1990年ドラフト1位で西武に入団し、魔球シンカーを操って黄金時代を支えた潮崎哲也。93年には鹿取義隆、杉山賢人と“サンフレッチェ”を結成し、晩年は先発としても優勝に貢献した。ライオンズ史に燦然と輝く右サイドハンドを、10月1日発売の『ベースボールマガジン別冊紅葉号』で特集。その中から、先輩右腕・渡辺久信氏のインタビューを特別公開する。 
シンカーを武器に1年目から力投を続けた
――プライベートでの潮崎さんはどんな方でしたか?
渡辺 3歳年下と年齢的にも近かったっていうのもあり、地方へ遠征に行ったら一緒に食事をしたりしました。彼はあんなかわいい顔をしながら、ユニフォームを着てグラウンドに立った途端に、すごく気持ちの強いピッチャーに変わるんですよ。打者のインコースをどんどん攻めていたし。
――ピッチャーのタイプとして、渡辺さんと共通する部分はありましたか?
渡辺 コントロールが良くない点じゃないですか(苦笑)。お互い引退した後、球を受けてくれた伊東(
伊東勤)さんに2人で聞きに行ったことがあるんです。「僕と潮崎、どちらが逆球が多かったですか?」と。逆球とは構えたミットと逆のコースに球が行くことです。
――伊東さんの答えは?
渡辺 聞く前に僕は「お前が絶対に多い」と言い、潮崎は「ナベさんが絶対多い」って言ったんです。それで伊東さんに聞いたら「潮崎のほうが多かった」と(笑)。
――そうなんですか。
渡辺 ただ、あいつの逆球は打たれないんです。いろいろな要因があると思いますけど、決して中途半端な逆球にはならない。例えばアウトコースに構えていたら、インコースのギリギリを突く。アウトコースに構えて真ん中に行ったら打たれるかもしれないけど、潮崎の場合は結果的に打者にとってインコースの難しい球になっちゃう。
――狙ったコースを外れても、中途半端なところには行かないと。
渡辺 これは説明しづらいですよ。逆球を打たれるピッチャーはたくさんいます。当然、僕も痛い目にあっています。だから潮崎の逆球が打たれないのは「球界の七不思議」のような感じです(笑)。スライダーが抜けて真ん中に来たとしても、なぜか打たれない。普通は逆球をネガティブに捉えるけど、おそらく潮崎はそれほど深刻には捉えていなかったはずです。
――逆球になっても抑える自信があったのですね。
渡辺 なぜか抑えちゃうというイメージです。そんなポジティブな気持ちがボールに乗っていたのかもしれません。逆球になることを恐れたり、不安そうに投げていたら打たれるかもしれない。打者はそういう心理を敏感に察知するものです。自信満々に逆球を投げられたら、意外と打者は打てないのかもしれません。結局、何が要因かは分からないんですけど。
自身の先発試合で8者連続奪三振

90年7月5日のオリックス戦では8者連続奪三振をマークして、記者に囲まれた
――90年7月5日のオリックス戦(西宮)では8者連続奪三振がありました。
渡辺 西宮ですね。僕が先発した試合なのでよく覚えています。
――当時のプロ野球記録は阪急の
梶本隆夫さんと東映の
土橋正幸さんの9者連続でした。
渡辺 僕の中ではオールスターの
阪神・
江夏豊さんの9者連続奪三振が強烈な印象としてありました。潮崎がバッタバッタと三振を奪う中で、もしかしたら新記録を作るんじゃないかという空気になりましたよ。とにかくバットに当たらないんですから。すごくボールが落ちるなという印象を持ちました。
――必ずしも落ちる球だけで三振を奪っていたわけではないと思います。
渡辺 潮崎は基本的に球が強いから。真っすぐがあっての変化球。彼のあの腕の出どころから来る真っすぐの速さは、上手投げのピッチャーとは違う速さを打者は感じていたはずです。
――似たようなタイプがほかにいないから打ちづらいのでしょうか?
渡辺 でもサイドスローのピッチャーは昔からいましたけどね。シンカーに関しては、まず初見では打てないと思いますし。やっぱり気持ちの部分も大きいですよね、あいつの場合は。
――渡辺さんと投げ方がまったく違いますけど、潮崎さんのシンカーの投げ方について聞いたことはありますか?
渡辺 ありますよ。何回も聞きました。彼は指の関節が柔らかいんですよ。手首も柔らかくて、内側に曲げると人差し指とかが腕についちゃうんです。だからマネはできません。
『ベースボールマガジン』別冊紅葉号より 取材・文=富田庸 写真=BBM 『ベースボールマガジン別冊紅葉号「潮崎哲也と西武ライオンズ」』ご購入はコチラから