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【クロウのバンザイ交遊録】星野仙一編03「もし星野さんのもとでプレーしたら、とても良い関係が持てたはず」

 

1980年代に絶大な人気を誇った元巨人の助っ人、ウォーレン・クロマティ氏による『月刊ベースボールマガジン』の連載。巨人に在籍した7年間を通して関わった監督、コーチ、チームメート、ライバルなどとの交友録だ。第2回は来日4年目の1987年、中日ドラゴンズの新指揮官として目の前に現れた星野仙一監督について綴る。

選手の長所を引き出す


グラウンドで選手の能力を引き出す能力にも長けていた


 星野仙一さんは、自軍の選手の長所を引き出すことに長けていた。監督の仕事は、適材適所の采配だ。星野さんはレーシッチ(登録名はゲーリー)、落合博満、宇野勝といったホームランバッターにバントを命じない。なぜならホームランバッターの最大の武器はホームランであり、彼らにバントのサインを出すことは、敵の目前でその武器をしまえと言っているようなものだからだ。クリーンアップに座るパワーヒッターのバントは、相手にみすみす1アウトを献上するに等しい。まあ、日本野球のバントの多さについては、別の機会にも書いてみたい。

 星野さんに話を戻すと、星野さんのいる試合は、中日サイドはもちろん、相手チームも審判も、しっかり試合に集中したから、いつもテンポよく試合が進んだ。

 星野さんは、自軍の選手に好かれようともしていなかったと思う。選手には嫌われていたかもしれないけれども(苦笑)、その代わり彼は選手が100%、プレーに集中するよう仕向けていた。「お前らが俺を嫌っても構わないが、プレーは全力を尽くせ。俺の仕事は選手に好かれることじゃない。選手が野球をしっかりすることだ」といったところだ。しかし、星野さんは必ず自軍の選手を守った。ガッツあふれる姿勢を表に出して、常に選手を守っていた。あの姿はとても好ましく、尊敬できるものだった。

 星野さんが監督を辞めて何年かしたころ、OBオールスターゲームで星野さんに会った。

「クロマティさん、元気? 今日はよろしくお願いします」

 スーツに身を包んだ星野さんはとてもダンディで、ジェントルマンだった。僕がもし現役時代に中日のユニフォームを着て、星野さんのもとでプレーしていたら、僕たちはとても良い関係が持てたと思う。彼は僕の闘志あふれるプレーを、きっと気に入ってくれたはずだ。そして、僕と王貞治さんや藤田元司さん(ともに元巨人監督)のように、固い友情で結ばれたに違いない。

 その星野さんも2018年にこの世を去った。70歳だった。日本球界は、惜しい人を早くに亡くした。だが星野さんの魂は、名古屋、甲子園、仙台で、ずっと生き続けるだろう。

『月刊ベースボールマガジン』2025年8月号より
写真=BBM


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