1990年ドラフト1位で西武に入団し、魔球シンカーを操って黄金時代を支えた潮崎哲也。93年には鹿取義隆、杉山賢人と“サンフレッチェ”を結成し、晩年は先発としても優勝に貢献した。ライオンズ史に燦然と輝く右サイドハンドを、10月1日発売の『ベースボールマガジン別冊紅葉号』で特集。その中から、潮崎が指名された1989年のドラフト記事を特別公開する。 続々と1位で指名された球界で名を残す名選手たち

史上最多の8球団からドラフト1位指名された野茂。左は当たりクジを引いた近鉄・仰木監督
田淵幸一、
山本浩二、
星野仙一らがプロ入りした1968年の「黄金ドラフト」に匹敵する大豊作の年として、今なお語り継がれている89年のドラフト会議。会場は、この年に限って赤坂プリンスホテルだった。
最大の注目を集めたのは、大型右腕・
野茂英雄(新日鉄堺)だった。新たに導入された大型テレビ画面には、次から次へと野茂の名前が映し出される。
ロッテ、大洋、
日本ハム、
阪神、ダイエー、
ヤクルト、
オリックス、近鉄――。ドラフト史上最多となる8球団が1位指名で競合。近鉄の
仰木彬監督が最後に残った1枚を手にし、それが「当たり」だった。
以後の野茂の活躍は、あらためて説明するまでもないだろう。トルネード投法と呼ばれた独特のフォームを矯正されることなく、独自の調整法も認められた。その才能を最大限に開花させることができた背景には、仰木監督の放任主義があったとも言える。
もう一人の注目選手が、甲子園を沸かせた強打の内野手・
元木大介(上宮高)だった。「
巨人以外ならプロへ行かない」と明言していた元木に対し、巨人は慶大のスラッガー・
大森剛を1位指名する方針を固めていた。大森自身にも1位指名へのこだわりがあったという。結果、巨人は大森を1位指名。元木は野茂の抽選に外れたダイエーから1位指名を受けたが、入団を拒否し、浪人の道を選んだ。
ほかにも、西武は潮崎哲也(松下電器)、
中日は150キロ台後半の快速球を誇る右腕・
与田剛(NTT東京)、
広島は100勝100セーブを達成する
佐々岡真司(NTT四国)を1位指名している。
さらに、野茂の抽選に外れた球団の“外れ1位”にも、そうそうたる顔ぶれが並んだ。ロッテは頭脳派右腕・
小宮山悟(早大)、大洋はのちに「大魔神」と呼ばれる
佐々木主浩(東北福祉大)、日本ハムは1年目から10勝を挙げる
酒井光次郎(近大)、阪神は鉄腕・
葛西稔(法大)、ヤクルトはエース格へと成長する
西村龍次(ヤマハ)、オリックスは「パンチ」の愛称で親しまれた
佐藤和弘(熊谷組)を指名した。
プロで存在感を示す好選手の名が2位以降にも

1989年のドラフト当日、西武のドラフト1位指名が決まった松下電器の潮崎。誕生日だったこともあり、鍛治舎巧監督[前列左]らにケーキで祝福された
この年のドラフトは、1位だけではない。日本ハムの2位は「ガンちゃん」こと
岩本勉(阪南大高)、ヤクルトの2位は2000安打を達成し、兼任監督も務めた名捕手・
古田敦也(トヨタ自動車)。中日の2位には、投手から野手への転向を成功させた“ピンキー”こと今季まで監督を務めた
井上一樹(鹿児島商高)がいた。
3位にも、ダイエー・
橋本武広(プリンスホテル)、西武・
大塚孝二(現光二。東北福祉大)、近鉄・
石井浩郎(プリンスホテル)、巨人・
吉岡雄二(帝京高)ら、球界で存在感を示す選手たちの名前が並ぶ。
下位指名にも逸材がゴロゴロいたが、この2人の名前を外すことはできない。広島4位の
前田智徳(熊本工高)、そして阪神5位で現在は日本ハムの監督を務める
新庄剛志(西日本短大付高)だ。
この年のドラフト指名選手から名球会入りしたのは、野茂、佐々木、古田、前田の4人。一軍監督経験者は古田、与田、佐々岡、新庄、井上と5人いる。さらにメジャー・リーガーとなったのは、野茂、佐々木、小宮山、新庄の4人。加えて、ドラフト外で巨人に入団した
柏田貴史(八代工高)もメジャーを経験している。
89年、プロ野球界に送り出された才能はやがて日本球界を席巻し、そのうち5人が海を渡った。まさに日本プロ野球史に残る「黄金ドラフト」だった。
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