で68勝しています。私は昨年4月で30歳。もう、間に合わない(苦笑)。高嶋先生の野球で、実績を超えたいと思っていました」

 通信課程で保健体育科の資格を履修し、臨時免許を習得。23年は智弁和歌山の先輩、喜多隆志監督が指揮する興國(大阪)で“修業”を積んだ。入試広報室で働きながら、野球部コーチとして指導。その後、智弁和歌山の先輩である明豊・川崎絢平監督から「鹿児島城西で監督を探している」との情報提供があった。早速、道端は動き、同校に採用された。高校野球の監督になりたくても、簡単なことではない。人の縁に恵まれ、31歳で監督として初の夏を迎える。

「もちろん、勝負に行きます。生徒たちには力がある。3年で甲子園に行けなければ、ダメだと判断される。多くのベテラン監督さんの下で、勉強したい」

 低姿勢に語る道端監督。鹿児島城西は2020年春のセンバツ甲子園に初出場している(大会はコロナ禍で中止)。「夏に行けば、歴史が変わる」。これまで積み上げてきたスタイルを信じ、絶妙なハンドリングでさい配する。

取材・文=岡本朋祐 写真=BBM

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