1980年代に絶大な人気を誇った元巨人の助っ人、ウォーレン・クロマティ氏による『月刊ベースボールマガジン』の連載。巨人に在籍した7年間を通して関わった監督、コーチ、チームメート、ライバルなどとの交友録だ。第2回は来日4年目の1987年、中日ドラゴンズの新指揮官として目の前に現れた星野仙一監督について綴る。 熊本事件のそれから

激しい闘志を前面に押し出し、チームを率いた星野監督
熊本の事件で、僕は7日間の出場停止処分を受けた。復帰戦は、奇しくもナゴヤ球場の中日戦だった。巨人の選手を乗せたバスが球場に近づくと、たちまち中日ファンに囲まれ、「クロマティのバカヤロー!!」「クロマティのアホー!!」と罵声の限りを浴びせられた。このままではチームメートも危ないと思ったので、彼らを先に降ろしてから、僕が最後にバスを降りた。僕らはガードマンに囲まれて、球場の中に入った。
僕らの姿が見えるや、球場内も大騒ぎだ。ロッカールームで
王貞治さん(巨人監督)が僕に尋ねた。
「クロウ、今日はベンチにするか?」
「ダイジョーブ、これぐらいのほうが僕も燃えるよ」
相手ベンチでは、星野仙一さんが腕組みをして、こちらをにらんでいる。この3連戦はスタンドも満員、テレビの視聴率もグンと上がるだろうなと思った。僕は3連戦の2試合目に
鈴木孝政さんから2ランを打った。そしていつもとおり、ガッツポーズをしながらベースを回った。鈴木さんは、僕が得意にしていたピッチャーの筆頭だった。たぶん、あとでキャッチャーの
中村武志は蹴りを入れられたと思う。かわいそうに、中村はいつも星野さんに“鉄拳教育”を受けていた。
いつだったか、中村がベンチで星野さんに蹴り飛ばされているのを見たあと、打席で中村に「ダイジョーブ?」と聞いた。中村は「はい、大丈夫です、クロマティさん」と答えた。ふと中日ベンチを見ると、星野さんが仁王立ちしてこちらを見ている。歯を見せて笑顔で挨拶したら、とたんに何やらワーワー叫び出した。僕は熊本の件を別にしても、中日投手陣の宿敵なのだ。
選手たちは監督の鏡
だが僕は、星野さんは素晴らしい監督だと思っている。星野監督が誕生するまで、日本に彼のような熱血漢の監督はいなかった。今に至っても、あんな監督はいない。
選手たちは監督の鏡である。監督がベンチの雰囲気やスピード感、闘争心を生む。監督が燃えれば選手も燃えるし、監督が下を向けば、選手もシュンとしてしまう。星野さんの闘志は、間違いなくチームを奮い立たせていたと思う。だから彼は中日、
阪神、
楽天と3つのチームで優勝を勝ち取ったのだ。僕は監督として、星野さんをとても尊敬している。
監督は常に、ゲームプランを考え、選手は監督のプランに従ってプレーする。星野さんは巨人戦のために、「クロマティにはデッドボール」というプランを作り、選手に準備をさせた。だから熊本の一件のあとも、中日の投手陣は僕に対し、一貫してインコースを投げてきた。僕はもう、それに対して怒らなかったけれども。
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