近鉄移籍が転機

卓越した打撃技術で高打率を残した新井
1980年代はシーズン130試合制。試合数は、安打や本塁打など積み重ねていくタイプの記録に大きく影響する。2015年に
西武の
秋山翔吾が216安打を放って更新したプロ野球のシーズン最多安打記録。その前身ともいえる記録を、130試合制の時代に打ち立てたのが近鉄の
新井宏昌だった。1987年、128試合に出場して当時の130試合制最多となる184安打を記録。打率.366で首位打者にも輝いた。プロ13年目、35歳で初めて手にした打撃タイトルだった。
法大からドラフト2位で1975年に南海へ入団。79年には打率.358を記録したが、阪急の
加藤英司に6厘及ばずリーグ2位。82年にも打率.315をマークし、
ロッテの
落合博満に次ぐリーグ2位となった。この2シーズンは外野手としてベストナインにも選ばれている。高いミート能力を備え、安定して好成績を残しながらも、首位打者にはあと一歩届かなかった。
転機となったのが86年。
山口哲治との交換トレードで近鉄へ移籍した。新井によれば、近鉄でも二番打者として送りバントや進塁打を求められる役割は変わらなかった。ただ、同じ仕事でもチームの勝利に直結することで、プレーの意味や周囲からの評価は大きく変わった。優勝争いを繰り広げるチームで、一つの犠打、一つの安打が勝敗を左右する。新井の持ち味を発揮するうえで、近鉄は格好の舞台となった。
移籍1年目から全試合に出場し、自己最多となる12本塁打を記録。新井の打撃を語るうえで欠かせないのが、近鉄で磨いた技術と考え方だ。打撃コーチの
中西太から受けた指導も、その成長を支えた。もともと本塁打を量産するタイプではなかったが、確実性を保ちながら、投手のボールの力を利用して打球を遠くへ運ぶ技術を磨いていった。
「若いころはいかに力を伝えるか。晩年はいかに投手のボールの力を使えるか、がテーマだった」
利き目を意識し、視界の盲点が投手方向に向かないようオープンスタンスで構える。バットのヘッドを背中側に入れすぎず、「内から、上から」出して球の芯を捉え、低くて強い打球を放つことを心がけた。内角球は右方向、真ん中の球は中堅方向、外角球は左方向へ打ち分ける。コースに応じて打球方向を変えられることが、新井の強みだった。
迎えた87年は128試合に出場し、自己最多の13本塁打を放った。左打者らしく、その本塁打はすべて右方向。一方、本塁打以外の安打は中堅方向が61本、左方向が53本で、右方向の36本を大きく上回った。引っ張るだけでなく、センターから左方向へも自在に打ち返す広角打法が、184安打という記録につながった。内野安打21本も、安打を積み重ねるうえで大きな力となった。
左右の投手を苦にしなかったことも特筆すべき点だ。左打者ながら、対右投手の打率.361に対し、対左投手は.384。左投手を相手にしても自分の打撃を崩さず、安打を重ねた。後半戦に入ると、阪急の
ブーマーが首位打者争いで猛追してきたが、新井は8月に打率.427、9月も.400と好調を維持。最後まで首位の座を譲らず、打率.366で初の首位打者に輝いた。2年連続のベストナインに加え、初のゴールデン・グラブ賞も獲得。35歳にして、打撃職人がキャリアの頂点に立った。
通算犠打は歴代8位
88年は「10.19」の激闘があったシーズン。新井は133安打、打率.286にとどまったが、犠打は前年の22から25へ増加した。翌89年は自己最多の31犠打を記録しながら134安打を放ち、打率.302と3割に復帰。ヒットメーカーとしての印象が強い一方、堅実な犠打も新井の大きな武器だった。
通算犠打は歴代8位の300。2ケタ犠打を記録したシーズンは、南海時代も含めて15度に及ぶ。安打を放つだけでなく、状況に応じて走者を進め、得点機を広げる。自らの記録を追い求めるのではなく、勝利のために何をすべきかを考える姿勢が、二番打者としての価値を高めていた。
近鉄では一番・
大石大二郎とのコンビが定着した。大石が出塁すれば、盗塁を待つのか、送りバントで進めるのか、エンドランを仕掛けるのか。新井は相手投手の特徴や後続打者との相性まで考慮し、状況に応じた打撃を選択した。監督のサインを待つだけでなく、試合の流れを読みながら自ら判断する場面も多かったという。犠打と強攻の両方を選択肢に持つ二番打者は、相手バッテリーにとって厄介な存在だった。西武で監督を務めた
渡辺久信は2008年、自身が指揮を執るチームで、大石、新井の一、二番コンビを参考に、片岡易之を一番、
栗山巧を二番に配したという。
89年には初のリーグ優勝を経験。
巨人との日本シリーズにも全7試合に出場し、打率.333をマークして敢闘賞を受賞した。90年代に入っても、ベテランとなった新井の巧打は健在。92年には通算2000安打を達成し、同年限りで現役を引退した。
94年には
オリックスの打撃コーチに就任。同年、プロ3年目の
イチローがシーズン210安打を放ち、新井の記録を上回って当時のプロ野球記録を更新した。130試合制で200安打を超えた初めての選手となったイチロー。その安打量産を、新井はコーチとして支えた。
現役時代に自らの技術を突き詰め、打席での判断を重ねてきた新井。その経験は、指導者としても生かされた。自分の型を押しつけるのではなく、選手それぞれの特性を見極め、持ち味を伸ばす。投手のボールの力を利用し、状況に応じて最適な打撃を選ぶという哲学は、イチローをはじめ、後進の打者を指導するうえでも生きていった。
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